母たちのホワイトデー
息子は小学2年生。それが義理チョコであれ友チョコであれ、バレンタインデーにチョコレートをもらってくると、私は嬉しい。 そして、同年代の女の子が「可愛い」と思ってくれるようなお返しを選びたくて、つい張り切ってしまう。
折よく、手芸用品を買いに行った昭和の趣残す銀座のビルに、アイシングクッキーの店を発見。リサとガスパールのクッキー&マシュマロを見つけた。
これで、混雑する百貨店へ行かずにミッションを果たせてラッキー。
時世もあるが、人口密度の低い土地で育ったので、もともと人混みが苦手だ。
昨年は、休校期間を挟んだので賞味期限を重視し、ゴーフルの老舗でキティちゃんのミニ缶を選んだ。
ふと、小5のときの記憶がよみがえった。 好きな男の子に手作りチョコを渡し、ホワイトデーに赤いキティちゃんの箱入りクッキーをもらったのだ。
サッカーと水泳とスキーが上手な、人気のある男の子で、私の家の前に来たときには、横に付き添いの男子が2名。自転車のカゴには、同じキティちゃんが4、5個積んであった。
モテるのは知っていたけれど、さすがに1人で配れる量でしょ。 マネージャーは必要? ジャニーズか羽生結弦か? いまならツッコミを入れたいところだが、そのときは嬉しくて満面の笑みでお礼を言ったはずだ。
チョコを男の子に渡すなんて、恥ずかしくて親には絶対に言えなかった。
毎年、父・祖父・おじ・いとこに手作りするチョコ菓子の中から、形の良いものをティッシュに包み、泥棒のごとく自室へ持ち去り、ラッピングした。
したがって、お返しを受け取るのも、忍者のごとき慎重さで行われた。
無事に部屋へ持ち帰ったクッキーをそっと開け、音も立てずに味わうと、いろんな考えが浮かんだ。
家が近いとはいえ、最初に私のところを訪ねるなんて、ミャクがないのでは?
でも、一律同じキティちゃんの赤い箱で、差はつけられていない。
いやいや、あの中に一つだけ本命があったのかも!?
ホワイトデー後も、その子が誰かとラブラブになった気配はなかったので、「該当者なし」の参加賞みたいなものだったかもしれない。
いまとなっては、知る術もない。
ひとつだけ、いまだから思うのは、あのクッキーは紛れもなく「おかんセレクト」だったということ。
小学生男子が、ともするとレジ係に級友の母親がいそうな地元の店で、赤いキティちゃんを、いくつも買うことは考えがたい。
なぜかはっきりと思い出せる、肝っ玉母さん然とした、その子の母親が笑った気がした。
当時、そんなことは考えもしなかった。
「好きな人から手渡されたクッキー」というだけで、ごく普通のバタークッキーは、それ以上の味わいがした。食べ終えると、ところどころがセロファンになった空き箱を平らにして、学習机の引き出しの奥の奥にしまった。個包装ではなく、じかにクッキーが入っていたので、内側を拭ってもバターのようなバニラ香料のような香りが、しばらく残っていた(!!)
その子のことを思って一喜一憂したり、お返しをもらったというだけの事実を、自惚れに引き寄せてみたり、失望して嘆いてみたり、量産品のクッキーの箱が、それ以上の意味を持ってしまったり。
大人になってからも、恋をしたときの気持ちは、小5のときと変わってない。我ながら、あきれるような、切ないような気持ちになる。
なんと私は、その箱を中2の引越しのときまで持ち続けていた。
中学生になると、性懲りもなく別の恋に走ったはずなので、その箱を完全に「捨てそびれた」のだと思う。
大人のように、「都合の悪いゴミ」を秘密裏に処分する方法がなかったのだ。(「都合の悪いゴミ」って!?)
すっかり小5ノスタルジーに浸りきった私は、息子に口やかましく言ってしまう。
「手作りのお菓子をくれた子は、おいしかったかどうか気にしているはずだから、ちゃんと感想を伝えたほうがいいよ。誰もいないところでね」
缶入りを選んでしまったが、形に残るものは迷惑だったかな。少しだけ気がかりだったが、昨年、放課後に公園でお返しを渡した息子が、帰宅して言った。
「お父さんも一緒だった」
「お・とーさん!? ちゃんと挨拶できたの!?」
またまた、口やかましく言ってしまう。
いまやバレンタインは、オープンな時代なのかな?
「おかんセレクト」は来年で卒業するつもりだ。お返しのひとつくらい、心を込めて自分で選べる人間になってほしい。
いや、毎年もらえるとも限らない。それについても関与しないつもりだ。
はたして、できるだろうか。