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【ゆっくりノーマン_導入編1】なぜ世界は存在しないのか序章 哲学を新たに考える〜よくしようとする前に、そもそも世界とは何か?

さてと、前回

で、

世界

について少し触れたけど、本編に入る前に我々が普段、無意識にイメージし、当たり前に考えてる、生活の中で普通に使ってる

世界とは何か?
そもそも世界は存在するか?

について、

を通じて、

見ていこう

巷では、2018年くらいから

  • SDGs

  • 環境保護

  • 脱炭素

  • 地球沸騰

みたいな

バズワード混じりの空気=トレンド

で、うんざりするくらいだが、それだけ見ていても、

ん?🧐彼らがやってる活動が、彼らがゆーてる世界を良くする活動にどう繋がるの?
お金儲けとか売名行為でやってるだけなのでは?
=自分たちは「目覚めた組織」を標榜し、一皮剥けば、お金儲けに利用してるだけ

👉WOKEビジネス

に見えてしまうし、違和感を抱くのは、

提唱してる彼らの指す世界と、
聞かされる自分たちが抱く世界
が違うから
👀💦

『より良い世界のためのデザイン』
が指す世界とはそもそも何か?

本編に入る前に、

世界とは何かを考える作業
👉考察
を見ていこう

そんなこと、どーでも良いから本編に入れや(タイパ、コスパ)

な人には、

どうでも良い=要らないハナシ

なので、

導入編😛

見出しとしては、

  • 仮象と存在

  • 新しい実在論

  • 世界は数多くある

  • 無以下

てな感じ🧐

読んだ率直な感想を、

ヨースタイン・ゴルテルの『ソフィーの世界』

を読んだときも感じたんだが、古代ギリシャの時代から、そんなことを考える余裕があるくらい暇だったんだろうなと😛わざわざ、労働してる最中に、

今私が動かしてる機織り機は、存在するのか

なんて考えてるとしたら、

それは夜寝る前の暇なときにでも考えろ

だし、「マズローの五大欲求」じゃないけど、

お金を稼がないといけない人
働かないと食べるのにも事欠く人
👉労働者階級

で、

「今、私が手にしているお金は、他の人には違う物に見えているのではないか」
「今、私の空腹を満たしてくれようとしているパンは他の人にとってパンではないのではないか、この世界にパンなんて存在しないのではないか。」

なんて考えながらお腹満たしてる人がいたら、
せっかくやっと食べれよるんやけもっと楽しく、美味しく食べて、明日からまたお金稼ごう
てゆーてしまう😆

しかし、そんなことをゆーたところで人は、

答えのないことに遭遇した瞬間

何かを疑問に思い、考える生き物
👉その営みを止めることは出来ない
=自分なりの答えを導こうと考察する

それこそが

哲学

どれくらい暇そうなことを考えてるかとゆーと、例えば、世界て言葉ひとつとっても👀

◆形而上学における世界:

現実に成立していることがらの総体=世界。👉ただ、世界について考えてる人が現実に存在しない。
とゆーてるようなもん。

いやいや、考えてる人も現実に存在してるだろ😛
そもそも人間がいないと世界について考える存在がいない=じゃあその考え自体存在しないだろ😆

屁理屈かと😛
物事を客観的に観察しようとし過ぎ

◆ポストモダンにおける世界:

わたしたちに対して現れている限りでの事物だけが現実に存在し、我々の背後には、それ以上のもの=世界なんてモノは現実には存在しない

なんだその、自分が認識できる事物だけが全てで、人間が了知し得ない世界みたいなモノは存在しないって、、、💦太陽は見えるから存在してるけど、自分が立っている地上は存在しても、それ以上のものなんて大きすぎて認識し切れるものではないから存在しない

太陽や人は存在するけど、
地球なんて存在しない

とゆーてるようなもん。ところがどっこい、宇宙に行けるようになったら、

実際に地球は存在してたじゃん。

自分が了知し得ないなら、神も空気も目には見えないから存在しないって

物事を小さく捉えすぎ

◆構築主義における世界:

事実それ自体など存在しない。私たちが私たち自身の重層的な言説ないし科学的な方法を通じて、一切の事実を構築している=人が構築できない事実は現実には存在しない

👉それ自体として存在しているような世界は、人間には認識できないし、認識できているとすれば、

それは何らかの作為が加えられているから、
すでに純粋な世界ではない

ん?構築作業なんて頭の中でしなくても、子供はおもちゃで遊ぶし、お腹が空いたら物を食べるし、高熱で寝込んでるときは構築作業なんてできないけど、

そんな人でも現実に存在してるじゃん😛
構築、てか理性的な思考に
力点置こうとしすぎ
👀💦
自分を認知できなくなった人間は
じゃあ、この世に存在しない
てゆーてるようなもんじゃね
👀💦
おっそろしい
😱暴論かと。
そんなこと考える暇あったら、
介護の仕事でもしてみろよと

『ソフィーの世界』読んだ時も、

神って存在が生まれて、人間と神って概念に別れた後で、

3000年以上も前から、
<神と我々、人間はなぜ、別々の存在なんだ>
で、哲学にしろ宗教にしろ
論争を繰り返してるからね
🧐
西洋哲学って一体、、、

って思ったのを思い出した。
万物の創造主って意味の神が本当にいるかいないかは知らないけど、少なくとも、宗教の中でゆーてる神様であれば、元々は、人が作り出した存在か、偉大な人が神格化されて後の世で神になってるんだから、論争してる神様て対象は本来、

人と同じ存在か人の延長線上の存在

で、それが何百年も何千年も経って、

超越し、崇められる存在
になったんだろと
👀💦
👉ブッダにしろ、
キリストにしろ、
マホメットにしろ
元々は人ですぜ

それと同じく世界も、物理的には、

自然界=現実には
地球も人間も
両方、存在するだろ
と、、、

本来、同じ人間て存在から始まった存在(概念)=神か、自然界には同時に存在する地球と人間を

3000年もああだこうだ
議論してるって、
どんだけ他にやることないんだよ
と、、、
👀💦
暇かと

で、次がこの本が主に扱う

◆新しい実在論における世界:

人間の思考対象となる事実はもちろん現実に存在するし、それと同時に、それらの事実についての人間の思考も現実に存在する
=地球は現実に存在するし、地球上で生きて、世界って概念を思考する人間も同時に存在する

👉観察対象も観察者も現実に同時に存在してる

そらそうやん😀最初から👀
観察者もクソもなく、、、。

自然界には、地球も宇宙も人間も同時に存在してるし、それと同時に、人が考える時間とか世界、夢って概念も存在してるでしょ😛そもそも、単純に世界そのものを考えるために、

  • 形而上学:事実以外のあらゆる物を排除して考えないといけないから観察者=人間の存在を排除しよう👉いやいや、事実って面だけしか見てない。単純化しすぎ

  • ポストモダン:人間の認識できるものってことで同じように単純化しすぎ

  • 構築主義:理論的な構築作業ってことで単純化しすぎ

そう、これまでの他の理論は全て(自然科学が発展してなかったってのもあるけど)、

単純化して考えすぎ😛

そし3000年もの時間をかけて、やっと

店長、哲学界さん
(我々凡人が普通と思える)
まともな考え方入りましたー!

ここまででやっと、

世界も人間も同時に現実に存在する
👉当たり前な前提
(3000年
💦

までは来たんだけど、じゃあここでやっとこ

◆新実在論における世界とは(世界の定義って何)👀❓

人間とは無関係に、単にそのものとして存在している全てのもの、全ての人間を取り囲む全てのものの領域
ってことらしいけど、それってつまり、

自然界に存在する全てのもの

英語で言えば、Environment(自然)ではなく
surroundings(自分を取り囲む全ての環境)
って感じかな
🧐
(人間が認識してるか否かは関係なく)

まあ、こんだけGoogle Earthなんかで空からどんな場所でも撮影できて、存在は把握できたとしても、その地中深くに眠る金塊やレアアースなどが、仮にまだ人間がひとりも知らないとしても、

自然界=現実には存在してる

ことに変わりはないんだから。
ゆーてることはおかしくないわな🧐
それ以外でも、形に残らないもの(踊りや宗教的儀式、音楽)、形として存在すらしないもの(神への畏敬の念、夢、そして世界平和)など、

それらが人間の目には見えない、形がない
=存在しない

て捉えると、

音楽やダンスは形に残らない=存在しない
だから、夢や気持ち、世界平和
なんてものも存在しない

ってゆーてるようなもん。そんなヤツ今どき現実にいたら、

かなりこの人、自分の信じる理論に凝り固まって
変わってるか偏屈な人やなあ
🧐

ってオイラなら思っちゃう😛つまり、

自分が認知も了知もしてない部分でも
世界は数多く存在するし、
それが世界だと認識する人の数だけ、
数多くの世界が存在する

ってことだし、裏を返すと、

万人が同じように、「世界とはこれです」って
明確に、共通に暗黙的に認識できる世界など、
どこにも存在しない

👉世界とは結局、各個人が持ってる
それぞれの小世界の集合体
グローバルだの何だのゆーてるけど、
グルーバル:地球規模でつながる
ってだけで、
それで繋がった人々が
共通のひとつの世界観で
話してるわけではない

ってことだよねえ🧐まあ、だからこそ、

で、タイトルに

「地球は存在するけど、世界なんざ存在しない」

て書いたとおりだけど、、、👀💦

現実には存在する。
しかし、
あなたが思い込んでる世界が
地球規模の共通認識ではない。
結局は、各個人の都合のいい
小さな世界の集合体
👉それぞれが認知してる「世界」は、
それぞれで違う

つまり、

世界て言葉からあなたが
即座に思い浮かべる世界なんてものは、
他の人には存在しない(かもしれない)
=「なぜ、世界は存在しないのか」

につながるわけだねえ🧐

とここまで来ると、すでに気になっている人もいると思うけど、もうひとつ

「なぜ、世界は存在しないのか」
の、存在って何?
👀
👉存在するとはそもそも何か
になってくるよねえ
🧐

まあ、現実世界に物理的に存在するものってのは単純に存在してる分かる(認識できる)けど、

夢とか理念、世界平和、神なんて存在は、
物理的には存在してないからねえ
🧐

ってゆー「存在」も含めて次から

専門用語なんかを極力使わず、
誰にでも分かる言葉で

説明してくみたい👀

と、この本は哲学の本なんだけど、

哲学って、自然界にある全ての事象=答えなんざないことを、誰かの考えを鵜呑みにもせず、否定もせずに、一度自分なりに疑って、

自分なりの答えを導くこと=哲学的考察

が基本。これについては、実は経営学にもつながる話で、

で、書いた

QOEIサイクル

がまさに哲学的な考察だし、

なんてまさに、

経営学における、
哲学的な究極の問いかけ

だからね🧐

哲学とか経営学なんざ、理系の自分には関係ないって思う人もいるかもしれないけど、

なんかのテクニカル記事で普段、オイラがよくゆーてる
プログラミングや開発は正解を求めるのではなく、要求に応じた最適解を導く
って作業自体が、まさに

哲学的な考察

でしょ。結局は、繰り返しになるけど

全部ひとつに繋がってるんだから、
無理に自分には関係ないって遮断する方が不自然

ま、あくまでも

オイラ個人の
哲学的一考察に過ぎない

から、いろんな考え方があって当然としか思ってないし、人間には、

で書いた

プロスペクト理論:
そうとは限らないと思い込む心理

が働くから、否定したい人はどうぞ否定してくださいとしか思わないけどね😛

この記事で書いてるオイラのツッコミとかも、

あくまでもオイラが率直に思った感想
👉一考察にすぎない

鵜呑みにしたり、
変なツッコミとか批判入れたり
しないでねえ
😆
求めてないので〜〜〜

哲学って言葉を聞いた瞬間に、

ソクラテス式対話(問答法)

を勘違いしてるのか、なぜか議論とか討論する感じで話をふっかけてくる人がいるんだけど、哲学の入り口は、

相手の意見とか考えを否定しない
👉こんな考え方の人もいる、
この人はこんな考えなんだ

と受け入れることだからね🕺その前提で、ソクラテスは

相手の考えを聞くためにやっていただけ

他にも、哲学=哲学者=哲学史に詳しい人ってイメージで

「ショーペンハウアーがどういった、
ヘーゲルはこーいった
👉このお題にはすでに答えが出てます。」

みたいに、自分なりに考えずに、誰かの説を披瀝する人もいるんだけど、
今の時代にショーペンハウアーやヘーゲルが生きていたら、果たして同じことをゆーだろうか🧐❓
って問いかけた瞬間に、多分彼らは答えに窮するだろうね👀💦

自分の頭で答えを導き出す=哲学的な考察

をやっていたわけではないから。

じゃあなんで、哲学的な考察が必要なの❓

オイラのこれまでの話は感想でツッコミを入れつつ、いつの間にか神やら世界平和って話に発展していき、経営学やプログラミングにまで繋がっていった、、、つまり、自然界の事象は人間が認知出来るか否かに関わらず、

全ては繋がり影響し合ってる=色即是空

なのに、それを無理に、

形而上学、ポストモダン、構築主義

みたいな

人が認知し得るとか観察といった
限定された物事の接し方をしてしまうと、
視野や認知の幅が狭まり、
物事をそれ自体として捉えられなくなる

からねえ🧐

前回、例に出したけど、

持続可能で多様性のある社会という社会目標
=SDGs

のひとつである、

自然環境保護や温暖化対策

から日本では実現できそうな優先的に実現すべき目標として、

脱炭素社会

ってゆーてるだけなのに、

繋がりを意識せず、なぜそんなことをやるのか

ってことに疑問すら持たないと

お上が脱炭素ってゆーてる
=二酸化炭素を出さなければいい
👉山肌を削って、太陽光発電

みたいなことをやってしまう。
疑問を持って、その背景的な繋がりで自分なりの考えを得ようと、より大きな目標を学ぶと

そもそもなんでお上は脱炭素なんてゆーてるんだ

SDGsって目標の一環で最終的には自然環境の保護とか温暖化対策の一環なんだ
👀💦

じゃあ、二酸化炭素を出さないために、他の自然環境を破壊したら意味ないね。ならば、他に何か良い方法はないだろうか
🧐❓
ってのが自然だし、それこそ

答えのない課題に自分たちなりの答えを導く
👉哲学的な考察
=新しい知恵やイノベーションを生み出す萌芽

だと思うけどねえ。この時点ですでに、
あなたが守ろうとしてるかイメージしてる自然も、実は大半が、ただの人工物
てゆーてる意味も分かってきたかな🧐と。
今回は以上。

続きは、また次回🕺

哲学に興味が出た人におすすめな1冊

これは過去の他の記事で何回も書いてる本ではあるんだけど、

これを読むと、

哲学史を学ぶ

のと

哲学的な思考や考察を行う

のは違う

👉本ではなく、自分の普段の生活の中にこそ
哲学の素材は、いくらでも転がってる

まずは、
自分や世の中が常識と思い込んで
片付けてることを疑う
👉哲学の第一歩

ってことがよく分かる🧐

さてと次回は、

第1章 
これはそもそも何なのか、この世界とは?

を読んでこ🕺

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