胡桃の木を植えた人
昔は雨が降るたび溢れたという川。
住宅が多い方へ行くと両側がコンクリートで固められていました。
そこを里山風の景観にして、遊歩道を整備。いろいろな木を植え、元からあった林もあって、たくさんの小鳥が羽を休め、川にはハヤやドジョウが、カルガモやカワセミが子育てするようになりました。
最近、はじめてクルミの実を拾うことができました。
20年以上もここに住んでいるのに、クルミの木の下をよく通っていたのに、数年前まで気づくことがありませんでした。
初夏、長くてぶら下がる緑の花を見て、調べると鬼ぐるみと図鑑にのっています。
夏休み明け、9月の台風の頃には、鈴なりの大きな青梅のような実がたわわに実っていました。
数週間前、散歩中に友達になった人が「クルミが落ちてるよ」と教えてくれました。教わってから天気が良くなかったので数日後、はじめてクルミを拾いました。
身を割って種を出し、タワシで洗って、空炒りして割って…。
大喜びで何日か拾いに行きました。
拾っていると、通る人に声をかけられます。
「懐かしい!クルミは子供の頃よく拾ったよ」
「反対側も見た?」
「あら、クルミいいわねぇ」
「むくの大変だね」
通りがかりの人たちが目を細めていました。クルミだと知っている人がたくさんいた。
昨年のことです。
道の脇の花壇を手入れしている人と、そばにあったクルミの木の話になりました。
この木はこの辺の地主だった人が、川の整備の時に、記念にと植えたんだよ。その人はだいぶ前になくなったけど、その奥さんが何かというと「この木はうちの人が植えたんですよ」と何度も言っていたなぁ。
クルミの木を植えてくれた人は、ここを通るたくさんの人がこんなに喜んでいるところを見たのだろうか?
その人の奥さんは誇らしかっただろう。拾ったクルミのかすかにさわやかな香りと木の実のコクと甘さに、なんだかジーンとして、お礼が言いたい気持ちになりました。
こういう時は、こっそりワンカップ大関だ!
ということで、人気のない時にクルミの木と植えてくれた人に、なんちゃって御神酒をお供えしようと決めました。
けっこう大木なので、ちょっと離れたところなら大丈夫だろう。心意気は伝わるだろう。来年もたくさんよろしくお願いいたします。
種を蒔く、苗を植える、育て、世話をし、見守って途中で誰かにバトンタッチ。誰が植えたのかわからないけれど、その下で後を生きる人が喜んでいる。子供たちが遊んでいる。みんなが忘れてしまっても、クルミの木は覚えている。
拾った胡桃を全部食べてしまったことに後悔しました。あの種を煎らずに植木鉢に埋めたら、硬い殻を破って芽が出るのか、一つくらいやってみればよかったなぁ。来年ね。
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