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教育実習

3週間の教育実習が終わった。

教育実習とは、教員免許所得のために必須となる学校現場での実習のことである。皆様も学生時代に教育教育生が来た経験があるかもしれない。

実習では、授業はもちろん、生徒指導や部活指導も行い、現職の教員とほほ同じ仕事をこなす。

私は極端に朝に弱いので、1時間以上かかる通勤のために朝5時過ぎに起きる事が非常に苦痛だったが、何とか乗り切れた。

私は教育学部の学生ではないのに教職課程を履修し、教員免許の所得を目指していたから、多くの知人や大学の友人から

「将来は教師になるのか?」

とよく聞かれる。

その問いへの答えは、

no

である。

その理由は2つ。

1つ目は

私のような未熟な人間が教師になる資格はないと思っているから。

私は常に自己と社会に絶望しているような未熟な人間だ。そんな私が人に物を教えてはいけない。こんな人間が何かの間違いで教師になってしまっては生徒が不幸になる。

だから、私は大学卒業後に教師にはならないことにした。出産しただけでは親になれないように、免許を取っただけでは教師にはなれないのだ。

2つめは

仕事とプライベートの両立が極めて困難だと思ったから。

教師の労働時間は非常に長い。
実習中は実習校のスケジュールに沿って行動したのだが、7時40分~16時半が定時。
当然その時間だけでは仕事が終わらないので9割以上の先生は早めに出勤して夜遅くまで残業していた。

おそらく

1日の労働時間は10時間を超えているだろう。

そこに部活指導が加わればもっと長くなる。

ちなみに、私の高校時代の恩師は、先日の休日がゼロだったようだ。

30連勤である。

それで、

残業代はほぼゼロ。

公立学校の教師の残業代は、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)により、

原則として支払われないことになっている。

この法律では、残業は教員の自由意志に基づいて行われるということになっているので、どれだけ残業しても無給である。多くの教師は定時では絶対に終わらない仕事量をこなさなくてはいけないのにも関わらず。

あまりにも理不尽過ぎる。

このことから、教師は暇で高級取りだというのは偏見だということが分かる。特に年配の方ほどこの偏見を持っているようだが、未だに一昔前の比較的労働時間が短かった頃の教師の姿をイメージしているのだろうか。そんな時代はとっくに終わったのだ。

勿論、企業に入社してもサービス残業の問題とは無縁というわけではない。が、最初から残業代が支払わないことがわかっていて、勤務時間も長く、責任が重い仕事に就く気にはならなかった。やりがいや魅力がある仕事だということは3週間で十分理解したが。

これは私だけ考えていることではなく、多くの学生もそう思ってるようだ。近年、教職の人気は低くなっていると言われている。教育学部の学生や教育大学の学生でさえ、卒業後に教職を目指すことを敬遠しているとも聞く。その背景には過酷な労働環境があるのではなかろうか。

大学の講義で中学校の教員だった夫を過労死で亡くした方のお話を聞く機会があったが、教育現場の実態は想像を絶する。残業月100時間超えは当たり前。過労死ラインを大きく超えている。それが罷り通っているのが今日の日本の学校である。

また、その方は行政が過労死認定することを頑なに拒んだことを教えてくれた。今日では文部科学省がプログラミングや英語教育などの新たな教育を取り入れようとする動きが出ているが、それは現場に更なる負担をかけることを意味している。教師の労働時間が減る見込みは当分なさそうだ。そんな中で、働き方改革を推進している企業と教職を天秤にかけたとき、どちらに傾くかは容易に想像できるし、実際に多くの学生がその答えを知っている。

現段階では教師になる予定はないが、今の考え方が未来永劫続くとは思ってない。授業準備が報われ、生徒が積極的に授業に参加してくれたあの感触を思い出すと、いつかまた教壇に立ちたいとも思う。しかし、それは今ではない。実習で学んだことを活かし、まずはサラリーマンとして社会に出たい。

さあ、卒業まであと4か月。



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