日々、宝さがしを始めた理由
自分にとって、ワクワクすることって何だろう。
38歳の「自分探し」みたいですが、少々お付き合いください。
数カ月前にインスタグラムを再開しました。
衣食住、手作りのこと、色々なハッシュタグを付けて投稿してみますが、うーん。
素敵な暮らしをしている人、センス・技術に優れた人、本当に、たくさんいらっしゃる。
ここでいったい私は何を発信したいのだろう。
テーマを決めてみようと思い、たどりついたのが「日々、宝さがし」。
見つけたもの、作ったもの、古いもの、譲られたもの、拾ったもの(!)
新しいものを買うことは好きですが、じっくり選んだものを長く使うこと、捨てられそうなものを再生すること、リサイクルショップや蚤の市で奇跡的な出合いをすること。
そちらのほうに喜びを感じます。
正直、ちょっとカッコ悪いように感じていたのですが、等身大でいきます。
これは育った環境によるところが大きいのかもしれません。
・プーマのスニーカーが欲しいと言ったのに、不格好なシルエットのマーク&なんだか違うロゴの格安スニーカーを父が買ってきた(半泣き)
・ドライヤーで髪を乾かすという行為を知らなかった(ティーン誌を読んで気が付いた)
・友達の家でカップ&ソーサーを出されて衝撃を受け、食器棚の奥から贈答品を見つけ出し、ノベルティー的なマグカップは排除した。
すべて小学生のときのエピソードです。笑
市民運動に熱心な父のもと、食の安全、人とのつながり、読書などの知的活動は啓蒙されてきました。
一方で、美容やファッションなどにお金を使うのは無意味、日用品にこだわる必要はない。と、そちらは、とことん節約志向。
「きれいなもの」に恋い焦がれた私は、ストライキと創意工夫を繰り返し、
大人になって、さあ好きな服を買って、好きなものに囲まれて暮らすのだ!と解放感。
ところが、欲しいものをお金を出して手に入れることは、心浮き立つのに、どこか、かすかに罪悪感。
これを「呪縛」だと思っていましたが…。
祖母(父の母)は、スイカの皮と実の間の白い部分を油揚げと煮て総菜にし、たぶん終生ラップフィルムを買わなかった節約家。
そして、古い着物や洋服で、私たちの服やリカちゃん人形の服まで作ってくれた、とても器用な人でした。
その娘(叔母)も、器用に工夫して手作りの暮らしを楽しむ人。「サラリーマンの妻は''小さく暮らす"」と、いつも説かれます。
もはや、DNAレベルですり込まれているのかもしれません。嫌だと思っていたのに、意外と、そこが楽しみの源だったようです。
長い不況の時代にも強いですしね。
小さな楽しみ、発信していきます。