かわいくなりたいし、自分を好きになりたい18歳。
「かわいくなりたい」
「自分の顔はコンプレックスが多い」
「自分が嫌い」
この思考に陥ったのは、間違いなく中学生の時に周囲の人間に、「ブス」「鼻の形が変」「窓開いてるから、飛び降りてくださいよ(笑)」なんて言われたことが原因だと思う。というか間違いなくそれだ。
あぁ、自分はかわいくないのか。そしてかわいくないから生きている価値がないのか、そう思ったことを覚えているし、今もそう思っている。
ただ、自分の顔面を鏡で客観的に見たら「ブス」ではないと思う自分もいる。二重だし、鼻だって団子だけどつぶれてるわけじゃない。唇も下がっているけど意識的には上げられる。肌は白いし、髪もちょっとウェーブでかわいいはずだ。そう、かわいいはずなのに、言われた言葉が耳にこびりついて離れない。
ずっと、私はかわいくないという事実が付きまとう。不安で、不安で仕方がない。誰といても「こいつブスだな」と思われている気がして仕方がない。
中学生のころ、
一緒に遊んでいた友人に、一緒にカフェにいたときに、スマホでツイッターに悪口を書き込まれていた。
私をハブにするように周囲の人に言っていた。
メイクのことについて話したら、あんな顔面メイクしたってwと言われた。
メイク道具、安物しか使ってないと言われた。
嫌われているのがわかっていても、小学生の時にぼっちのしんどさを味わったせいで、離れられなかった。
そのせいで、人が目の前で話していると悪口を言われている気分になる。
ちょっと、ほんとに少しの、些細な言動で嫌われていると思ってしんどい。
少し強い言葉を使われると嫌われたと思ってパニックになる。
友人からは、今は好いてもらえている気がするから大丈夫だけれど、家族や古くからの知人からはしんどくてしんどくて死にそうになる。
そして、そんな些細なことを気にして気に病んで泣いて過呼吸になったり、なりかけたりする自分が何よりも嫌なのだ。
漠然と、ただ漠然と変わりたくなった。
自分を好きになりたかった。すぐに泣いて悲しくなっちゃうところを、面倒くさいんじゃなくてかわいいと思いたい。
目の前で何が起きても、己を責めまくって「ここを変えないと、そうしないともっと嫌われる」と思いたくない。「あぁ機嫌悪かったんだな」で済ませたい。
ご機嫌に生きていたい。何を言われても泣きたくない。
そうするには、自分を好きになることしか方法がないことはわかっていた。自分に自信さえあれば、可愛いという自負があれば、きっと大丈夫なはずなのだ。たぶん、根本的に、親に少し冷たくあしらわれた時の記憶が残っているから、元からそういう、なんというかこっちを見て!という気質が強い人間なんだろうと思う。あんなの、親だって忙しいし機嫌が悪い時だってあるのに。
だから、変わろうと思う。
二重幅をそろえる。毛穴をきれいにする。足を細くしてミニスカートを履く。胸のサイズを大きくする。
アイプチを買ってみて、二重幅を揃えたときに涙が出てきた。少しだけ、否かなり、自分のなりたい顔になれたから。
自分を好きでいることを、言葉で伝えてくれる人の近くにいて自分を好きになりたい。ただ、それだけ。
たぶん、この世で一重が美しいとされていたら私は一重になるし、太っていることに価値を見出すのなら私は必死に太ると思う。これは間違っているのだろうか。
何年後かに、同窓会に行ったときにそこで一番かわいい子でいたいと思うのは面倒な人間なのだろうか。面倒な人間は好かれないから、愛嬌を振りまいて寛大な心で自立していないとだめなのだろうか。
とりあえず、昨日から声を変えた。かわいい声にした。
かわいくなりたい。ルッキズムとかどうでもいい。だって本当だから。かわいくて愛嬌がいい子が生きやすいのなんて当たり前だから。かわいくなる。そして自分を好きになる。
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