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「電気のスイッチで学ぶ、行動変化の科学」【1】行動の役割

私のメンターのひとりである、応用行動分析学のスーザン・フリードマン博士が、あるセミナーを、こんな質問で、はじめました。

「目は、なんのためにあるのでしょう?」
「耳は、なんのためにあるのでしょう?」

受講者は、即答します。
目は、見るために、耳は、聞くためにあると。

でも、次の質問で、受講者は、答えに迷います。

「行動は、なんのためにあるのでしょう?」

みなさんも、この質問の答えを、ぜひ考えてみてください。

「行動は、なんのためにあるのでしょう?」

行動の役割

みなさんのご自宅にも、会社にも、学校にも、電気のスイッチがありますよね?たいていは、ドアの近くの壁にありますよね。

そのスイッチを、みなさん、押しますよね?

なんのために、電気のスイッチを押していますか?

電気をつけるか、消すためですよね。

電気のスイッチを押すという「行動」は、暗い環境を、明るい環境に変えます。明るい環境、暗い環境に変えることもできます。

さきほどの質問の答えは、ここにあります。

目は、見るためにあり、耳は、聞くためにあり、行動は、環境を変えるためにあるのです。

部屋の電気のスイッチは、工事でもしない限り、壁の同じ場所に、ずっと鎮座しています。

私たちは、その電気のスイッチを四六時中、二十四時間押し続けているわけではありませんよね?

「あるとき」にだけ押します。

外が暗くなってきたときや、その部屋で作業をしたいときに押します。電気のスイッチを押して、明るい環境を獲得します。

寝る時間になったり、その部屋から離れたりするときにも、電気のスイッチを押して、今度は、暗い、あるいは、電力を消費しないという環境を獲得します。

行動は、行動に続いて起きる環境の変化が必要なときに、起きます。

つまり、行動が起こるということは、その行動を実行する人や動物が、その行動に紐付いている結果が必要な環境に置かれていることを意味します。

行動は財産のようなもの

電気のスイッチを押して、明るい環境を獲得するのは、その場所が暗いという問題に対処するためであり、電気のスイッチを押して、暗い、あるいは、電力を消費しないという環境を獲得するのは、不要な電気の明かりが存在するという問題に対処するためです。

つまり、「電気のスイッチを押す」というのは、直面している「明るさ」の問題に対処するための手段です。

行動は、直面している問題に対処するための手段であり、問題解決のツール(道具)なのです。

問題解決のツールは、たくさん持っているほど、そして、それをうまく使えるほど、多くのことに、すばやく、適切に対処できるので、生き残りやすく、暮らしやすくなります。

例えば、電気のスイッチを手で押せないときに、「電気をつけて」と人やアレクサに頼んだり、体がめちゃくちゃ柔らかくて、V字バランスも得意で、足でも簡単に、壁のスイッチを押したりすることができれば、荷物で両手が塞がっていても、その荷物を床に下ろして、また持ち上げるという労力や時間を掛けることなく、「明るさ」の問題に対処できます。

多く持っているほど、生き残りやすく、暮らしやすくなる行動は、財産のようなものです。

動物のトレーニングは、第一の目的は、動物たちの行動という財産を増やして、よりよい暮らしを手伝うこと。ショーでのパフォーマンスや、作業や競技会で求められる行動を教えるのは、第二の目的です。

(動物のトレーニングの)第二の目的が、第一の目的になると、動物たちの福祉は、脅かされる(Ken Ramirez)

私たちが関わる動物たちは、人間という、自分自身とは異なる種にとって、都合のいい社会と、人間が好み、望む関わりの中で、生きていかなければなりません。

私たち人間にとって、好ましいことや、なんでもない環境、関わり方であっても、異なる種である動物たちにとっては、そうではありません。

人間の社会の中で暮らすことは、彼ら動物たちにとっては、不自然で、特殊な状況。その暮らしを選んだのは、彼らではなく、私たち人間です。

私たちは、動物たちを助け、手伝う立場にあります。私たちは、動物たちの身体的な安全と健康だけではなく、精神的行動的な安全と健康にも責任があります。

私たち人が、関わっている以上、動物たちは「自然」ではありません。

動物に親切にするとは、こうした事実を理解して、不自然で、特殊な環境での暮らしによる不快、苦痛、ストレスを軽減して、その動物と周囲の人や動物の、心身の安全と健康とリラックスを拡大するための選択と行動をすることです。

行動変化の科学をはじめとする科学を、適切に利用することで、動物たちのニーズや苦痛、彼らが直面している問題を理解して、可能な限り苦痛に感じる出来事を減らし、望ましい行動をうまく使って、対処できるように手伝うことができます。

動物のトレーニングは、動物たちのよりよい暮らしを手伝うもので、適切なアニマル・ケアの重要な柱の1つです。

おっと、行動の話から、動物のトレーニングの倫理の話に脱線してしまいました。失礼しました。

行動に話しを戻しましょう。

「犬に問題がある」という前提に問題がある

みなさん、毎日行動していますよね?

寝ているとき以外は、ずっと行動しています。

にもかかわらず、行動がなんのためにあるのかという質問に、答えられなかった方が、ほとんどだったと思います。

それには、理由があります。

私たちは、行動について、よくわからないまま、行動しているのです。

行動の役割や、行動が変化するしくみを知らないだけではなく、自分自身がそれを「知らないことを知らず」に暮らしています。

行動の問題に直面したとき、科学的に考えたり、分析したりするのではなく、自分が思いつくことと思いつくことを結びつけて、結論を出します。

自分が、行動について、よくわかっていないことがわからないので、自分の考えや結論を疑うことをしません。

太陽が、朝のぼり、昼間空を移動し、夕方になると沈む。それを見て、太陽が移動していると感じます。

実際には、太陽が動いているのではなく、自分が立っている地球が、回転して、移動しているにも関わらず。

私たちが感じることと、実際に起きていること(事実)は、同じとは限りません。

散歩のときに、犬がリードを引っ張って歩くことを、問題だと感じるとき、人は、「犬に問題がある」と考えます。

そして、それを前提として、その前提にフィットする「問題のある犬」を変えるための方法を考え、探し、選択をします。

自分自身の散歩の仕方に問題があるとは、1ミリも考えません。

リードの安全で、犬に負担を掛けない持ち方や扱い方も、非言語の動物に行動を教える手順も、学んでも、練習してもいないにも関わらず、自分は正しく、問題がないと考えます。

おもしろいですよね。

「犬に問題がある」という自分の考えに問題があることにも、当然気づきません。自分の考えに、ぴったりの方法を見つけて、それを正しいと信じます。

行動の役割や、行動変化のしくみ(科学)を知っていれば、こうした選択をしないですみます。

行動は、置かれている環境に対処するために起きるのですから、行動が起きているとすれば、その行動を必要とさせる環境が存在しているということ。

犬がリードを引っ張るのであれば、その行動を必要とさせる環境が存在しているということ。犬に問題があるのではなく、環境に問題があるということ。

飼い主は、自分の犬の環境を選択し、提供しているだけではなく、自分自身の存在や行動が、自分の犬が置かれている環境の中の一部です。

長い時間、すぐ近くにいる飼い主の選択や行動が、犬の行動に影響を与えていないわけがありません。

自分の犬がしていることのなにかを変えたいのであれば、自分がしていることのなにかを変える必要があります。

それを理解することが、動物の行動の問題に適切に対処するための第一歩です。

できるようになるまで教わっていないことは、できないし、うまくできるようになるまで練習していないことは、うまくできません。

それは、誰だって同じ。犬も、人も。

望ましくない行動が繰り返されているのであれば、犬も、人も、新しいことを学ぶ必要があります。

行動は、環境によって起こり、環境によって変化する

置かれている環境を変えるために、行動は起こります。

その行動によって、望む結果が得られれば、その行動は、役立つものとして、生き残り、望む結果を獲得できなければ、役に立たないものとして、消えていきます。

(図のうねうね矢印の理由は、長くなるので、別の記事でお話します)

行動して、望む結果を得ることを、繰り返せば、繰り返すほど、その行動は「便利なツール」として、選択される優先順位が上がり、その行動に熟練していきます。

これが、望ましくない行動は、未然に防ぐことが重要な理由です。

望ましくない行動を、繰り返せば繰り返すほど、その行動が起こりやすくなり、その行動を実行するのがうまくなります。

私たちは、環境のすべてをコントロールすることはできません。また、自分が提供する出来事が、動物にとってどういうものなのかを決めることはできません。

行動が起きれば、いい結果を獲得していまう可能性があります。

例えば、人が、犬の望ましくない行動に対して、「NO!」と言うことで、行動を減らそうと考えても、「NO!」と言うことが、行動にどんな影響を与えるのかはわかりません。

「NO!」と言うことが、興奮や不安を呼び、感情的な脳の部分が活性化することで、ますます冷静な判断や学習ができなくなり、望ましい行動の選択をしづらくさせる可能性があります。

日頃、飼い主との関わりが少なければ、「NO!」という声と視線が、聴覚的・視覚的注目という社会的に関わりとして、いい結果になることもあります。

行動すること自体が、その犬にとって、必要なものであったり、心地よさを感じるものであったりすれば、行動している時点で、いい結果を獲得することになります。

「NO!」と言ったあとに、犬が、偶然にもなんらかのいい結果を獲得すれば、「NO!」は、「GO!」という意味になります。

(懲罰式対処の副作用についても、長くなるので、今度まとめて、書きますね)

望ましくない行動は、未然に防ぐ。やらせてからの対処を考えるのではなく、その行動が起こりにくい環境を作ることが重要です。

望ましい行動が、どんどん減っていく理由も、このしくみでわかります。

犬たちがしている望ましい行動は、静かで、目立たないために、人に気づかれず、いい結果を獲得することもできないために、消えていきます。

犬たちは、本当にたくさんの望ましい行動をしています。

私たちが、仕事や家事をしたり、スマホを見たり、自分がしたいことができるのは、犬たちが、そのとき、落ち着いた、静かな行動をしてくれているからです。気づいていますか?

落ち着いた、静かな行動では、いいことが起きず、激しい、望ましくない行動をする方が、飼い主の目に止まりやすく、飼い主の反応を簡単に獲得できるのですから、望ましくない行動が増えて、望ましい行動が減っていくのは、当然のことです。

でも、行動の役割や、行動の変化のしくみを知らないと、そうした犬を見て、「悪い子だ」「言うことを聞かない」「落ち着きがない」「うるさい」と言います。

自分の選択と行動が、望ましい行動を減らして、望ましくない行動を増やしていることに気づきません。

自分が知らないことを、知らないので、動物のせいにして、動物を責め、動物に責任を負わせる選択しか、思いつかないのです。

悲しいですよね。残念ですよね。

客観的科学的に、行動と環境について理解することは、動物が置かれている状況や、動物が抱えている苦痛、動物が直面している問題を知り、適切な選択と対処をするためには、不可欠です。

望ましい行動を増やして、望ましくない行動を起こりにくくしたいのであれば、望ましくない行動を必要とさせている環境的な要素を見つけ出して、改善する。

そして、望ましい行動を実行しやすい環境を作って、望ましい行動を実行した結果として、いいことが起きるようにして、望ましい行動をやりやすく、やりがいのあるものにする。

環境が行動を生み、繰り返させているのですから、行動の改善には、環境の改善が必要です。

望ましくない行動を起こさせ、続けさせている環境的な要素を観察と分析によって、見つけ出すのが、行動分析(機能分析)です。

動物のトレーニングのプロフェッショナルは、動物の福祉のプロフェッショナルでもあるべき(Ken Ramirez)

行動を「攻撃的だ」、「自分が上だと思っている」、「甘えている」、「わがままだ」、「社会化が不足している」というのは、分析ではなく、分類であり、ラベル(レッテル)です。

分類やラベルは、行動の理由にはなり得ません。

分類やラベルが、行動の理由になり得ない訳は、今後の「電気のスイッチで学ぶ」シリーズの記事を読み続けていただくとわかります。

今後の記事も、お楽しみに。