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長門湯本・俵山 温泉旅行8

今回は、金子みすゞ記念館の話
長門湯本から仙崎漁協前バス停までバスで移動し、そこから少し歩くと金子みすゞ記念館へ着く。

前回は迫力満点な瓦そばと上品などらやきの話
長門湯本・俵山 温泉旅行7

「金子文英堂」の文字がある建物が金子みすゞ記念館の入り口だ。

金子みすゞの実家跡に書店「金子文英堂」を再現してある。
たくさんの本積まれていて、手を伸ばして読みたくなってしまうが、展示品のため触るのは厳禁だ。

「金子文英堂」は写真撮影は可能。

2階には、金子みすゞの部屋を復元している。
この部屋は立ち入り禁止だ。

2階には金子みすゞの部屋の他にも、みすゞの実弟である上山雅輔コーナーがある。
「へぇ、弟さんがいたんだ~」と軽い気持ちで見ていたが、この後の記念館で金子みすゞの生涯を見て衝撃を受けた。

奥へ進むと本館があり、ここには、金子みすゞの生涯を知る事が出来る常設展示室と、金子みすゞの詩が飾られたギャラリーがある。
展示室とギャラリーは撮影は禁止、1ヶ所仙崎の人々の写真で作られたモザイク画だけ撮影が可能だ。
館内のスタッフの方に「ここだけ撮影OKなんですよ!撮って行かれません?写真撮りましょうか!」とすごい勢いでおすすめされた。

離れて見たら写真のようにしか見えないが、近づいてみると顔写真の集まりだということがわかる。

金子みすゞといえば、「わたしと小鳥とすずと」や「こだまでしょうか」などの詩で知られている人物だ。
勝手に、朗らかで楽しい人生を送ったイメージを持ってしまっていたが、常設展示室の各時代の出来事を見ると、波瀾万丈な人生に驚いてしまった。

山口県の仙崎に生まれ、子どもの頃から賢く成績優秀だが、詩「女の子」を読むと少々おてんば娘でもあったらしい。
幼くして父を亡くし、弟は養子に出されることになる。
女学校に入学し、友達と一緒に文学を楽しむなど、とても楽しそうな様子が見える。当時の女学校というのは、成績が優秀なだけでは入学できず、家が裕福である必要があった。
みすゞが16歳の時、母が弟の養子先の父親と再婚し、離れていた弟と度々会うことになる。この弟が、記念館の2階で見た「上山雅輔」のことだ、つまり実の弟は表面から見ると実弟→従姉弟→義弟と変化していったのだ。
20歳になると、仙崎から当時は大都会であった下関へと移り、小さな本屋で本に囲まれながら店番をする。「金子みすゞ」のペンネームで投稿し見事に四詩全てに掲載される。さらに、結婚が決まるなど、順風満帆な日々に見えるが、ここからみすゞの生活は変わってしまう。

この結婚に、義弟(といいつつ実弟)の上山雅輔は反対、実は彼は弟でありながら姉である金子みすゞに秘かに恋心を抱いていたようだ。
みすゞは文学、弟は音楽を勉強しており姉弟だから話が合うのも理解できるし、お互い元々従姉弟として会っていたのだから仕方がない所がある…切ない。
そんな弟に、みすゞは自分達は実の姉弟であることを告げる。
弟は、みすゞが結婚した後も手紙でみすゞを励ましていたみたいだ。

金子みすゞの夫、なかなかのクズ、別れ話が上がるもののみすゞの妊娠が発覚し娘が生まれる。
みすゞは、夫に詩作と投稿仲間との文通を禁じられ、さらにこの頃から体調を崩すことになり、最後は自殺している。

自分が想像していた「金子みすゞ」像と全然ちがっていた。

複雑な気持ちでギャラリーの詩を読んだ。



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