世間知らずの高枕世の中の事は何も知ろうとせずのんびりと暮らしている
知らぬが仏とも言うのかしら?
何が起こっているのか知らなければ仏のような、穏やかな心のままでいられる
世間知らずの高枕とは厳しい現実も知らずに、のんびり平然と暮らしている人を皮肉っている言葉だそう
シビアな現実、事情を知らない人は枕を高くして何の不安、心配をせずに余裕で寝ていられること
えかきのつまは最近考えるのである
自分は世間知らずなのか
世間知らずの方がしあわせなのではと
でも人生はそんなに甘くはない
人と関わっていると必ず色々あるのが当然、一人一人違うから
人間大好きだから関わらずにはいられない、お節介ババ-と言われても
楽は苦の種、苦は楽の種
初めて聞いたように思うのですが、なんとなく理解できそう
楽と苦は切っても切れないものだということを表しているそう
楽をしてしまうとその後に苦労することになってしまうが、苦労をしのべばその後には楽が出来ると言う
苦労を耐えることは、その後の人生に必ず役に立つ、苦労した後には楽ができることのよう
どちらが良いのでしょう?人生の後半に苦労するより、逆の方がいい、何故かというと若いころは苦労を苦労とは思わないので
というか今でも苦労とは思っていない、結果えかきのつまでいつづけられる
水戸黄門をえかきの祖母は欠かさず観てた、その主題歌に「人生楽ありゃ苦もあるさ~」と言うフレ-ズが
楽は一日苦は一年
楽しいことをしていると、時間があっという間に過ぎてしまうけれど苦しいことをしていると、すごく長い時間に感じることらしい
えかきのつまの人生はアッと過ぎていったように感じられるのは楽ばっかりだったのでしょうか?
一日楽をして怠けれと、それを取り戻すためには一年の苦労が必要だという考えの意味もあるそう
楽人楽を知らず
苦労をまったく知らずに気楽な人生を生きている人は、苦労だけじゃなく安楽も知らないと言うこと
気楽な生活が当たり前になれば、何も感じなくなる
苦労をして、悩みや心配事を抱える経験をしてこそ、気楽に暮らせることがどれほどしあわせでありがたいことか実感する
山あれば谷あり
人生には上がり調子の時もあれば、下る時もある
良い時ばかりではないし、悪い時ばかりではない
楽しい事の後に苦しいことがあり、苦しいを乗り越えた先に楽しいことがある
えかきのつまの今のささやかな苦労かも知れませんがきっといつか実を結ぶと夢見る今日この頃
絵描きの雅号である豊実のように、、、
豊はえかきの父の名前、そして実は妻の父の名前
両方の父の名前を合体させたのだけれど、豊かに実ればの願いを込めて命名
小川マリアイネス拝