根性を通り越して
2週間無尿(尿が出ていない)でしょうか? 腎不全ですか......
心不全、腎不全、きっと他の臓器不全もある中で、blastほぼ100%なのでしょうか。(一部は憶測です。)
腎不全の治療だけを考えると、透析とかもあるかもしれない。けど、免疫ゼロの状態で血液を出し入れするのは、感染リスクが凄いのでしょう。
窮地をとっくに通り越して、精神力云々というレベルの話じゃないのでしょう。
それでも、生存できているということこそ、彼の「生きたい!」、「絶対生きてやるんだ!」という想いなのではないしょうか?
普段、神様とか、魂とか、あんまり精神論や宗教じみたことは好きではないです。
しかし、ponずさんの境地を凌駕したかのような頑張りを見ていると、応援したくなりますよね。
12月にはもう生きられないと言われて、はや4ヶ月でしょ?
命って、人の予想や想像を遥かに超える凄まじい力を持ってますよね。
こういうケースって、想像以上に多いように思います。だからこそ、キッパリ時間を断言する余命宣告ほど、残酷で当てにならないことはないと思ってます。
「家族に会えるまで待っていたかのように」ってこと、ザラにあるじゃないですか。数日とかではなく、もっと長くても...... 皆さんも経験ありませんか?
今まで私は、特殊な状況以外は、延命治療はむしろ人道に反するんじゃないかとすら思っていました。けど、それでも本人が生きようとするのなら、肉体的苦痛に勝る「生きたい」という願いとして受け取っても良いのかもしれませんね。
だから、誰かが方針を決めてしまうのも、なんか違うと思う。(本人のためにと思うことはあります。けど、それは本人と家族の決断だと思います。)
本人を一番よく知る家族が本人と話し合って決めた方針を、周囲は全力で応援するだけなんですよね、きっと。
確かに、厳しい状況でしょう。 それでも回復を信じて疑わない家族がいるのって、本当にありがたいことだと思います。
本人も家族も、心から100%回復を信じて突き進めると、案外生き地獄並みの肉体的苦痛でも、頑張り抜けることもあるのかもしれません。
たとえ、本人が他の可能性に思いを馳せる場面があっても、家族が信じていると、本人の気持ちも照準が動くこともあるかもしれません。((「私はいつ死んでもいいの、でも家族が治療を望んでる」という消極的な希望や治療ではなく、「本心は生きたいし頑張りたいけど、目の前の壁が高すぎて気持ちがブレそうになった。でも、なにくそ!と踏ん張れた」みたいなタイプの持ち直しという意味です。))
何よりも、本人が生きようと必死なら、それを第一にすべきなんだろうなぁ。
奇跡...... 願わずにはいられないですよね。
追記:私個人としましては、全例で快復を信じて、いかなる処置をしてでも延命すべきという意見ではありません。むしろ、過度な処置は本人を苦しめてしまうのではないかと思う場合もあります。しかし、ここは人と人として、患者、患者家族と医療従事者との意識の擦り合わせが大切なのではないでしょうか。本人がいかなる苦痛も耐え抜いて、少しでも長く生きたいと願うのであれば、その意志を尊重するのも大切だと思えます。また、たとえ完治の可能性が大きくなくとも、生きようと必死に頑張り、皆が望んで貴重な時間を延ばす頑張りを、延命と一括りにすべきでもないと思います。それを言ったら、全ての人が生を受けた日から、延命しているにすぎないと思います。医療の恩恵で命を延ばそうが、日々食事や睡眠をとりながら一先ず医療なしでも生きる時間を延ばそうが、皆が同じように地球での時間を懸命に生きているのではないでしょうか。
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