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子ども頃の発想をもって、毎日を自分なりに楽しく過ごしたい

久しぶりに千葉にある実家の周りを走った。

懐かしい場所を通り過ぎていく。私が通った小学校、中学校、私がよく遊んだ公園、広場、私がよくお邪魔しに行った友だちの家、マンション。10年以上が経っても彼らの表情は何一つ変わっていない。

途切れとぎれに人とすれ違う。マスクをして仲睦まじくゆたゆたと散歩する老夫婦、ランニングをして汗を流すおじさん、ピザーラの宅配バイトに向かう青年、休校のなか友だちと一緒に遊ぶ少年たち。歳の重なりを感じる。

子どもだった頃と違い、すぐに息づかいが荒くなる。肺が苦しい。けれど、ここで足を止めてしまったら若さの喪失を自ら認めてしまうことになる。負けない。最後まで走る。そう自分に言い聞かせてひたすら足を前へ前へと動かす。

いよいよ、ゴールである実家が見えてきた。最後の直線だ。残りの力を振り絞ってラストスパートをかける。こんなに勢いに差のないラストスパートがあるのかというくらいに身体が前に進まない。あと少し、あと少し。

そんな風に毎日走り始めてから3週間になる。少しずつではあるが身体も元気を取り戻してきた。走りながら思い出したことだが、そういえば子どもの頃は自由に遠くへ出かけることもできず、何においても限られたなかでどうにか楽しく過ごそうと考えていたし、それでいて実際に毎日を退屈することなく過ごすことができていた。

自粛生活中は移動できる範囲もできることも限られているが、そのなかでもかつての少年の発想をもって毎日を自分なりに楽しく過ごしたい。与えられた"時間"は平等で、この期間を無駄に過ごすも、退屈に過ごすも、為になるよう過ごすも、楽しく過ごすも、自分次第である。

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