人生の意味が変わった旅
順風満帆な人生への憧れ
人生の意味とは何か。
この哲学的な問いに、誰でも一度は出逢ったことがあるのではないだろうか。
私は、その答えは「幸せになるため」だと思っていた。
幸せの定義は人によって異なるが、私の中では、「つつがなく暮らす」とか「順風満帆な人生を歩む」というように、トラブルを回避した人生を送るイメージだった。
才に恵まれ、何不自由なく、順風満帆な人生を生きているように見える人がいる。
そのような人と出会う度、この人のような人生だったらと、私にもそれだけの才能があったらと、劣等感を感じた。
私の中の足りないものにフォーカスが当たって、欠乏感と羨ましさが溢れた。
人生が折り返し地点を過ぎ、3年前に独立した私は、否が応でも「人生の意味」と向き合う節目に何度も出逢ってきた。
その度に、自分が背負って生まれた役割を自問自答したり、自分探しをして蟻地獄にはまり込んで抜け出せなくなったりしていた。
そこで、一旦辿り着いたのは、「私が幸せだと思えば幸せなのだ」という感覚だった。
自分らしい働き方ができているので、フリーランスになって幸せ度は格段に上がった。
それでも、トラブルが起きなくなったわけではないし、ネガティブな出来事が一気に押し寄せてくることもある。
「なぜこのような事が起きたのだろう」「どうして私がこんな思いをするのだろう」と、その度に思っていた。
「幸せが続いてほしいのに、不幸な出来事が起きる」という繰り返しを、考え直すきっかけが私に訪れた。
それは、台湾と日本の合作映画「青春18x2 君へと続く道」だった。
急に思い立って台湾に来た
仕事が一段落し急に予定が空いたので、一週間前にフライトとホテルを予約して、台湾に来た。
「青春18x2 君へと続く道」は、36歳の主人公ジミーが、18歳の夏に地元台南で出逢った日本人女性アミの面影を追って、日本を旅するストーリーだ。
映画を見て泣いたりすることがない私が、この映画では号泣した。
18歳のジミーが恋をする希望に溢れた明るい青春の日々、36歳の大人になって失ったものにフォーカスが当たっている辛いモノトーンの時期が、対照的に描かれる。
36歳の主人公ジミーは、日本各地を旅して、初恋の人アミの面影を追い、その想いを昇華させて、最後には再出発する。
私自身も、最近あったモヤモヤする出来事をリセットし、再出発を期すきっかけを探していた。
この映画の中で、印象的に使われている「一休みはより長い旅のため」という台湾のことわざのように、ひとつのプロジェクトを終えて、新しい世界へと踏み出したい、と心から願っていた。
映画のロケ地「台南」へ
台湾は20年ぶり。
前回来たときは、高鐵と言われる日本の新幹線の車両が走る高速鉄道もなかったし、台北市内を走る地下鉄もここまで路線が発達していなかった。
台北に到着した翌朝、真っ先に向かったのは、台南。
「青春18x2 君へと続く道」のロケ地である、「大崗山超峰寺」の展望台へと向かった。
台南の郊外になるが、実際には高雄市の一部となる、ラストシーンの場所だ。
36歳のジミーは、18歳にこの場所でアミとした約束を思い出す。
自分の気持ちにけりをつけて、新たに進もうという決意が感じられるシーン。
私が訪れた日は、残暑厳しい晴天の朝であったが、この高台にある大崗山超峰寺の展望台からの景色は素晴らしかった。
夏の空に入道雲が浮かび、市内の喧騒とは無縁の世界。
異国の地でひとりになって、私はどこに行きたいのだろう、何がしたいのだろう、と自分に問いかけてみた。
答えは「思うがままに」。
心に曇りのない状態の時でないと、このような答えは返ってこない。
どこに行っても、何をしてもいいのだ。
辛さや悲しみも一期一会
最初は映画でめったに泣いたりすることがない私が、青春時代に置いてきた思い出が特段あるわけではない私が、この映画を何度見ても号泣してしまうのは何故だろう、と不思議だった。
心臓をギューッと掴まれたようなこの感覚の正体は、何なのだろう。
台南の街を歩きながら、そんなことを考えていた。
そこで、ふと思い浮かんだのは、「一期一会」という言葉だ。
ここを二度と訪れることはないのかもしれない、この景色にはもう会えないのかもしれない。
そんな思いから、私は「今を生きる」大切さを感じていた。
いつもは、明日の、一週間後の、一カ月後の段取りで頭の中がいっぱいなのに、ただ今目の前の景色と目の前で起きていることを、思いっきり楽しんでみようと、思った。
ここにいること、目の前の景色、長い歴史が残した建物、行き交う人々、すべて一期一会なのだと。
そして、一期一会には、もうひとつ大きな意味があると気づいた。
それは、辛いことや悲しいこと、一見ネガティブと感じる出来事や感情も、一期一会だということ。
かつての私にとって「一期一会」とは、素晴らしい人や素敵な出来事との出逢いは一度きりだから大切にしようということを、意味していた。
辛いことや悲しいことは、対象外だったのだ。
だが、実際にはどんな人も、辛いこと、悲しいこと、切ないこと、永遠の別れを経験する。
非の打ちどころのない美人女優が、天才と称されるスポーツマンが、飛ぶ鳥を落とす勢いの経営者が、自分の人生を振り返って語る時に出てくるのは、人知れず乗り越えた数々の苦難のエピソードだったりする。
もちろん私にも、辛いこと、悲しいこと、切ないこと、永遠の別れは何度も訪れた。
それでも、壊れることになく、今ここで生きていることは、感謝に値する真実なのだ。
乗り越えることの意味
ここで重要なのは、「乗り越える」ことだと思う。
辛くても、悲しくても、逃げずに向き合うことができれば、その時点では二度と立ち上がることができない絶望的な試練に思えても、過ぎてしまえば人生の貴重なプロセスの一部となり、また笑える日がくるのだ。
そして、二度と会えない人々がくれた愛情や思い出は、その後も自分の中で生き続け、応援してくれる。
人の命には限りがあるように、形あるものはいずれなくなるが、永遠に生き続けることができるのは、魂や愛情のような形のないものの持つ特権なのだ。
映画の主人公36歳のジミーにとって、18歳の時のキラキラと輝く思い出は、アミとの約束を果たすことができなかったことで、辛く、悲しく、切なく、やるせない想いへと変わってしまう。
36歳になり、ビジネスに失敗し、絶望の淵にいたジミーは、失意の中、東京出張をきっかけに、初恋の人アミの面影を追って、日本各地を旅することを決意する。
旅を通して、様々な人との出会いを経験し、最後には自分の中の青春に終止符を打ち、再び歩き出すジミー。
この時点では、辛かった思い出、叶わなかった初恋の相手への想いは、昇華されて、再出発へと向かう彼を支える原動力となっていると感じた。
そのことこそが、この映画の魅力だった。
出来事自体には、幸・不幸の区別はないのだ。
人の捉え方によって、それは最高の幸せにも、絶望にも感じられる。
「一期一会」の意味は、以前思っていたのとは違い、会いたかった人との出逢いや幸せな出来事だけでなく、人生に起きたすべての出来事を指すことを、思い知った。
人生の意味に対して今思うこと
この台湾旅行を通して、辛いことも、悲しいことも、切ないことも、永遠の別れもすべてを味わって進み続けることこそが、人生の醍醐味なのだと思うようになった。
得られたものは、人生のリセットではなくまだ見ぬ未来へ飛び込む勇気だ。
辛いことも、悲しいことも、「今だけ」だから向き合って、存分に味わっておけば、次のフェーズへと次元上昇できる。
人生で出逢う試練には何らかの意味があり、自分が消えてなくなるような試練はやってこない、と今は思う。
私は、すべての出来事と感情を抱きしめて、乗り越えて、生きていこうと思った旅になった。
謝謝!ありがとう!台湾。
私はここからまた新たな道を進んでみようと思う。