「ふりかえり」をイヤイヤ取り組んでいた私はどのように変わったのか
こんにちは! コパイロツトのかめおかです。
コパイロツトのマガジン『プロジェクトマネージャーが綴るナレッジエッセイ』、今回は「ふりかえり」について書いてみたいと思います。
かつて「ふりかえり」が苦手だった私
ふりかえり、と聞いて「なにそれ聞いたことないけど」という人は少ないのではないでしょうか?最近では小学校でも「ふりかえりジャーナル」なるものが存在し、盛んに行われているらしいことを耳にします。
要は、なんらかの節目ごとに「これどうだったかな〜」「あんな可能性もあったかもな〜」と顧みて改善するプロセスのことを総称して「ふりかえり」と呼んでいるのですが、これ、意外と苦手意識が強い人が多い印象があります。
かくいう私もその1人で、かつては「ふりかえり」が苦手でした。
「ふりかえりして、改善していこ!」とどんなに前向きに呼びかけられても、内心「うへ〜」と思っていた自分がいます。
特にコパイロツトは「可能な限りふりかえりしていく」文化が根付いている会社なので、入社当初は「ふりかえりするよ!」と言われるたびに気が重くなっていましたし、「嫌だけど、必要なことだから参加しなくては」という感覚がありました。
「必要なことだから」と考えていたのは、プロセスを見直す、という工程がないと進化がないことは頭ではわかっていたから。
でも、心がついてこないんですよね。
プロセスを見直すためには、「やらかしちゃったな」と思っていることや「実はこれ、自分が原因なのでは?」と薄っすら恐れていることを思い返して、周目のもとにさらし、原因を特定しないといけない。自分の駄目な部分に目を向けるのがそもそも嫌ですし、そうした時に生まれてしまいがちな軋轢や猜疑心も「ふりかえり」苦手意識を助長していたように思います。
もちろん、面と向かって「お前が悪い!」という人はほぼいないのですが、内心ではそう思ってるんじゃないか、という気持ちは払拭しきれるものでもなく、そんな風に思ってしまうことにも罪悪感を感じるという悪循環…。
つまり、「ふりかえり」の中に含まれる一部分であるはずの「反省」という行為が「ふりかえり」の大部分を占めるのだ、という意識が強く、その反省が呼び起こす感情のアレコレに振り回されていた訳ですね。
「反省」はもちろん必要なことですが、それだけだと気持ちがしんどい。そのしんどい行為を強要されるイメージがかつての自分にはあり、それが「ふりかえり苦手だな〜」と思う大きな要因になっていた、ということかなと思います。
こうして、「ふりかえり」が苦手で、「嫌だけど、必要なことだからやらねば」とスーンとしながら参加していた亀岡ですが、コパイロツトでふりかえりを重ねるごとに、徐々に変化していきました。
あれ?「ふりかえり」って意外と楽しいかも!?
ここまでは言いすぎかもしれませんが、メリット・デメリットのうち、デメリットに大きく傾いていたシーソーが、バランスを取るようになってきた感覚に近いかもしれません。
面倒なのは面倒なんだけど、苦痛ではない。
むしろ、メリットもあるしやったほうが良いな!という認識に変わっていった感じです。
「ふりかえり」のメリットとは?
ふりかえりは何を目的として行うのか?
これを、あるコパイロツトの中の人が
であると目的定義しており、この言葉が、思いの外私の胸に刺さりました。
そうだ、「プロセスの見直し」だもんね!反省会じゃなかったわ!
ドラマのように「この言葉と出会ってから、私は変わりました・・・!」と急に「ふりかえり」の良さに気づいた、とかではもちろんなく、「ふりかえり」を繰り返すごとに、染みるように「ふりかえり」のメリットを感じていった、という感じです。
だからこそ、先述の言葉も「我が意を得たり!」と心に響いた訳ですね。
では、「ふりかえり」を繰り返すごとに、私はどう変わっていったのでしょうか?
1つ目は、私が感じていた「嫌な部分」に相対するときの気持ちが変わりました。
「やらかしちゃったな」と思っていることや「実はこれ、自分が原因なのでは?」と思っていること、これは大事な気付きなので、今でも「ふりかえり」の時に付箋で書き出すようにしています。
具体的には、Problem(KPTの場合)として、付箋に以下のように書きます。
◯◯が発生した時■■すべきだった
Aさんにリカバリしてもらって申し訳ない、ありがとうございます!
これが何故、苦痛でなくなったのか。
この記載の付箋に対してふりかえりで行われるのは、おおよそ以下のようなやりとりです。
「このタイミングで亀岡さんが■■してたら、多分こっちに問題が起こってたと思うから、私はAさんがリカバリして逆によかったと思う」
「でも、Aさんが気付けなかったら危なかったよね」
「じゃあ、■■を監視できるようにする?」
「それだとコストかかるし現実的じゃないから、そもそも◯◯が発生しないようにできないかな?」
そんな議論の後、最終的には次のアクション(より良いすすめ方)を言語化して次の付箋に行く、そんな流れです。
つまり、私の行動の良し悪しではなく、進め方がどうだったのか、が論点になるので、軋轢や猜疑心が生まれる余地がないのです。
さらに、私にとっては「申し訳ないと思っていた気持ちの吐き出し」もできていることになるので、この議論をした後はスッキリとした気持ちになります。
(これ、逆に「自分はなんとも思ってないのに相手は申し訳ないと思っていた」こともよくあり、プロジェクトメンバーのことを知れるいい機会になっていたりします)
そして、このようなことが起こるのは、「ふりかえり」が、「別の時間軸」「別の視点」からチームの振る舞いを見ること、でもあるからだな、と実感しています。
2つ目は、「ふりかえり」が、お互いを労う貴重な機会になり、モチベーションに変わりました。
KPTでやるならKeep、+/Δ(プラス/デルタ)でやるなら「プラス」に「よかったこと」「これからも続けたいこと」を記入する行為が、ポジティブなモチベーションにつながっている訳です。
「プロジェクトで試してみて良かったこと」など、固めの内容はもちろんのこと、
「Bさんがあのタイミングで差し込んでくれた◯◯、神の御業だった」
「Cさんの、あの状況でのあの発言、あの言葉があったから頑張れた」
などなど、日頃思っているけどなかなか口にする機会のない感謝やお褒めの言葉などもたくさん出てくるので、個人的に「ふりかえり」を続けるモチベーションの1つになっています。
もちろん、単なる褒めの機会だけにするのではなく、Goodポイントからより良い進め方を作っていくのが望ましい流れではあるので、私のようにモチベーションにしている人は少数派かも知れませんが、ポジティブな発言はプロジェクト全体を元気にしてくれるな!と感じます。
「ふりかえり」を社内に浸透させるために
ここまでお読みいただいて、「ふりかえりって良さそうだな」と思っていただいた方が少しでもいらっしゃれば幸いです!
そんな方は、是非ご自分のプロジェクトでも「ふりかえり」を取り入れてみてください!
日記のように積み上げる、タイムライン「ふりかえり」もオススメです!
とはいえ、以前の私が「ふりかえり」に苦手意識を持っていたように、嫌だなと思っている人がいたりするような環境に「ふりかえり」を取り入れて習慣化させるのはなかなかに難しいことだと思います。
そして、「ふりかえり」さえ繰り返せば、プロジェクトがより良く進んでいく、というわけではなく、「ふりかえり」で生まれたアクションを「より良いすすめ方」に昇華していくプロセスや、それぞれのプロジェクトの目的に応じてそのプロセスを浸透させるための舵取りも必要になってきます。
そんなときのために!
コパイロツトでは研修プログラムなども取り揃えていますので、良かったら以下の紹介ブログも見てみてくださいね(急に宣伝…)