結婚24年目、家出決行
コロナ離婚って言葉を見聞きすることが増えた。
夫は4月初旬からテレワークで毎日家にいる。次女はゴールデンウィーク明けからオンライン授業開始、てことで家にいる。
家にいるってことは、家事をする人員が増えるってこと。もう大人なんだし、立派な戦力…のはずが。何もしない。言えばするけど、いちいち言うのは面倒だし、言ってもいい顔されないのは、気分が悪いもの。
夫は洗濯物を毎日干すようになった。私はいちいちありがとうと言う。言いながら、私は家事をしてもありがとうと言われたことなどないことに気づいている。
洗濯物を干すことで、他の諸々の家のことについては、免除されていると思っているのか。洗い物は気分が乗ればする。それで、だったそれだけで、立派に家事参加しているつもりのようだ。
でも違うねん!そうじゃないねん!と大声で叫びたい。洗濯物干し、食器洗い、そんな立派な名前のない家事が、山のようにある。夫は単身赴任の経験があるので、一通りの家事はできる、はず。でも違うねん。一人暮らしと複数人で暮らす家の家事は。さっき掃除したところが、私ではない誰かによって汚される、さっき洗い物をしてシンクを綺麗に磨いたのに、洗いものが置いてあったり、キッチン周りが水浸しになっている、そういうことが、ひっきりなしに起きるのか、複数人で暮らす家の家事の実態なのだ。
そして。18年前、5歳3歳0歳の3人の育児と家事で、気が狂いそうな毎日を過ごしていたころ、週末休みの夫は、資格試験だの、鬱病だのと言って、ほとんど頼りにならなかった。いちばん助けてほしいときに、助けてもらえなかった記憶が、テレワークで毎日夫と暮らす日々の中で、鮮やかによみがえってきた。
いっそのこと、家を出たら、家事の大変さを思い知るのではないか、思い知ればいい、と考えてみたものの、もう娘たちはほぼ大人で、いざとなれば、家事くらいできる。あの頃の苦しさを夫に体験させるには、もう手遅れだ。
そんなことを考えだしたら、家事のすべてが嫌になった。ボイコットするにも、家にいては無理だ。何もかもに目をつむることはできないことは、目に見えている。長年の習慣とは恐ろしい。
私が家を出たら、散らかった家、埃だらけの家を見なくて済むし、家にいないのだから、家事をしたくてもできない状況に持ち込める。
そんなとき、宿泊費無料、2か月限定の求人情報が目に入ってきた…これや!
2か月間、自分のことだけ考えていられる。食事の支度も掃除もしなくていい…むふふ。赴任する土地の観光情報とか、お食事処とか、検索したりして。
そこで、はたと気づいたのは、子どもを産んでから23年半、いちばんやりたいことをしてこなかったということ。基本的に、いつも家族の生活リズムに合わせるために、2番目にやりたいことを、いちばんやりたいことだと思い込んでいたことに気付いていなかったなんて。
フルタイムで働けば、仕事プラス家事負担が全部私にかかってくると、思っていたから、本当は思い切り働きたいのに、週3日で、夕方4時には家に帰れるような仕事ばかり探してきた。
そんな選択をできたのは、夫が生活できるだけの稼ぎを持って帰ってきてくれたから、だということは、重々承知しているし、感謝もしている。
いちばんやりたいことを選択してこなかったのは、100%私の責任だ。人生の選択、誤った、と悔やんでも、時は戻らない。まだ間に合うか?
とにかく、本当は家事なんてしたくない、という、今いちばんの私の願いを叶えてあげたい、そう思って、夫に2か月間、出稼ぎに行く、と告げたら、サッと顔色が変わった。それからは、ほとんど口もきかず、大変ご機嫌が悪い。以前の私なら、夫の顔色を伺って、言ったことを後悔したと思う。
そして、2か月間家を空けるなんて、とんでもない、と考えた…いや、思いつきもしなかったから、今こうなってるんやった。笑
だけど、夫がご機嫌麗しくないのは、夫の問題だ。無視されたりして気分は良くないけど。今は、私にいちばんやりたいこと、今までやりたくてもできなかった願いを叶えてあげることに集中するのだ。
良いか悪いか、正しいか間違っているか、それはわからない。だけど、23年半、家族に時間と労力を捧げてきたのだし、2か月家を空けたところで、バチも当たらないだろう。
いきなり離婚切り出されるより、ダメージは少ないはず…
続く