原因不明の痛みを抱えた人への、家族の接し方

20年ほど昔、原因不明の眼痛で悩んでいた時の経験からのメモ。
【結論から言うと】
こういう時、周囲がプラスのアドバイスをするのは難しいが、マイナスになる事を言わない事ならできる。「前向きになれ」「病気の事を調べるのはやめたら」といった、余計な一言を言いたくなっても我慢する。それだけで、本人の辛さを減らすことができる。


■「目の事を調べるより、前向きになれるような本を読む方が良い」というアドバイスは、かえって辛かった。


「原因不明=ものの考え方が原因」ではない。実は遠視などが原因なのに適切な治療に出会えていないだけ、という事もある。前向きになったら目の痛みが楽になるわけではない。

■「たとえ良くはならなかったとしても、気持ちを明るく持てば感じ方が違う。気にすると、余計にしんどくなる」も辛かった。


気にしなくても常に痛みはあるので、慢性の疼痛を抱えている人に「前向きになりなさい」は酷だと思う。前向きに考えることぐらい、本人はすでにそうするように必死で努力しているし、むしろそうでもしないと生きていけない。

そしてどんなに楽しい時でも目は痛くなるので、物事のとらえ方を変えたら眼痛が弱まるわけではない。「気にすると却って痛みが気になるようになる」なんていう、生易しいものではないのだ。

■前向きになる努力ぐらい、とっくにしている。


内面のがんばりは家族からは見えないので、「もっと前向きになればいいのに」と歯がゆく思うのだろうが、本人の努力は外からは見えない、という事を知ってほしいし、言いたくなっても我慢した方がいいと思う。

もし言いたいなら、「もうすでにがんばっているとは思うけれど」のような、前置きの一言がほしい。これがないと、「あなたはこういう事ができていない」というメッセージにしかならない。
(うちの家族は、こういう一言をそえないので、「前向きさが足りない」というメッセージにしか聞こえない。だからとてもしんどかった。)

■病気について調べることを、否定しないでほしい。


こういう時は、「痛くても、その中でできる事をしていく」という事も大事だが、さらに、「本当の原因を求めて自力で調べ、相談先を探す」という事がもっと大切だ。

病院を変えただけで解決したという事例は、さほど珍しくない症例でも、よくある事だ。そして珍しい症例ならなおさら、たまたま行った病院で適切な治療に出会える事は少ない。
だから病院で解決できない時は、自力で解決策を探る必要がある

家族から見て、本人が必要な調べものをしているという事が、理解できなくてもいい。「調べるよりほかの事をしたら?」などという言葉を、言いたくなっても我慢してほしい。
本人の辛さをやわらげることができる。こういう時、プラスのアドバイスをするのは難しいが、マイナスになる事を言わない事ならできる。

実際、あの頃もっと弱い+0.25のメガネを自己判断で作って、遠くがぼやける時にかけてみた上で、「これを常用しても問題ないか」と眼科で相談していれば、ひどい眼精疲労から救われただろう。人生変わっていたと思う。

当時は今ほどインターネットで何でも調べられる時代ではなかったのもあるが、自分の思考の広げ方が足りなかった。「遠くがぼやける」=「ほぼ正視であっても、遠くを見るにも遠視用メガネをかけ続ければ良いのではないか?」と、思いついて試していれば…と悔やんでも悔やみきれない。

あらゆる可能性をノートに書き出して、思いつくものを全部試して、弱い遠視を相談できる眼科に出会えるまで、病院を変えながら聞いていくことでしか、解決の可能性は見つからなかった。

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