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【日記】十一月だね、おかえり神様

十一月ってさ、漢字にすると何かこう…見にくい気がするんだよね。横書きだと特に。

だもんで、タイトルや作品でも、そもそも使うのを何となく回避したり、使うにしても算用数字を選びがちになる。

でも、表記の揺れってちょっとフラストレーション溜まるんだよなあ。

そんなことが、今月最初の気づき。


昼過ぎ、どうにも眠たくて二十分ほど眠ったのだけれど、壮絶ながらめちゃくちゃに良い夢だったの。

ではどんな夢だったのかと問われると、途端についさっきまでそこら辺にあった「良い夢」の具体性が霧散していくという不思議。

いや、ああ良い夢だった…と起きた瞬間は思ったのよ!何がどうだったとかは、一切思い出せないのだけど。

あまりに心地良すぎて、目が覚めたとき真剣に、どっちが夢でどっちが現実かわからなかったもんね。

それでいうと、今自分がいる「こちら側」のほうが夢である可能性もあるのでは…などと考えだしてしまい、過去何度も擦られたミステリーのタネを握らされたような気持ちになった。


先月末にいただいていた、作品感想のお返事をば。

夕暮れ時の教室って、見ているとどうしてあんなにも心がギュッとなるんでしょうね…?別に何も特別なことはしていなくても、不可逆な時間が見えるような気になるのです。いくつになっても、忘れられない景色の一つです。
こちらこそ、作品の感想をありがとうございました!

過去作「はちみつ色の海」を読んで送ってくださったのかな、嬉しいなあ!


私は原則として、自分の目に見えるものを何とかして、共有できるような言葉の形に押し込んで、読む人と同じ景色を思い浮かべたいなと思っている。

つまり感覚として、私の選んだ言葉で「ピッタリ」と思ってもらえたということは、恐らく私の思い浮かべた景色と同じものを、隣で横並びになり見ているに等しいということ!

それって、言葉の持つ力として本当にすごいものだと思うんですよね。

例え同じ時を過ごしていなくても、似た感性と想像力をもってすれば、まるで一緒に過ごしていたかのように「その時」を共有できるのだもの。

言葉ってすごいなあ。

…と、迂闊に言葉にしてしまうと、一気に薄っぺらくなるのもまた、言葉のすごくて面白いところ。


月初なので、いつものように記録用のアクセス状況をば。

一番スキをもらっているのが、ショートショートというだけで嬉しくなる。
今月ものんびりぼちぼち、好きなことを好きなように書いていこう。


ようこそ、十一月!

…ね?ちょっと見にくいね?笑

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