中小ITショチョーの秘密⑦/終わりのない恩返し
2023.07.13(木)それでは、創作大賞2023の「中小ITショチョーの秘密」クライマックス。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
あらすじ
3代目所長は、がんの転移で2019年5月に亡くなる。
ここから会社内の再編が始まる。
そこで渦巻いていたものが出てくる。
7.働く理由は「恩返し」
3代目所長(I所長)は、大阪本社では経営者が退職前に「専務」というポジションが用意されていて再雇用されるような形をとることがある。
ただ、雇用中の死去のため、いろいろと自体は動くことになった。
葬式には参列せず
I所長は、週初に東京に移動して週末に帰阪するという、大阪の人である。
もちろん葬儀を会社として本社経営陣は参列する。
私は参列しなかった。
あれだけお世話になったにもかかわらず。
どちらかというと、東京事業所にいないシステム開発先にいる所属メンバーがI所長がなくなった時の「動揺をおさめる」行動が先。
そして、I所長の残した仕事を終わらせるほうが喫緊の課題になった。
I所長の体調不良自体は、東京事業所所属メンバーは知っていた。
半年前から私に「所長代行」という肩書がつき、所属メンバーへの周知や会社からの連絡などは、体調不良のI所長に代わり、仕事をしていた。
そのため、私は4月に子どものころから夢「システムエンジニアの仕事(当時はシステム関係の仕事)」は、卒業することになる。
でも、「40歳からは仕事の働き方を変えたい」とI所長に伝えて長い引継ぎをしていたので、もはや後悔はなかった。
会社のメンバーを集め、定例の事業所報告会議で、ここまで書いたような詳細な事情などは一切伝えず、所属メンバーには「I所長が病気で亡くなった」を伝えた。
3月にI所長は東京事業所を離れただけにメンバーのショックは、そこまででは計り知れないものになった。
伊東の温泉旅行の体調不良以降から半年でそんな急展開があるとはだれも思っていない。泣いてしまう社員もいた。
中には、I所長が東京勤務時代に打合せ後に飲みに行く取引先の方が、来社したことがあった。
I所長の体調不良などをあえて言わず、私が業務代行などをおこなっていたがなくなってしまったことを伝えると、会議室で号泣して
「なんで伝えてくれなかったんですか!」
と詰め寄られることもあった。
I所長は、伝えてほしいとは思わないし、元気な姿しかそういう人に見てもらいたくない人。
たくさんの人が涙を流した。
そして、I所長の口癖だった
は、実現しなかったことを意味した。
所長代行ということは、一時的に4代目所長になった人物がいる。
「お前にはまだ早い」
会社の混沌はまだ続く。
I所長のあと誰が所長をするのか?
私は葬儀には参列できなかったが、落ち着いたタイミングで大阪本社へ出張した。
それは、私を巡っての裁判の様相だった。
代表取締役/M営業部長のほかシステム開発部長、総務部長を前にして、目の前の私を「東京事業所の所長にするか?」を議論している。
この時、私は「所長代行」ということで、経営者ではなく管理職だった。
所長にするということは、私を「事業部長※」にするということ。
※給料形態なども変わるということ。
社内の雰囲気は、私が「所長をするのではないか」という空気だった。
I所長はもういない。「死人に口なし」とはよく言ったものだ。どれだけI所長が生前にあとは任せる人物がいるといっても残されたもので決める。
一刀両断したのは、I所長が1番弟子として教えた「M営業部長」だった。
私は、このM営業部長がもともと嫌いだった。
言っていることがいい加減だったり、人に仕事を押し付けたり、責任を転嫁したり。
仲のいい人は、冗談で言っていることだと割り切れたりするが、私にはパワハラに近いメールを送ってきたりする人だった。
I所長は長い引継ぎの中で「M営業部長はあてにするな」とも言い残していた。I所長が残してくれた引継ぎは、長くシステムエンジニアとして社外に出ていた私にとっては社内の人間との付き合い方が大きかったかもしれない。
経営陣が集まる会議室で、M営業部長以外は
「まあ、東京を任されるなら●●(私の名前)しかいないですよね」
という中で、
M営業部長が言った言葉は、
「●●にはまだ早いと思います」
と言い切った。
個人的には所長になろうが所長代行のままであろうが、私にはどちらでもよかった。「早い」と言っている理由もそんな大した理由でもないだろうと想像していた。ただ、私が所長になるということは「経営者が増える」ということを意味し、M営業部長とは立場が並列のものが一人(邪魔な奴)増えるということを意味する。
そのことを考慮もして言っている東京にいない人物の言葉に悔しさを感じた。
私には早いとしても所長不在の間、M営業部長が定年退職するまでのほぼ2年、M営業部長は兼任という形で「東京事業所所長」という肩書を保有していた。
ここが私には理解できなかった。
M営業部長は大阪本社勤務の人で、365日中×2年に東京事業所所長として仕事したことは「一度もない」。
こういうのが大人の事情なんだろう。
M営業部長は、居なくなってほしいと願っていた。
I所長がやっていた仕事を必死に巻き取る毎日だった。
所長の席に座るとI所長のことを思い出す。
1年目は、わからず。
2年目に、もがき。
3年目に、代行という文字が外れて今に至る。
大阪にいるM営業部長(=4代目東京事業所所長)は、定年で退職することになる。
退職時の寄せ書きに一言も書かなかったのは、所長代行の私だけ。
初代所長:東京事業所を作った人
社長に友人の結婚式で東京転勤を誘われ、東京事業所を立ち上げた。
この人は、私が新卒採用の面接のときには「営業部長」2代目所長:1年以内で退職
東日本大震災後、私が一時的に大阪にいるときに所長業務
退職理由ははっきりしないがやりたくなかったのだろう。3代目所長:大阪時代の上司「I部長」
私のことを一番にとらえてくれる方でした。4代目所長:2年東京事業所にいないのに「所長」を兼務したM営業部長
斜線で書いている通り、この人は私の中では存在していない。
だから私が「4代目の東京事業所所長」を名乗ることにしている。
これが「最後の秘密」。
悔しい思い出は記録に残しても、
記憶に残さなくていい。
いまは、自分の嫌だった社内権力も、自分のためではなく所属のメンバーのために使う。
そして、自分の裁量次第で会社が動く。
そんな毎日を繰り返している。
ここまでが「中小ITショチョーの秘密」
全ての話をつなぎ合わせられる人物は、私だけである。
それは私だけではなく、どんな人にも「秘密はある」
そして現在
亡くなったI所長の椅子に今、私が座っている。
新人女性が採用された理由。
私が採用される前後。
私がI部長→I所長と仕事や今までお世話になった上司がいたこと。
前任の所長は病死であったことなど。
大阪本社にいるのに東京事業所所長を名乗る意味不明人物がいたこと。
頭の中を駆け巡った。
この話は、新卒女性は私が話していないので、もちろん知らない。
東京事業所を任せられて5年。
私が働く理由は「I所長への恩返し」。それもいつか終わるだろう。
前任のI所長のことを知らない社員も増えてきた。
そして、知っている社員でも少しずつ記憶からも薄らいできている。
I部長と私があったのは23年前。
I部長(45歳)と私(22歳)
私(46歳)と新卒女性(22歳)という年齢関係になって。
なにかの因果かもしれないとこじつけているところもある。
会社員ならそれぞれが秘密を抱え、
何らかの理由をもって生きている人が大半である。
まだまだ現在進行形の物語でもあり、
その過去を「秘密」として生きていくんだろうと思う。
終わり
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