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【小説】黄金の花と赤い夢

 あたしは、ただ、じっと待っていた。
 暗い冷たい「檻」に押し込められて、眠らされて封じられて、待つことしかできなかった。
 あたしは待っていた。いつか、あたしに気付いて、あたしを解き放ってくれるひとを。あたしを自由にして、目覚めさせて、楽しませてくれるひとと出会えるのを。
 待っていた。あたしの、光を。


「わ、きれいないろ!」

 こよみも終わりに近付いた昼下がり。魔法使いの工房で本棚の片付けをしていたチコリが、不意に声を上げた。

「チィちゃん、何か見付けたんですか?」
「うん! みて、ダリア。このほん、すごくきれいだよ。きれいなあお!」

 片付けの手を止めて尋ねたダリアに、チコリは頷いて手招きする。チコリの小さな手が本棚の隙間から引っ張り出したのは、青い表紙の古い本だった。

 工房の一番奥、壁に作り付けでガッチリと組まれた丈夫な本棚には、古くから伝わる魔法が記された本や、新しいが強い魔法の力を秘めた本がたくさん詰まっている。難しい言葉も多い、大きくて分厚く重い本たちは、まだ魔法使いの仕事を覚え始めたばかりのダリアや幼いチコリが中身を読んでも、意味の分からないものばかり。その中で、鮮やかな青い表紙は少し異色で、彼らの興味を引いた。

 同じ棚にある他の本と比べて小さいが、どの本にも負けないくらい立派で豪華な装飾だ。固い表紙には滑らかな手触りの深い青色の布が貼られ、表紙の角や背を止めている部分は銀の金具でしっかりと固定されている。布は擦れて文字が剥がれかけ、ページの端も丸くなっているが、壊れたり破れたりはしていないようだ。何度も繰り返し読まれながらも、大切にされてきた証だろう。

 ただ、今は読むことができないけれど。

「青い本?」

 二人の声を聞きつけて、隣室から「赤い魔法使い」モナルダが顔を出した。
 鮮やかな赤い瞳と赤い髪を持つこの人物こそ、火の精霊の加護を受けた「魔法使い」。この「はざまの森」の奥の工房のあるじであり、チコリの養い親であり、ダリアの魔法の師匠でもある。二人が片付けをしていたこの工房も、工房のある家も、もちろん魔法使いのもの。この青い本も、工房の本棚に仕舞われていたということは、工房の主である魔法使いのものだと思われるのだが、当の本人は怪訝けげんな顔をして首を傾げている。

「こんな本、覚えがないな。少なくとも私が手に入れたものじゃないよ。師匠が勝手に置いていったのかな」

 モナルダはチコリから本を受け取り、しげしげと眺めた。ひっくり返して裏表紙も背表紙も隅々まで視線を走らせたり、ランプの光にかざしたり。と、不意にその赤い瞳に何かが映ったのだろうか、おかしそうに煌めいた。

「それにしても妙な本だね、題名はまるで普通の物語本なのに、強い魔法がかけられている」
「魔法?」
「ああ。その金のバンド、取れないだろう。封じの魔法がかかっている。よほど重大な魔法書でもなきゃお目にかかれないものだよ。こんなごく普通の本にかけるものじゃない。……もっとも、中身もただの本じゃなさそうだけどね」

 本は、薄い金属のバンドのようなものが十字に掛けられていた。本の金具と同じような凝った紋様が彫られた金色のバンドは、不思議なことにどこにも継ぎ目が見当たらず、表紙に貼り付いてでもいるかのようにぴったりとまっている。外すことも、位置をずらすことも、表紙を浮かせて本の中身を覗き見ることすらできなかった。

「どうして……誰が、何を封じたんでしょうか」
「さてねえ」

 モナルダは軽く肩を竦める。しっかりとした表紙のわりには小ぶりで、懐にでも入れて持ち運べる、物語の本としてはありふれた大きさだろう。ただ、厚みはあるので長大な物語かもしれない。

「ダリア、この本が気になるのかい?」
「はい。魔法も気になりますけど、中身が読んでみたいです。こんな立派な本、村では手に入らなかったから」
「そうだね。町で売っていたとしても、なかなか高価な部類だと思うよ」

 モナルダはそう言って笑いながら、ダリアの手に本を置いた。

 その瞬間。何かが、ふわり、と揺らぐ気配がした。

「この本、あんたが持っていてくれるかい?」
「え、私が? いいんですか?」
「ああ。どうやら私とはあまり相性が良くないようだからね、預かっていてほしい。幸い、その本もあんたを気に入ったみたいだ」

 ダリアは目を見開いて、自分のてのひらに乗せられた本を見つめた。夜明け前の空のような深い青色に、少しくすんだ銀の金具。幅のある金のバンドで半ば隠された題名は、金具と同じ銀色。本はただ静かにそこに在るだけで、もちろん動きもしなければ音を立てることもない。先程のふわりとした気配は、もう感じられなかった。
 一体、何だったんだろう。
 首を傾げた時、ダリアは不意に気付いた。

「あれ、ここ……文字?」

 細かな紋様が彫られた金のバンド。その一部が、文字のように見えたのだ。

「え、なにかかいてある? どこ?」

 覗き込むチコリに、ダリアは文字を指で指し示した。

「ほら、ここです。文字みたいに見えませんか」
「あ、ほんとだ! チィにもちょっとみえたよ! これ、“ものがたり”って……」

 チコリも興奮したように飾り文字を指差す。その小さな指が本に触れた瞬間、

「わ……!?」

 あたりに、光が溢れた。


 あたしは、自由な火。

 あたしは大好きな風の中を自由に駆け回るの。堅い岩の壁を滑るのも、土に足跡を残しながら跳び跳ねるのも大好き。ちょっとした水にだって負けない。弱い雨になんか、あたしの顔を濡らすこともできない。
 ほら、あんたも火でしょ? 仲間に入りましょうよ。ニンゲン? そんなの知らないわ。どうでもいいわ。
 ほら、燃えるの。こんな小さなごみくず、あたしが触れればあっという間に燃えてしまうのよ。きれいでしょう。小さなごみの光でも、とてもきれいなの。もっときれいな火がないかしら。きれいな、大きな火がいいわ。ねえ、次は何がいい? このイス? ほぉら、もう火が移ったわ。大きな火。あら、近付けないのね。変なの、あんたも火なのに。ニンゲンってよくわからない。……ね、見て、あんたを苦しめてたイス、あっという間にぼろぼろの灰になってしまったわ。
 お次はテーブル? ベッド? このカベもユカも火がつくわ。ほら見て、カイダンを逆巻く炎って、天に昇るようじゃない? ハシラをなめて昇っていく炎って、全てを包むようじゃない?

 え? 熱くないの、って?
 熱くないわ。だって、あたしは火そのものだもの。《からだ》のないあたしたちには、熱さも寒さも痛みもなにも関係ないの。火は、ただきれいなだけ。

 あたしと同じ火なのに、なんであんた、つらそうなの? 苦しそうなの? そんなにふらふらして……どうして、逃げるの? こっちもきれいなのよ、ほら、見てよ……行かないでよ……

「そこまでにしておやり、火より生まれし純粋な魂よ」

 わあっと強い風が吹いて、炎は方々に吹き飛ばされた。
 逃げていった子供は風にさらわれて、残されたあたしの前に現れたのは、とてもとても強いだった。

「あの子は君たち精霊に似ているが、体は人間だ。無理に一緒に遊んでは死んでしまうんだよ」

 いやだ。
 あたし、まだ遊びたい。ニンゲンなんて知らない。あの子はあたしたちの仲間。もっときれいなものを見て、もっと楽しいことをするの。

「……そうか。そんなに、あの子が……人間が気に入ったのかい」

 水はそう言って、おかしそうに目を細めてあたしを見て――

 あたしを、掴まえた。

「それなら、少しだけ眠っておいで。あの子が君たちと遊べるくらいに強くなるまで、ね。なあに、あっという間だよ。たくさんの命を燃やしすぎた君への罰には短すぎるくらいに」

 いやだ。
 どうして。あたし、バツを受けるようなこと何もしてない。だって、あたしは火だもの。火は燃えるものなんだもの。あたしは、ただ、きれいな火が見たいだけ。楽しいことがしたいだけ。ニンゲンもイノチも、あたしはそんなの知らない。どうでもいい。

「……この世界にいるには、君は強すぎるんだよ」

 いやだ。
 眠りたくない。

 どんなに抗っても、悔しいけれど、あたしは……火は水に敵わなかった。

 あたしはそのまま眠りについた。


「――リア? 大丈夫かい?」
「ダリア! ねえ、ダリアってば!」

 気付くとそこは、片付けが途中のままの、魔法使いの工房だった。青い本を手に座り込んだダリアの顔を、魔法使いの赤い瞳とチコリの星の瞳が覗き込んでいる。

「ダリア、みえた? ひかりのあと!」
「ええ、見ました! チィちゃんも見たんですね。モナさん、私たち、今すごく不思議なものを見たんです!」

 どこかぼうっとしたような気持ちのまま、ダリアは今見たことを話した。不思議な火に彩られた景色。逃げていく赤い・・髪の・・子供。火の、強い想い。きれいな火が好きで、楽しいことが好きで、遊ぶのが大好きな……

 話を聞き終えると、モナルダは改めてダリアの手元の本に視線を落とす。どこかため息混じりに呟いた。

「……まさか、精霊が封じられていたとはね」

 金のバンドがいつの間にか跡形もなく消えた本の上、ちょこんと乗ってあたりを見回す「赤い精霊」がいた。

「あなたが……私に、今の夢を見せたの?」

 ダリアの問いかけに、赤い精霊は彼女の顔をじっと見つめて、その場で数度ぴょんぴょんと跳ねた。

「あなた、この本の中にいたの?」

 また、ぴょんぴょんと本の上で跳ねる。これが肯定の合図らしい、というのは分かった。

「あなた、赤い……火の精霊?」

 またぴょんと跳ねる。先程よりは少し勢いがない。自信がないのかもしれない。

「お名前は?」

 精霊は今度は跳ねず、ダリアをじっと見たままふわふわと少し揺れた。

「ダリア、精霊にもともと名前はないんだよ。彼らの呼び名は、人間が付けるものだけだ」

 モナルダが言う。その言葉に反応したのか、赤い精霊は今度は本から離れ、魔法使いに近寄った。モナルダとダリア、そしてチコリと、三人の間を行ったり来たり、ふわふわとただよう。やがて満足したように笑うと、ダリアの頬にぴたりとくっついた。

「きゃ!?」

 思わず驚いて肩を竦めた。その声に驚いた精霊は一瞬ダリアから離れたが、再びおずおずと近寄り、今度は彼女の髪にちょんと止まった。ダリアが動くと、揺れる髪に掴まって一緒に揺れている。どこか楽しそうなその様子は、お気に入りの花を見付けた蝶のようだ。

「モナさん……こ、これ、どうしたら……」

 戸惑うダリアに、魔法使いは微笑んで言った。

「どうもしなくていいんだよ。この子はダリアが気に入ったんだ、仲良くすればいい。人と人とが友達になるのと同じさ」

 ダリアは少し考え、こくりと頷いた。つい最近まで魔法とは縁がなかった彼女には、まだ精霊と上手く心を通わせていく自信はない。けれど同時に、初めて精霊に気に入られたというのは、魔法使いにまた一歩近付けたようで、嬉しかった。
 赤い精霊は、人間の気持ちなど意にも介さず、少女の金色の髪を弄びながらただ楽しそうにころころと笑っていた。


 その日の夜のこと。ダリアは部屋に戻ると、あの青い本を開いた。
 精霊が封じられていた本というと特別なもののようだが、その中身はごくありふれた物語だった。少年と少女が、森の中で精霊と出会い、不思議な世界を冒険する……そんな、誰しも一度はどこかで読んだことがあるような、子供たちのための夢に満ちたおとぎばなし
 小さい頃のダリアも、そんなお伽噺に憧れて、古い伝え歌に胸をときめかせ、不思議な世界を夢に見ていた。精霊や魔法使いに会ってみたいと思ったり、深い森を恐れながらもどこか惹かれてしまったり、自分もそんなお伽噺の主人公になりたいと思ったこともあった。
 子供の夢なんてそんなもの、と人は思うだろう。
 でも、それがただの「お伽噺」ではないことを、今のダリアは知っていた。あの秋の夕暮れの中、この「はざまの森」に足を踏み入れて、魔法使いと出会った日のことを、ダリアははっきり覚えている。そして魔法に触れて、こうして精霊に出会って……まるで、夢物語のようだ。

(……夢じゃ、なかったんだよね)

 ベッドの傍の灯りの上、まるでうつらうつらしているようにふわふわと「赤い精霊」が揺蕩たゆたっていた。

(本当に出会えるなんて思っていなかった。……あの頃の私が見たら、何て思うかな)

 ページをめくりながら、そんなことを考えていた。

 はざまの森の夜は静かに更けていく。いつの間にやら、ダリアの意識は本の世界から眠りの世界へと滑り落ちていった。


 人間たちがみな寝静まった頃、「赤い精霊」は魔法使いの家の中をふわふわと飛び回っていた。あらゆるものに興味がある様子で、きょろきょろとあたりを見回しながら進む。勝手に触れたり火を付けたりはしないが、部屋を覗き込んだり、眠っている人間の顔を見てみたり、まるで見廻りでもしているように隅々まで視線を走らせていた。
 家の中と近くをひとしきり巡り、家の中へと戻ってきた赤い精霊は、人気ひとけのない居間で、あるものに遭遇した。

「お前が、工房の本に封じられていたっていう火か」
「……あら」

 赤い精霊は目をまるくして“それ”に近付いた。

「あんた、あたしの同類?」
「人間に言わせれば同じ“精霊”だ。俺は土だがな」

 赤い精霊の言葉に答えたそれ・・は、大きな茶色い犬の姿をしていた。

「誰かが作った《うつわ》に入ったひとと会うの、あたし初めてよ。でも、あんたはさっきの金色の娘とは違う土なのね。あんた、ニンゲンのにおい・・・はしないわ。でも火のにおい・・・もない……あの赤いひとでもないんでしょう?」

「違う。俺の《うつわ》の作り手は、ここにはいない奴だ」

 赤い精霊は犬の体をまじまじと見て、不思議そうに小首を傾げた。

「《うつわ》に封じられて、ニンゲンにナマエで縛られて、あんた、楽しい?」

 赤い精霊の言葉に、犬の姿の精霊は低く抑えながらも声を出して笑った。

「封じられてなどいないさ。ここにいるのは俺の意思だ。この《うつわ》も“ソホ”という名も悪くはない。それに、人間は見ていて面白いぞ」
「あら」

 赤い精霊は目を丸くして言った。

「あたしもニンゲンはきらいじゃないけれど、そんなに面白いものとは知らなかったわ」
「そうか? あいつらが気に入っているように見えたが」
「あの金色の娘は気に入ったわ。優しくて瑞々しくて、弱くて、そのくせあんなに火に近付いても平気な顔して、ふしぎな娘。そうね、あの娘なら、見ていて楽しいかもしれないわ」

 楽しいことは大好きなのよ、と精霊は笑った。

「あの娘が望むなら、あたし、ここにいてあげてもいいわ。だけど、あの娘にあたしの《うつわ》が作りこなせるかしら」
「……まだ無理だろうな。しばらく待つ必要がある」
「そうね。でも、いいわ」

 眠らされて封じられて、ただずっと待っていた。目覚めさせて、楽しませてくれる、あたしの光と出会えるのを、ずっと待っていたのだ。
 もう少し待つくらい、どうってことはない。

「あたし、自由なんだもの。どこにいたっていいんだもの、ここで好きに待たせてもらうわ。ここは居心地がいいから」
「そうだろうな」

 まだ名も《うつわ》も持たない赤い精霊は、ふわりと浮き上がり、暖炉と煙突を通って夜の森へと姿を消した。また気ままに飛び回って、気が向いたらこの家に……お気に入りの人間の少女のもとに戻ってくるのだろう。

 その姿を見送って、ソホはぽつりと呟いた。

「居心地がいいはずだ。お前は、モナルダと同じ・・火の・・におい・・・がする」

fin.


2019年5月刊行 本と出会いアンソロジー「邂逅書架」より再掲。
表記等を一部改めています。

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