1️⃣本当にあった恐ろし〜い話❌早期治療の断固拒否❌悪夢の始まり
初発も、再発も、なるべく早く見つけて介入することがいかに大切か...
20XX年4月再発。
治療は?
あれ? 何故か寛解導入ではない...
そして、何度有希が「症状だけ取っても、結局のところ病勢を抑えないと、最悪の事態が起こります。」と訴えても、何故か寛解導入療法を始めてもらえない。
「そもそも、根本の病気自体の治療をすれば、確実に改善します。」と有希は何度も繰り返す。
「効果があると分かっている治療があるのですから、そちらをどうかお願いします。」と続ける有希。必要で、効果があり、文献でも推奨される治療を推しても何故か主治医に拒否される。
何故?
Dr.臼井は薄ら笑いを浮かべて吐き捨てる。「対症療法で挿管されるまでの時間を伸ばせるかもしれない。」
有希「様々な全身麻酔でも、回避できなかったのに、少量の内服薬でそのような冒険はできません。」と断る。
それでも、Dr.臼井は対症療法を勧める。「対症療法だけだと思ったら、細胞の保護作用があり、思いがけず原疾患の治療にもなることもあるかもしれない。」
有希「でも、疾患の機序は分かっています。抗体依存性に細胞が破壊されると分かっており、今まで免疫治療に反応してきました。そして、早期にきちんと治療することで、対症療法を追加せずにコントロールがついてきました。」
有希は続ける。「逆に、治療が遅れたり、免疫治療が不十分な時には、毎回呼吸不全で人工呼吸器が必要になってます。」
有希はキッパリお願いする。「免疫治療をしてください。お願いします。」
それでもDr.臼井は頑なに繰り返す、「対症療法をお勧めします。」と。
有希には、何故ここまで頑なに効くと分かっている治療を後回しにすることに拘るのかが理解できない。
Dr.臼井「今回の入院は検査が目的だから。」
有希は思う。「え、いや...... 再発したから入院したんだけど。何言ってんだ?コイツ。この医者ダメだなぁ。何を言っても会話にならない。こっちの言うこと聞かずに決めたフレーズをただ反復して発しているようだ。」
有希は策を考える。「とにかく、退院に漕ぎ着けられれば、外来でならば、病院がDPCで赤字にならずに治療できるに違いない。適切な治療に最速で漕ぎ着けるためには、退院して潜在能力は高そうな東西南北先生にお願いするのがベストだろう。この場は穏便に。」
外来主治医の東西南北先生は良さそうだった。謙虚で、分からないことをしったかぶらない。そして、駆け出しとはいえ免疫を研究している。
分からないことを分からないと言えるのは、知識があり、自分に自信がある医師にしかできないようだ。(最近では、興味ややる気がない者もいるようだから、ややこしいが)
この日を境に、有希はDr.臼井の言うことには適当に相槌を打ち、病状をマスクして対応をさらに遅らせる危険のある薬剤の使用は「考えさせてください」と答えを濁した。何度言っても話が噛み合わず、説得の術は無さそうだ。ならば、退院後いかに速やかに適切な治療に漕ぎ着けるかに注力すべきだろう。そして、それまでは波風を立てずに穏便にことを運ぶのが得策だろう。
しかし、治療が必須なのは変わらない。穏便にうまい具合に入院中に初回だけでも治療してもらわないと、退院に漕ぎ着けることすらできない。
あと一押し、争わずにあと一押しお願いして、治療してもらわないことには始まらない。
その日の午後、Dr. 臼井は寛解維持療法を前倒しで行って退院という方針を告げた。
二日間のみの治療。
そして、複数回ゴールデンウィークは絶対に受診しないように念押しをした。
退院後7日以内の再入院は、保険システムのDPCでは保険点数が下がる。それならば、退院を若干遅らせる方が望ましい。
そして、一度退院させた患者は間違っても直ぐに再入院が必要にならないことが、結構重要だ。それが日本の保険システム。これが理由だと思ってしまったことで、その理由を追求しなかった。
しかし、ゴールデンウィーク中の受診拒否は、むしろ有希にチャンスを与えた。
有希はもちろん、Dr.臼井のゴールデンウィーク中に絶対受診しないようにという採算の注意に同意しつつ言い添える。「二日間のみの治療だと、ちょうどゴールデンウィーク中に急変して緊急搬送が免れないでしょう。ゴールデンウィークの悪化リスクを抑えるためには、退院直前に再度投薬が必要です。」
臼井と有希はフリーマーケットでの値段交渉でもするかのように、生命を左右する治療の交渉を進めた。
事実、二日間のみの治療では、ちょうどゴールデンウィーク初期に再悪化して緊急搬送されるような病状であった。その絆創膏のような治療では、寛解まで持っていける可能性はゼロだろう。そして、一二週間でさらに酷い再々発というのは、少し常識があれば容易に想像できたことだろう。
有希は良くなりたい。
臼井はとにかくゴールデンウィークは診たくない。
そして、臼井は今必須の治療をせずにやり過ごすことに全力を注いでいる。何故かは分からないが、とにかくやらないことに拘る。
有希も別に理解することに興味がないのか、理解する能力が無いのか分からない人に好き好んで治療を仰ぎたいわけではない。
治療ができ、回復できればそれで良いのだ。
そして、背景はどうであれ、DPCがリセットできなければ、再入院したところで治療が滞るであろうことは容易に想像がつく。退院後7日〜10日程度は再入院せずにいられるというのは、臼井だけではなく、有希にとっても重要なことだった。
寛解維持療法が今までになく効果的面のことを願い、自己暗示でもかけようとするかの如く、有希は繰り返す。「良くなりましたね。」、と。
それは、軽度の改善であった。
しかし、このように少ない治療に少しでも反応したというのが、過去最高の反応だった。
このまま、寛解導入までの架け橋になってくれるかもしれない。そうでなければ困るという想いで発し続けた「良くなりましたよね?」の言葉が、おそらくは有希を苦しめた過度な改善の評価に繋がったのだろう。
看護師の評価は医師のそれを代替するということは、この入院で初めて知った。これは国によっては起きないことだ。新しい地域に来た際はそこのシステムを知り、慣れる必要がある。
看護師は初めて看る疾患で、患者が「良くなった」と発する言葉を信じない理由はないのだろう。
患者は患者で、「自宅でほぼ寝たきりだが、入院せずに療養できるギリギリのラインまで改善の見込みがありそうだ。」そして、「外来で治療ができれば、もしかしたら、この状況下にも関わらず、数ヶ月で回復できる状況に持っていけるかもしれない。」という考えが、「顕著な改善」や「職場復帰可能そう」というアセスメントに繋がるとは、湯ほども思っていない。
有希は外来に行けば適切な治療に漕ぎ着けられるという希望を支えにすることで、残りの入院生活は快適かつ楽しく過ごせた。そして、外来に行きさえすれば、東西南北先生の管轄になる。彼ならば、何故闇雲に対症療法に走ることが治療効果に乏しいだけではなく、当時症状以外にマーカーが分からなかった疾患では免疫治療の遅れを招き、むしろ害にすらなることを理解できると踏んでいた。(今では、目安になる採血項目がある程度分かってきた。抗体や補体、赤沈やその他の炎症マーカー、白血球の減少が病勢を反映している。しかし、当時はそれは知られていなかった。)
一ヶ月遅れで治療をしても挽回できるなどと思った有希が楽観視しすぎだった。しかし、いくら治療の必要性を訴えても聞こうとすらせずに、壊れたレコードのように「対症療法」を何度も何度も進める入院主治医とどう会話すれば良いのやら。
ここでの初動の遅れが一年以上取り戻せない人生最大の苦しみのロンドの初手になろうとは。
そして、その「対症療法」の薬がそこの施設で開発された新薬だったとわね。
続く