酔いの深度と眼鏡の関係を考える
ふと目が覚めると、あたり一面が白と緑が入り混じった色でぼやけていた。緑の部分が早い速度で動いており、目の前には座った人らしきものが見える。ここはどこだ…そして、なぜ僕はここにいる。激しい頭痛と嘔吐感に襲われながらなんとか思い出そうとするも、全く記憶がない。もたれ掛かった銀色の手すりを頼りに昨日酔っ払って電車で寝過ごしてしまったんだなと気づき、とりあえず次の駅で降りることにした。
◯◯駅…全く見たことも聞いたこともない駅名に僕は困惑した。駅名だけではない。ホームから見える景色も都会のそれとは大きく違い、田んぼだか畑だか緑が大半を占めていた。どこまで来てしまったのだろうと不思議に思った僕は、近くにいた駅員と思しき人に「ここ何県ですか?」と質問した。すると、何言ってんだコイツというような顔を浮かべて「静岡県ですが…」と彼は答えた。「静岡県!?」と反射的に聞き返したが、変な人に思われるのも嫌だったのでそれ以上は質問せず「ありがとうございます。」とすぐさまその場を立ち退いた。どうやら僕は東海道線で下り続けていたらしい。
昨日酔っ払ってなぜか帰り道でもない東海道線に乗って今に至ることは理解した。二日酔いの気持ち悪さも仕方がないとして、気がかりなことがあと一つ。目が見えない…。僕の大事な"眼鏡"はどこにいった…。フレームだけで5万はするであろうあの"眼鏡"は…。このことに気づいてからは、記憶を失くしてよくわからない土地まで来てしまったことなんかどうでも良くなった。何よりお気に入りの"眼鏡"を失くしてしまったことがショックだった。
こんな話が僕のお酒の席ではよく起きる。これまで累計何本の"眼鏡"を失くしただろうか。僕にとって"眼鏡"を失くすということは、自分の携帯を失くすことよりも、自分の財布を失くすことよりも、海外旅行中に現金を擦られることよりも精神的に辛い。なぜなら、同じ顔をした"眼鏡"を再び手にすることは極めて難しいからである。「それだけ大事なら飲み会の時はかけてくるな。」と友人に散々言われた結果、今では飲み会の時はコンタクトを着けるようにしているが、今回は反省の意も込めて僕の酔いの深度と"眼鏡"の関係について考えてみる。
成熟期(深度1)
飲み始めでは、お酒も入ったばかりで酔いがなく、"眼鏡"のずれを気にするくらいの余裕はある。その度に僕は自分の着けた"眼鏡"を「今日も素敵だね。」と誉める。また、友人に"眼鏡"をいじられた時には、「僕の"彼女"をバカにするな!」と擁護に入る。この時の僕と"眼鏡"はまるで付き合いたてのカップルが互いを想うように一心同体の関係なのだ。
安定期(深度2)
飲み半ばで酔いもそこそこ周ってくると、"眼鏡"のずれが気にならなくなる。お酒を飲みながら交わす友人との会話に夢中になり僕の"眼鏡"への関心が薄れていく。しかし、お手洗いで鏡越しに顔を合わせた時には「大丈夫。」と互いに一安心する。その意味では、僕らの関係は付き合ってしばらくの安定したカップルに近いのかもしれない。
倦怠期(深度3)
飲みの終盤に差し掛かると、"眼鏡"の存在が全く気にならなくなり着けている感覚も失われる。お手洗いで鏡越しに"眼鏡"が何か訴えかけてきても目すら合わさない。まさにお酒を飲んで彼女からの連絡を全く返さないただの酔っ払いである。この頃から僕らの関係は危うくなり始める。
破局(深度4)
飲みの終盤になると、"眼鏡"が鬱陶しくなる。おそらくお手洗いの度に鏡越しに「しっかりしなさい。」と僕に言ってくれているのだろうが、僕も手が付けられない状態で「うるせぇ。」と反論し終いには"眼鏡"を外す(※)。当然こんな好き勝手をして彼女から僕に戻って来てくれる訳もなくそのまま破局となる。
※なぜ外すのかは自意識が失われている時の出来事の為自分でもわからない。
破局後(深度"0")
"眼鏡"を失った後には「なんであんなにお酒を飲んだんだ。」と激しく後悔する。ごく稀に彼女がお店で待ってくれていることもあるが、大抵は愛想をつかしてどこかへ行ってしまう。後悔してももう遅い、自業自得なのだ。
これからは飲み過ぎを抑えることはもちろんのこと、一本一本の"眼鏡"を大切に扱っていこうと思う。眼鏡に限らず自分の身の回りのモノは家族や友人、彼女と同じくらい大事にしなければならない。
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