レコードと部屋と彼18 -マッチングアプリで3週間の本気の恋をした話-
彼は自転車に乗って駅に迎えに来てくれていた。
家から最寄り駅まで、歩くと20分ほど。行き帰り歩きだと結構な距離になる。
彼は先週、私に寝間着替わりに貸してくれた、可愛い金魚柄のTシャツを着ていた。
「イメチェンするの、好きなんだよね」
細身の体型には、何でも良く似合った。
自転車は木梨サイクルで買ったという、小型のこれまた可愛らしいサイズのもの。
「木梨サイクル、好きなんだよね」
彼のエレキギターにも木梨サイクルのステッカーが貼られていた。
好きなものを語るときの彼が、私は好き。
彼が自転車をおしているなら、手は繋げないかな。そう思って、ちょっと残念だった。
夜に歩いたときよりも、閑静な住宅街の品格が漂っていた。桜並木が道に濃い影を作り、夏の暑さをやわらげてくれていた。
たまにすれ違う人と車。細い道のわりに、交通量がある。
買っておいてくれたもので料理できるか、確認してみる。帰りしなに買っていってもいいよねって話してたから。
とりあえず、帰って材料見てからにしよう、ということになった。
彼の部屋までの道のりの半分くらいを過ぎると、道がもっと狭くなる。
そのあたりで、彼が私の手を握ってきた。
指を絡ませた、恋人繋ぎ。
昨夜、夜勤のバイトに行くときの話をしてくれた。
いきなり、見知らぬ男の人に声をかけられた、と。バイクのフルフェイスのメットを手に、焦った様子で懇願してきた。
「蝉が怖いんです。でも玄関の前から蝉が退いてくれなくて。蝉、追い払ってくれませんか?」
一人でどうにかできなくて、友達に電話でどうしたらいいか相談しているところへ、彼が通り掛かったらしい。
ものすごく不審な感じだったけど、部屋の前まで行って蝉を追い払ってあげたらしい。
「よく、知らない人に声かけられるんだよね」
何か、話しかけやすい雰囲気があるからだろうか。この人なら、どうにかしてくれるかも。話しやすそう、みたいな。
普通に生きてたら出会わないような、不思議なことが起こる人のようだ。
そんな話をしながら彼の部屋へ向かう間、私の頭の中は彼に抱かれることでいっぱいだった。
長く一緒にいられるなら、たくさんしてほしい。
部屋についたら、すぐ抱いてほしい。
彼もそう思ってくれているだろうか。
彼の話を聞きながら、気持ちはすでに彼の部屋の方。
二度目の道のりは、思ったほど遠く感じなかった。あとどのくらいっていうのが分かっているからだろうか。
部屋についたら、クーラーがついたままで、涼しい部屋に落ち着いてほっとした。
炎天下で歩いたので、軽く汗ばんでいる。
ソファーに座ったらキスをして、そのままそこでセックスした。我慢できなくて。愛しくて。
終わった後、彼が眠そうだったので、膝枕をしてみた。彼の豊かな黒髪や伸びてきた無精髭をさわりながら。
髪の量、多いね。いいね。
「そうだね、心配はいらないね」
無精髭、チクチクする。
「伸びてきたね。明日は剃らないと」
無精髭が伸びてきてる感じは幼い印象を残した彼の顔を少し大人びて見せるので、好きだった。
他愛ない会話を交わしたあと、服を着て。彼は部屋着に着替える。私も楽な服を借りてそれに袖を通す。あれ、今日は可愛い格好してきたつもりなんだけど、この部屋に着くまでしか着てないじゃん、その服。私が何着てても気にしないのかな。彼はどういう女性が好みなんだろう。そういう話はお互い、全然していない。
ここは、彼の部屋の中だから。彼のテリトリーの、中。彼のルールに沿って、彼のスピードに合わせてみる。私は彼の顔色を窺い、何が正解かを探る。彼も、いろんな会話や私の行動の中から、私を探っている。
自分に合うのかどうか。
2度目に彼の家に行った日は、長く一緒に居すぎたんだろう。知り合ってまもなく、まだお互いのことをよく知りもしないのに。
好きになってしまったから。
少しでも長く一緒に居たかった。
それがきっと、間違いだった。
付き合ってもいないのに。
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