作業療法士とは、一体どんな職業なのだろう?——歴史を顧みずに考える——
【はじめに】
読者の多くが作業療法士と聞いてイメージするのは、「何らかのリハビリ職」以外のものはそうそう出てこないだろうと思う。
この記事では、いち作業療法士を目指す学生として2年間学修し、各領域の見学実習の経験もした筆者が「作業療法士とはどんな職業なのだろうか」ということを考察していく。
結論としては、筆者が考える作業療法士とは「リハビリ職に位置付けられた『医療福祉の何でも屋さん』」である。(2025年2月26日現在)
最初に「定義の話」が入っているが、必要に応じて読み飛ばしていただければと思う。見出しを()でくくってあるものが当該部分である。興味があるのならば読むのもよし、興味がなければ飛ばして「【本論】~」から読んでいただいても問題ない構成にしてある。
こういった類の書籍や記事では「歴史」の話が入ってくるのが定番だが、あえて「日本の現在における作業療法士」に絞って述べる。歴史の話は話があっちこっちに飛び、ただでさえ曖昧さが課題の作業療法士にさらなる曖昧さを追加したくないためである。
質問や疑問については返答をできる限りしていきたいと思うので、コメントを頂ければ幸い。もちろんシンプルな感想も大歓迎である。
(作業療法士の法律上の「定義」)
まず、作業療法士というのは国家資格であり、『理学療法士及び作業療法士法』にその定義が記載されているので、一応記載しておく。
そこには、
「この法律で「作業療法」とは、身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行なわせることをいう。」
「この法律で「作業療法士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、作業療法士の名称を用いて、医師の指示の下に、作業療法を行なうことを業とする者をいう。」
とある。
(日本作業療法士協会による「作業療法の定義」とその反骨精神)
さて、法律上の定義について述べたが、「読み飛ばしていいな」と思った方は「文脈が読める人」だと筆者は評価する。
なお、真面目にすべて読んでくれた人は「勤勉な人だな」と評価する。
実際、保険で作業療法が処方され、公的報酬として認められるための法的根拠ではあるため、記載せざるを得ない、というだけの話である。
さて、日本には日本作業療法士協会(以下JAOT)という組織(一般社団法人)がある。日本において作業療法士が最も多く所属する組織といって差し支えないだろう。
そのホームページの奥深くに「作業療法の定義」というページがあり、そこには
「作業療法は、人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの領域で行われる、作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為を指す。」
とある。なお、この3〜4倍の注釈がついており、定義の話であるのに2018年に改定までされている。
ここで注目していただきたいのは、このページには『理学療法士及び作業療法士法』の文言が全く記載されていない、ということである。noteという自由な場ですら筆者のような配慮をするというのに、である。
この時点でJAOTが法が定める定義に対し大いに不満を抱いていることがよく分かる。将来所属する可能性がある組織に配慮して「反骨精神」という見出しに出しているが、その内容はなかなかどうしてファンキーである。
ここで対照的なのが日本理学療法士協会(JPTA・公益社団法人)のホームページで、わかりやすい場所に理念と一緒に法の文面が併記されている。
こういった点でも、作業療法士と理学療法士の「スタンスの違い」が見える。
【本論】理学療法士と「同じ」部分とは
さて、作業療法士がされる質問の8割以上を占めるであろう質問がある。
「作業療法士は何をする職業なのか、理学療法士と何が違うのか」。
作業療法について学んできた筆者はいつも思う。
「逆に、理学療法士と同じ部分はどこなのだろうか」と。
・同じ法的根拠の下、診療報酬や介護報酬を算定・請求できる
・いわゆるリハ職であり、医療や福祉と関係が深い
・身体的アプローチを行う(「共通点として」ということに注意)
・名称独占である(業務独占ではない)
以上が、作業療法士と理学療法士の共通点である。細かい見逃しなどはあるだろうが、上記4つの項目から大きく外れたものはないと考えている。
なるほど確かに、これだけの共通点があれば「だいたい同じ」という認識になるのも無理はない。
実態として、病院や施設などで理学療法士の「サブ」として働いている作業療法士は少なくない。
つまり、「理学療法士と同じようにリハビリをする人」という理解は、少なくとも正解のうちのひとつであることを認めざるを得ない。
筆者の意図しなかった現象。だが・・・
さて、察しの良い読者であれば、筆者が場当たり的に執筆していることが分かると思う。
なにせ、前見出しで本来言いたかったことは「理学療法士と作業療法士の共通点は少ない」ということであったのだから。
それが情報や知識を整理していくうちに「普通の人はこれなら『ほとんど同じ』になるな」「正解のひとつとして認めざるを得ないな」という結論に達してしまったのだから、本末転倒である。
書籍の執筆であれば構成を修正するところであるが、noteという場においてはこのライブ感はある意味醍醐味だと思っているため、このまま残す。
実は、この「変化してしまった」ことは、非常に大きな意味を持つ。
「作業と作業療法」については別記事にするつもりだが、「noteの執筆」は「作業療法にできる可能性の非常に高い作業」に該当する。
そして次の見出しからの題材が場当たり的に変更される。
作業療法士が「うまくできる」こと
「うまくできる」の理由
先述した通り、作業療法士と理学療法士は名称独占の国家資格である。
これは「その名称や、紛らわしい名称を資格なしに用いてはならない」ということであり、逆に言うと「無資格者が作業療法や理学療法をしてはならない」という規定はない。
たとえ高校生が作業療法を行ったとしても、それは違法とはならない。
だからこその「うまくできる」なのである。
理学療法士が「うまくできる」こと
まずは理学療法士が「うまくできる」ことは、「身体をうまく動かせるようにする」ことである。
理学療法士の「理学」とは「物理学」のことであり、骨と筋肉で体を動かす「運動」は、紛うことなき「物理学」である。
理学療法士は「運動能力」を改善できればその職務を果たしていると言える。
作業療法士が「うまくできる」こと
では作業療法士が「うまくできる」こととは何か。「QOL」や「ADL」など、様々な表現方法があるが、要は「幸せな生活や人生を送れるようにする」ことだと筆者は考えている。
「そのために何をするのか」を見定め、実施することが作業療法において最大の難関であり、時に最高の正解が「何もしないこと」であることすらある。これは作業療法の参考書にもきちんと書いてあることである。
極端な話、法や倫理に反しなければ「何をしてもいい」のが作業療法の強みであると筆者は考察している。
【考察】「自由」な作業療法士
「何をしてもいい」という無茶振り
もし医師から作業療法の処方や指示が具体的であれば、あるいは作業療法士が全員素晴らしいアイデアを持つ人材たちであるのならば、作業療法士の地位はもっと高いものであっただろう。
しかし医師は作業療法を知る余地がないほどに情報を頭に入れ続けねばならず、残念なことに、学力や発想力に富んだ学生はあまり作業療法士を選んでくれない、というのが2025年の現状である。
となれば「職務を果たしている理学療法士の真似事」や、「今までやってきたことを続ける」といった「作業療法」になるのは自然な流れである、と言わざるを得ない。
気楽に考えよう。
「何かをして」「いいことにつながれば」作業療法と呼んでよい、と筆者は考えている。
だからこそ、「noteで情報を整理していたら頭の中の答えが変わってしまった」という、この記事での出来事は筆者にとって「作業療法」なのである。
「効果」を挙げるならば、
「普通の人は理学療法士と作業療法士は変わらないように見えて当たり前」
ということに気付けて、
「理学療法士と比較された時点で作業療法士は印象が良くならないかも?」
という新たな段階の疑問が出現した
ということになる。このぐらい「軽い」ものでいいのである。なお上記内容は筆者が勝手に理屈付けただけで、「あー、なるほど!」と同義である。
そう考えれば、少なくとも「これは本当に作業療法なのだろうか」という疑問に関しては相当軽く考えることができ、「じゃあどうやって説得力を持たせようか」という部分に注力することができる。
説得力の付け方についてちょっと意地悪な言い方をするならば、「悪いことをしていない詐欺師」がやり方としては理想的だと考えている。
「騙されているが、幸せな人」
「悪いことをしていない詐欺師」という物々しい表現をしたのには、筆者が出会った一人の方が関係している。
その方は「詐欺とまではいかないが騙されているであろう人」であった。
しかし「病院での作業療法」を「つまらなかった」と言い、「詐欺のような騙し」の方が効果があった、と言った。
そして後者の「詐欺のような騙し」ほうが身体・精神・社会的な活動力の著しい向上につながっていることが見て取れた。
このとき、「作業療法」を行えていたのはどちらなのだろう。
「騙すこと」がその人の幸せにつながるというケースを目の当たりにし、「作業療法のあり方」について考えさせられた出来事であった。
【結論】作業療法士とは
簡単に言えば医療福祉分野で「その他」を受け持つ職業である。
原理的に言えば「何をしてもいい」のだが、それはほとんど「丸投げ」という現状があり、「理学療法士への追従」や「従来の繰り返し」になるのはただの自然な流れである。
この状態を打開したい人には、極端な話「リハビリ職」という枠から「はみ出す」勇気が求められているように思う。
どこに「はみ出す」のかは、それこそ人それぞれ。だからこそ、冒頭に「何でも屋さん」と述べたのである。
「何でも屋さん」といっても「何でもできる」ではなく「何とかできる」という意味であり、その時に他の職種に頼れたほうが良く、時には「ただの橋渡し役」であったとしても、それは十分に「作業療法」を行ったと言えるであろう。
そういう意味で「何でも屋さん」は作業療法士以外にもたくさんいる。だが、「医療福祉分野の何でも屋さん」は現状、作業療法士ぐらいしかいない。
頼りになる医療従事者となることを目指し、同志・仲間を増やしていきたいと思う人にこそ、作業療法士は向いていると、筆者は考える。
【おわりに】
5000文字弱の長文であったが、ひとまずここまでたどり着いてくれた読者に最大限の感謝を。もちろん、飛ばして、かいつまんで読んでいただいた方にも感謝を。
筆者が自分で題材を発生させ、それを議題にして記事が書けてしまったことは非常に大きな経験だったと感じている。つまり、筆者は筆者自身に「作業療法を行った」と言えるのである。
「煙に巻かれたようだ」「これが本当に療法、セラピーなのか」という意見は甘んじて受け入れるが、作業療法とはこれが良さのひとつである。
このような「それは医療福祉に入るのか?それでいいのか?」という疑問の意味が変わってきたときが、作業療法士の「本当の出番」なのかもしれない。
さて、とりあえず記事内でも言ったように「作業と作業療法」についての記事は「いつか」書くつもりでいる。コメントで催促があったら、思い出して書くかもしれない。
おまけ
次の記事は未定である。
作業療法士は様々な視点・切り口があった方が良い、と筆者は考えているため、文房具の話かもしれない(なおその場合、オレンズシリーズの話が長くなる)し、馬の話かもしれない。ガジェット系の話もいいし、お金についての話も悪くない。
そういえば頚椎症性神経根症にかかり、右腕の痛みや痺れに悩まされているので、それと解剖学を絡めて・・・など、話のネタは山のように積まれている。
書ける分は書こうと思うが、さすがに5000文字超え(おまけ部分で超過した)の記事は疲れた。
もう少しセーブしていかないと、生活に支障をきたしてしまう。
ゆるゆるとやっていきたい所存である。