資格マニアは信用できるのか?
大抵の資格は趣味レベル
私は過去の自己紹介で持っている資格の話をした。
散々自分の資格に関してはゴミだの紙屑だのこんなの取ってなんの役に立つのかだのボロクソ言ってきた。
事実、今のままで使い物にならないものも結構ある。
ただ実用性に欠けるかと言われたらそうではないものも多い。
ある程度実用性という点では私の資格知識は役に立つものも多々ある。
簿記(日商簿記→建設業経理士)は会社の決算がどのようにできていくかの流れを見ていくのが面白かったし、何より会社決算を読むのに役立つ。
FPの勉強は、もともと相続関係の知識を深めるために始めた。相続関係の知識も深まったが、それ以上に保険の意義や見直し、資産運用の仕方を考えるきっかけになった。
教員免許があるので、今の仕事がなくなってもペーパーティーチャーになれば非正規ですら少なくとも1年は安泰だし、契約次第では数年単位で安泰だろう。
危険物乙四もガソスタのバイトで需要があるし、いざとなればビルメン等にもつなげることができる。工場なら管理経験はなくても製造の経験がキャリアになるし、セコカンとかになっても建設業経理士としての経理の知識もある。
客観的に見て、私は無難な資格しか取ってないし、どちらかといえば、実用性を重視している部分があると思う。
女性は妊娠・出産・育児を挟むこともあり、それに沿ってライフスタイルも変わる可能性が高い。だから、1つの会社に長く…という昔からのキャリア形成は非常に難しいと思う。
守備範囲を広く持っておくことで、ライフスタイルが変わっても食いっぱぐれないようにすることも自分の視野に入れている。
けれども、資格の大半は趣味の延長である。
ナントカアドバイザー、ナントカインストラクター、ナントカスペシャリストみたいな安い通信教育で取れるようなカタカナの羅列みたいな資格はたいてい趣味の延長でしかない。
それが実際にキャリアに活かせるかといえば疑問符だし、履歴書に書いたところで「で?」となるようなものばかりである。
よく芸能人が「資格取りました!」と言って、ナンタラインストラクターみたいな資格の合格証書を見せてくるがあくまでも彼らは芸能人が本業で、資格は道楽みたいなものである。
中には河野玄斗氏みたいに難関資格を片っ端から取っていくバケモンや、仕事の合間に宅建やFP1級に合格しててどうやって取ってるの!?と驚きたくなる人もいるが、本当にそんなのはひと握りである。
大半の資格は「何それ?ステマ?」と思うような民間資格ばかりである。
書道や武道などの「段位」や「師範」はそれだけで飯を食っていくには大変難しいけれども、「その道に詳しい人」として、特技として十二分にアピールできるというのは大きな武器だと思う。
国家資格や公的資格の信頼性
信用できる資格の大半は「国家資格」か「公的資格」ではなかろうか。
国家資格であれば、国のお墨付きがついているし、業務独占資格・名称独占資格・必置資格のいずれかである。
業務独占資格は医師・弁護士など法律上その人しか名乗れないし、その人にしかできない仕事がある。大体開業して「事務所」を設立できるし、こういう資格は定年も無く、●ぬまでできるものも多い。
名称独占資格であれば、持っている人以外がその資格を名乗れないし、紛らわしいものもダメという資格である。
例えば私が持っているもので言えば建設業経理士(公的資格)やFP技能士がこれにあたる。
必置資格は特定の仕事をするときに1つの企業や事業所等に必ず置かなければならない人である。
例えば、飲食店のレジには「食品衛生責任者」(公的資格)のプレートが置かれているし、不動産屋には5人に1人は宅建士を置かなければならない。
こういう資格を持っておけば多少は食いっぱぐれない。
特に業務独占資格(大半は難関資格)があれば。
公的資格も「国家資格に準ずるもの」として合格証の発行が各省庁からされていることが多い。
これもまだ信頼性は高い。
民間資格はピンキリであり、日商簿記、臨床心理士といった国家資格の足掛かりにもなる資格から、英検やTOEICなどといった語学系の検定もある。
一方で相続診断士など国家資格っぽく名乗っているもの(サムライ商法)、ネイリストやヨガ系、大量の横文字ですげーと言わせる系などといった泡沫と言われそうな資格も無数にある。
だからよくわからない民間資格を取って資格取ったふうにブログに書く芸能人のニュースは正直金持ちの道楽を見ているような気分である。
難関国家資格ばかり推すYouTuberもいる。この人の主張自体は間違っていないし、収入やキャリアを考えたら難関資格のほうが需要も途切れないのは本当の話である。ただ、あまりにも理想が高すぎるとは思う。
英語系資格に関する所感
そんなに英語ができるってすごいの?
個人的に、英語系の資格は過大評価されすぎであると思っているし、英語とかTOEICに力を入れて、外国かぶれになりつつある日本教育に危惧すら覚える。
親の需要はそっちに行っているのは十二分にわかるし、塾も習い事もそっち系のコースばかり拡充されている。
けれども、まず私は英会話やアルファベットよりひらがな、カタカナ、漢字をしっかり学ばせるべきだと強く主張する。習字でもさせたらいいと思う。
子どもでも平気で「漢字嫌い、わからない」とのさばるし、大人ですらまともに常用漢字も読めない、書けない人が増えている。
自国語なのに漢字のの偏と旁のバランスがひっちゃかめっちゃかな人もいるし、カタカナのシとツ、ソとンの書き分けもできない人も普通にいる。
日本語もまともに読み書きできない状態で英語の早期教育をしたところで、むしろ相乗効果どころか、二兎追うものは一兎も得ずになって、ダブルリミテッドみたいな状態の人が出てくるような気がする。それで学力向上するかといえば疑問符である。
問題文の日本語が理解できなければ、書けなければ、答えられないじゃないか。むしろ学力低下の大きな原因にもなりかねない。
私はこの点を常々危惧しているのだ。
そもそも、TOEICも英検も所詮は民間資格だし、英語自体が外国語の1つにしか過ぎない。
母語として使っている人が多い言語は中国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ヒンディー語などもあるし、お隣の国ならロシア語や朝鮮語でもいいはずなのに、何故か英語が特別扱いされている風潮がある。
そこまで英語ができることが偉いのか、と疑問を投げかけたくなるような場面にいくつも遭遇してきた。
ここまで書くと、「英語ができない」ことへの嫉妬かと思われるかもしれない。
残念ながら私は英語は高校までしっかりやってきたほうだ。当時はヒヤリングが得意で、学校のテストも、センター試験も英語だけ見れば旧帝に手が届くほどの点数とってきた。
ただ、大学時代は別の外国語を取っていたのもあって、10年近く英語にまともに触れてない。
英検に関しては中学時代に取った3級のみであるし、TOEICも一度受けたことはあるがボロボロだった。
だから恥ずかしくて履歴書にも一切書けないし、胸を張って「英語できます!」とは言えない。というか言わない。
外国語わからない風を貫いている私が仕事中に咄嗟に英語で返しているのをびっくりされる時もあった。
英検は取れるもんなら取ってみたいが、今からやるにしても、ライティングやスピーキングも重視されつつあるので、そういう指導ができる人が周りにいないと話しにならない。ちゃんとやるとしたら通信教育等を活用しないと無理だと思う。
漢検はもっと高く評価されるべき
漢検は民間資格であるが、以前は文科省が認定した公的資格であった。
「級の所持者を優遇してくれる企業や学校がある」という話であるが、私は中学で2級を取っているにもかかわらず、高校・大学・就活とそのような場面に遭遇したことがない。
たまたまなのかもしれないが、本当に自分も遭遇したこともないし、実際に周りにそういう優遇を受けた人を見たことも聞いたこともない。
それよりも、ずっと民間資格であった英検のほうが優遇されたり、脚光を浴びたりすることが多いと思う。
先述の通り、国語のほうが大事なのになぜ英語ばかり重宝されるのか。それもものすごく疑問である。
漢検は過去に事件があったにしろ、漢字を使いこなす力を測る検定としては小中学生を中心にまだ人気はあるし、広く知られている。
「漢字を覚える」だけならピンポイントかもしれないが、漢字を通して言葉の意味を芯から理解し、語彙力を増やすことにもつながるはずだ。
漢検にも再度スポットを当てるべきだと死ぬほど主張する。
努力は評価できても…
資格の情報をいろいろなところで見ていると、持っているだけ無駄そうな資格だと思うものも多数ある。
よくユー●ャンが推している医療事務や調剤薬局事務なんかはモロこれである。
医療系事務なんかは民間資格で基準が統一されているわけでもないし、本番も点数表をカンニングしながら書くらしいので、勉強した意味があるのかと疑問も残る。
就職は無資格でもできるので、言い方は悪いがこんなののためにユー●ャンを使うのは金と時間をドブに捨てるのと同じだと思う。
あとは、「違う、そうじゃない」と言いたくなるような資格もある。
某アイドルさんが「薬学検定」を持っていることを公表されていたが、あくまでもこれは「セルフメディケーション」の観点でお薬を選ぶ場合にのみ有用である。
今後の文化人やコメンテーター業などへのシフトなど、セカンドキャリアを考えれば「登録販売者」のほうがずっと有用である。ドラッグストアによくいる薬の説明をしてくれる人と言えばわかりやすいだろう。
もちろん国家資格に「薬剤師」もあるが、私立であれば学費も高いし、6年行かなければならないので、時間と金銭(+国立志望なバランスの良い学力)に余裕がなければ難しいだろう。
とはいえ、登録販売者もそこまで難関ではなさそうなのに、なぜ薬学検定というドマイナーな検定にしたのか、疑問の残る選択である。
何を受けるかはその人の自由なので、外野が騒ぐ話ではないが、文化人志向が強そうな方なのでその将来を考えると、大丈夫かな?とは思う。
他の取得している資格も見てみたが、「勉強好き」「難関校卒」を公言するインテリキャラでありながら、割に合わないものばかりに見える。
資格の数に隠された罠
さて、世の中には資格ソムリエや資格マニアというものもいるらしい。
宅建や社労士、行政書士、気象予報士といった国家資格から、簿記、FPなどのよく知られた資格、工業やIT系の資格、誰が知ってるのかわからないくらいのマイナー資格、そして中には僧侶まで取っちゃうヤバイ人もいる。
難関国家資格もいくつか合格していることから、実力自体はものすごく高いと思うし、マイナーな資格はおそらく趣味の範疇もあると思う。
1つ揚げ足を取るとしたら、取った資格の数である。
彼らは同じ資格でも複数の級を別々にカウントしているので、単純な数だと実質そんなにないのでは?という疑念が残るくらいだ。
本来であれば、履歴書のように一番上の級のみを書くのがベターであろう。それを複数の級書くということはそれだけ資格の数を嵩増ししているということである。
自分の資格の数を売りにしているのに、嵩増しした正確でない数を書くのはどうなのか。
早急に正しい数に訂正するべきである。
履歴書に「日商簿記3級」と「日商簿記2級」を両方書く人はいないでしょう。いたら行のムダである。
散々ボロクソ言ってきたが、資格は努力の賜物である。
週単位、月単位、年単位で実習に行ってもらってくるようなもの、卒業時にテストを受けなければならないもの、研修が必要なもの、忙しい合間を縫って通信教育で取ったもの、自分の趣味や生活に必要な知識を拡張するために取ったもの…
取った人の数だけ、ストーリーがあるし、それぞれの事情があると思う。あれだけ「意味ねぇ!」と噛み付いてきたが、努力自体を全否定するようなことはするつもりはない。
つるの剛士氏、スザンヌ氏、小倉優子氏などのようにある程度落ち着いてきて学び直しをしている方々もいる。
特につるの氏は過去に某六角形の番組でおバカだと言われてきたが、今では保育士や幼稚園教諭に向けた勉強をし、「幼児のスペシャリスト」になりつつある。
もう「某六角形のつるのくん」の面影は(頭脳的意味で)隠れつつあるのではなかろうか。