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GQuuuuuuXジークアクス考察11番外編 ガンダムの展開戦略(トミノメモって何なのさ)
トミノメモとは?
機動戦士ガンダムのTVシリーズは、スポンサーの玩具販促という意図で制作されました。
視聴者にはイマイチ伝わりにくかったのですが、当時のTVアニメにも収益構造がありました。今で言う「推しの作品の円盤を買う」が当時は「推しの番組の提供会社の玩具を買う」だった訳です。以前書きましたがガンダムのTV放映当時にはまだガンプラは存在しません。
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で、ガンダムはスポンサーの以降で43話で打ち切りが決定されます。玩具がまあまあ酷いので、「この玩具じゃ無理じゃない?」と思いますが。
52話ある前提のストーリーライン(オリジナル構想)
43話で終わるストーリーライン(実際のテレビ展開)
本来は構想通り展開する筈だった物語展開が、短縮された形となった訳です。これについてはガンダム人気が高まった後で詳細が伝えられ、当時の冊子「ガンダム記録全集5」にて概要が掲載されました。これがトミノメモであります。
形態としてはいろいろな形で構想があったわけですが、実際には実現しなかった未来です。数年後だと後出しジャンケンになってしまうという意味も含めて、冊子資料化されたものが全てです。
トミノメモ(の掲載されている冊子)である「ガンダム記録全集5」は私も中古購入したので内容をご紹介しようと思いました。が、既によくまとめられた記事がありましたのでここでは紹介するに留めます。
結局、トミノメモとはなにか。世に生み出せなかった作りての夢の名残といえます。
GQuuuuuuXとトミノメモの相関関係
GQuuuuuuXとトミノメモの関係性で明確なのは、「キケロガ」の存在です。トミノメモのキケロガはサイコミュ搭載MSと読み取れるので、MAであるブラウ・ブロと外見が等しいGQuuuuuuXのキケロガとはまた異なるのですが。
因みにトミノメモではマ・クベ専用MSがギャンでなくハクジだったり、ゲルググの扱いが違うなどもあります。GQuuuuuuXではマ・クベが健在というか隠然たる勢力を秘めた軍の重鎮として描写される(会話に登場する)ので、ルナツーの司令としてマ・クベ中将が最前線にいそうな雰囲気です。エギーユ・デラーズのザクのように、象徴としてのハクジ(ギャンの改造型)はGQuuuuuuXにも登場するかもしれませんね。
またトミノメモではゲルググ的立ち位置の新鋭MSは「ガラバ」です。これは恐らくガルバルディの原型でしょう。(アクトザクはプラモベースのMSV由来です)
GQuuuuuuXにおけるガンダムの量産機は存在が年表などで明言され、ジム・スナイパーとよく似た風貌のMSがソロモンに登場します。強襲揚陸したペガサス級から出撃するザクを支援するように、艦内の出撃ハッチの天井に逆さまに張り付いています。一瞬なので言われないと分かりません。
この量産型、ゲルググ、ギャン、ガラバ、ガルバルディ、どの名前もありえます。キケロガという名称がGQuuuuuuXで採用された以上、名称の差別化という(プラモなど関連商品展開的思惑からも)量産型ガンダム=ガラバというのはそれなりに可能性がありそうです。
以前書きましたが、ザクはサイド6に輸出されています。この点からも、ジオンの主力兵器はこの量産型ガンダムに切り替わっている可能性が高いと考えられます。そう、ガラバ(仮)に。
トミノメモでの戦争の結末
トミノメモ版のガンダムの最終局面は、殲滅戦です。敵を全滅させて終わるという凄惨な展開。イメージとなっていたのは恐らく第二次大戦における「ベルリンの戦い」でしょう。ナチス・ドイツの首都であるベルリンまで兵火が及び、ヒトラーが死ぬ(服毒自殺)事でドイツは終戦を迎えました。
ただGQuuuuuuXではそのような物語展開を辿りません。MSだったキケロガはMAの名前となり、一年戦争はジオンの敗戦ではなく勝利で終わっています。ですので、第三の道が選択されていることは明らかです。
ファンが支えた劇場版ガンダムという活路
劇場版ガンダム3部作でも、TVシリーズのガンダムの総集編という体裁が取られました。これについては「本当に3部作を作れるか分からなかった」という裏事情もあるようです。
その証拠として、本来は単品で終わるはずだった劇場版ガンダムは「機動戦士ガンダム」であり、後の作品と異なりナンバリングされていません。当初から3部作構想なら、「ガンダムⅠ」でなければならなかったはずなのです。
富野由悠季監督としてはTV版の総集編的性格をもたせる事で単発映画で終わらせない選択を取ったのであり、新規カットやスポンサーの玩具との整合性が強いGファイターがコアファイターに置き換わるなどの修正が施されました。ただファンのためにも、基本ストーリーは踏襲されます。この辺りはVTRがあまり広まっていない時代でもあり、「ガンダムを見れなかった層にガンダムを伝える」この事が映画の目的とされた面もあると思います。
結果的にガンダムの劇場版はファンに受け、劇場版ガンダムの続編制作も無事に決定されます。後世から見ると、映画は興行収入が全てであり実際に劇場に足を運ぶ観客動員数という指標が、「ファンに推戴されるガンダム」という実態と相性が良かったのでしょう。これがGQuuuuuuXなど近年のガンダム展開戦略の布石につながると考えられます。
劇場版ガンダム3部作の次に作成されるガンダムの劇場版は(SDガンダムなどを除いた富野由悠季監督の作品としては)「逆襲のシャア」を待つこととなります。
もしこれが今の世の中であれば「TV版で断念した構想を、映画として実現させましょう」富野由悠季監督がそう制作陣から提案される。そんな展開もありえたかもしれませんね。
当時のTVアニメの収益構造
劇場版ガンダムⅢ部作が終了し、サンライズ制作のテレビ番組の「聖戦士ダンバイン」がスタートします。ダンバインはガンダムとの差別化が明確に打ち出されて、ガンダムと違う作品でのヒットを狙うものでした。
ただ残念ながらガンダムを望んでいたファンと、収益の別の柱と期待されたダンバインはマッチしませんでした。これはプラモデルを含めた玩具の売上不振という形で現れます。
ガンダムを支えたスポンサーの玩具メーカーのクローバーは倒産。ガンプラブームの恩恵を受けたバンダイにより放送が支えられる事になります。
この事実を象徴する出来事として、後半から主人公機体がダンバインからビルバインに交代します。これはガンダム色を打ち出して玩具を売りたいスポンサーの強い意向が働いたとされます。
劇場版ガンダムではファンの支持が追い風となりましたが、TVシリーズでは新規シリーズの展開はリスキーでした。ダンバインの作品の質に起因する問題ではなく、📺アニメの主体は玩具販売であり続けた為です。この辺りはTVアニメ文化が未成熟だったからこそ発生した、経営のミスマッチと言えそうです。
時代的にアニメ単独の人気では商売になりづらかった。戦隊モノや仮面ライダーの変身ベルトやウルトラマンの怪獣フィギュアなど、スポンサーの玩具の売上は大きいとされます。その売り上げがスポンサーにとって大きな制作動機となり作品内容に口出しするきっかけとなります。富野由悠季はスタッフやスポンサーの思いを背負いながら、凄まじい苦労を積み重ねて作品を世に出されたのだと思います。
TVアニメにおける作品テーマと雰囲気の理想を模索する動きは以後も続きます。ガンダムの正統続編として大ヒットしたZガンダム。「子ども向けに明るい雰囲気を」として始まったZZガンダム。それまでのガンダムの集大成として企画された「逆襲のシャア」が生み出されることになるのです。
TVアニメを単体作品として評価する
TVシリーズの作品が作品として評価されるようになったのはいつ頃からなのか。やはり、観客として育った世代がテレビ局やスポンサー企業に就職して実務を担当したり、或いはファンが直接支えるOVAという形でアニメが直接世に出る様になってからでしょうか。
しかし「アニメファンの手でアニメ制作を支えよう」という形でスタートしたOVAは結果的に失敗します。見たい人だけ買えばいいという方式は、一見正解のようです。
が新規開拓に繋がらず市場が拡大しないことが原因だったのではないでしょうか。レンタルVHSや、レンタルDVD、そしてサブスクリプションという手段が市場に用意されてはじめて、作品が質で勝負できる時代が徐々に整備されたのだと思います。
最近までアニメ映画は「制作ご苦労さん」作品
また後年明らかにされましたが、90年代あるいはは00年代までアニメ映画化は「制作ご苦労さま」的な報酬意図も多かったそうです。人気作や長寿作品を作ったつくり手に報いる要素が強く、それは(詳細は知りませんが)収益構造的に良かった為でしょう。
「ふしぎの海のナディア」の映画版など、NHKアニメとしてガイナックスが手がけたテレビシリーズの映画版としては実にお粗末でした。ガイナックスが中抜きして他社に丸投げした作品であり、期限が迫った中で担当させられたスタッフが気の毒な状態だったと伝わります。
このようなアニメ映画はファンサービスの体裁ではあるものの、内容的には微妙な作品も多かったのは否めません。作家性を全面に出して成功したのは一部のクリエイターに限られていました。漫画家の作品なのか、アニメの演出家や監督の作品なのかという話もつきまといます。
映画999、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、これらの作品はTVアニメの長編映画化として代表作として取り扱われますが、質についてはむしろ例外なのかもしれません。
鬼滅の刃のように本編の一部をを映画として展開するというのは比較的最近の手法です。テレビで展開したほうがいい話(じっくり浸透)、映画で展開したほうがいい話(長時間の見せ場を切らせない)を自由につくり手が選択できる時代として歓迎したい流れと言えます。(もしかしたら宇宙戦艦ヤマトが先例かもしれず、そういう意味では再開発という趣旨かもしれません)
鬼滅の刃以外でも『原作に存在する重要箇所だけれど、TV放映は憚られるセクシーなシーンは映画でやる』という解決が図られたりしています。環境が成熟するのに従って、アニメ業界もまた発展を遂げているのでしょうね。
GQuuuuuuXは「鬼滅の刃」以後だから出せた
ちょっと脇道にそれましたが、GQuuuuuuXは鬼滅の刃以後だから世に出せた作品だと思います。人気が出そうなアニメ作品のTV先行公開という先例はこれまでもないではないと思いますが、やはり「鬼滅の刃」の世界的大ヒットに負う所は大きかったのではないでしょうか。
これは正直言ってスタジオカラーの擁するクリエイターの中でも、作品制作速度の安定する鶴巻監督だから成立する手法です。ファンを待たせることで定評がある庵野監督では難しかったでしょう。
アニメ制作のハンドリングのレベルが富野由悠季監督が「劇場版ガンダム」を制作した時代より上がっていると思います。特に「Gのレコンギスタ」でTVシリーズから劇場版5部作展開され、2022年の第五部まで全力稼働し続けた。その恩恵が制作環境の組織全般に及んだと見るのが正しいのではないでしょうか。
GQuuuuuuX前身としての水星の魔女の戦略
2022年放映開始の「機動戦士ガンダム 水星の魔女」は細かな仕掛けがGQuuuuuuXと似ています。GQuuuuuuX自体日テレが関わっており、TVシリーズも水星の魔女の後番組として見るのが正しいでしょう。
これは世にガンダム作品を出し続けるという他のシリーズアニメ媒体でも見られる戦略の踏襲と考えられます。具体的には「子供にとって小学一年生、中学一年生でいられる年はその年しかないので、そこに空白が生じるとその世代は作品に出会う機会を失う」という考え方です。
名探偵コナンの劇場版制作や、プリキュアなどの有名シリーズもこの考えに沿って展開されていると言われています。あくまでも巷説では、というくくりですが。
水星の魔女とGQuuuuuuXの共通項はたとえば
物語の骨格の先出し 「PROLOGUE」と「bigining」
人気楽曲提供者起用 「YOASOBI」と「米津玄師」や「星街すいせい」
プラモに限らない関連グッズ販売強化
特に若い年代に人気のあるアーティストの起用で歌から作品に引っかかってもらう機会を作る点は強く意識されています。「鬼滅の刃」とにた構造ではありますが、独自色も打ち出されて一歩進んでいます。きちんとヒット作とするべく手順を踏まれていてとても好感がもてますね。
GQuuuuuuXのガチ目な販促
逆に販促を重視し、予め販促アイテムを用意。物語最大の謎を予告編でちら見せ解禁するなど、庵野秀明氏から「早いよ」と言われてしまうほどやり手でガチで販売記録を狙いに行っています。
過去のガンダム作品はどうしてもファン人気や熱量と制作環境のミスマッチが起こりました。劇場公開したbiginingの話題や記録を以後の作品展開の根拠に使う。それが今回のGQuuuuuuXの展開戦略です。
因みに上記以外でも豪華版パンフレットも展開。よ、この商売上手!
まとめ
「トミノメモ」というのは夢の名残です。制作環境が鉄壁なら、世に生み出されていたかもしれないもの。それはファンと制作環境のミスマッチにより生じました。それだけ、ファンの熱意を活かす体制が構築できなかった黎明期の出来事です。
私が思うに、キケロガというトミノメモの名称を敢えて使ったのは夢の名残を引き継ぐという意思表示でしょう。そしてまた、もうあのような悔しい思いはさせないという意気込みにも感じます。より正確に述べると「TVシリーズをやり遂げる決意」でしょうか。
GQuuuuuuXの販促でこれだけガチになるのは、作り手には作品に専念してほしいという思いから(のはず)。ファンとしてはこの熱狂に乗るのみ。記録を目指しているようなので、以後のガンダム作品展開のためにも周回視聴を重ねましょう!
それこそが、ガンダムが世に必要とされているという、テレビ局やスポンサーへの何よりの説得材料となるはずなのですから!
GQuuuuuuX劇場版は必ずまだある
この制作陣なら、次のGQuuuuuuXの劇場版は必ず制作するでしょう。
物語の結末を映画に委ねる
biginingの連邦視点を映画に委ねる
biginingの売上は次回作を作る判断材料とされます、間違いなく。特に一年戦争の連邦視点やあの時のゼクノヴァの詳細は、客を呼び込む映画の骨格になりえます。
私の予想を超えるものも大いにありえますが、全てはbiginingの興行成績に左右される可能性があります。劇場で公開されている今、足を運んでください。豪華な入場特典だけでも、絶対に足を運ぶ価値はあるはずですから。