情報との向き合い方について
今回のnoteは、今までのnoteとは少し毛色が異なる内容になり、既に投稿したnoteをベースにした内容になります。内容としては、私自身の情報の真偽を判断する際の判断基準について、どのようにして磨いてきたかについてです(と書くと格好良いですが、自ら意図して磨いてきたというより、結果的にそうなった部分が大きいです)。私自身の時系列で書いているため、内容にまとまりがないので、本noteの目次を要約代わりにしました。
1.トム・クランシーの小説からリテラシーについて考える
元々情報の真偽に関心を持ち出したのは、テクノスリラーの大御所で、題材として諜報関係を取り扱った小説を執筆されていたトム・クランシー氏の小説を読んだことがきっかけで、その後ミリタリー関係の書籍に手を出した際に、軍事評論家だった故・江畑謙介氏の書籍を読んだり、ある程度関連性のある分野として安全保障について調べてみたり、プロパガンダの手法や歴史をたどることはしていました。
また、考える事が好きだったので、この辺りの時期から考える力を活用し、(書籍であれ記事であれ)述べられていることに対し、"これは正しいのか?"と懐疑的に考えたり"述べられていることに対する妥当な根拠(ソース)はあるのか?"、"これを信じると誰(あるいはどのような人々)にとって都合が良いか?」といった考え方が出来るようになったり、"いかにも広めたくなるような内容"に対してどう向き合うかについて考える事ができるようになりました。Twitterで言えば、リツイートボタンを押させて拡散を誘導するようなツイートがそれに該当すると感じます(感覚としては該当するツイートは、怒りや憎悪、哀しみなど、ネガティブな感情を喚起させるツイートが多い感触を受け、ツイートを見て感情に流されるままに拡散しそうになるため、慎重に対処する必要があると感じます)。今から考えると、いわゆる"リテラシー"を意識するようになった契機はこの辺りにあると考えられます。リテラシーが必要になる局面はかなり広く、非常に役に立つ能力だと感じます。
2.アーサー・C・クラークの書籍から情報の真偽について考える
トム・クランシーの小説を読むようになった後、SFのビッグスリーの一人、アーサー・C・クラークの小説も読むようになったのですが、クラーク自身の回顧録である「楽園の日々」において、アスタウンディング・サイエンス・フィクション(SF雑誌で、何度か誌名が変わっており、現在は"アナログ・サイエンス・フィクション・アンド・ファクト"という名前になっています。このnoteでは、"アスタウンディング"と書きます)の中でクラークが疑似科学を本物の科学であるかのように書いているSF作品に厳しい評価を下したり、同紙の編集長を務めたジョン・W・キャンベル("ハードSF"というジャンルの成立に大きな影響を与え、SF作家として有名なアイザック・アシモフの編集も担当し、"ロボット工学三原則"という言葉を生み出した人物です)が徐々に疑似科学に傾倒し、アスタウンディングに疑似科学や超常現象を扱った作品を多く掲載した結果、(クラーク自身も含めて)多くの読者の反発を招いたことが記されています(余談ですが、キャンベルが編集長になる前のアスタウンディングにH・P・ラグクラフトの"狂気の山脈にて"が掲載されたことがあり、クラークも読み、作家デビュー前に"陰気なる山脈にて"というタイトルでパロディ小説を書いたことがあるそうです)。
それ以外にも、クラークのエッセイ「信条」("ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク"の3冊目である「メデューサとの出会い」の最後に掲載されています)にはスティーブン・ホーキング博士と討論番組で共演(同誌の巻末に掲載された年譜によると、この時、天文学者であり、「Cosmos」や「人はなぜエセ科学に騙されるのか」の著者でもあるカール・セーガンも出演していたそうです)したことや、「ホーキング、宇宙を語る」の大きな成功について、"ポピュラー・サイエンス――それどころか、教養部門――の最前線から久しぶりにもたらされた朗報である"と書いています。
なお、クラークの小説は、クラークの没後に出版された版については現時点では電子版で入手可能です。
3.スティーブン・ホーキング博士の本から専門性の高い書籍の内容について考える
その後、クラークの項目で名前を挙げたホーキング博士が執筆した「ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう」を読みました。博士の本の特徴として、『専門の領域について平易な言葉を用いて"内容の質を落とさずに"説明する』ということの難しさを感じました(恐らく簡単ではなかったと思います。「メタバース さよならアトムの時代」に関するツイートをした際に、同書を引き合いに出したのは、ジャンルは違いますが『専門の領域について平易な言葉を用いて"内容の質を落とさずに"説明する』部分は共通していると感じたからです)。
何度か読んで考えてみたのですが、読む側も、"この内容は正しいのか?"という視点で読むことは必要だと思いますが、専門性が高い内容を扱った書籍の場合(ホーキング博士の場合は分野としては"現代宇宙論"辺りが該当すると思われます)、判断できる知識を十分に持った読者自体が少なくなってしまうので、読む側が本の内容の妥当性を判断するための基準を持つ必要があると感じます。私の判断基準として、"①:書いている人は信頼できるか?"と"②:誰が評価をしているか?"があり、発言者や評価している方のバックグラウンドを重視し、この二点で評価するのが信頼性は高いと考えられます。
「メタバース さよならアトムの時代」を例に挙げると、①のポイントに関しては著者(加藤直人氏)はクラスター株式会社のCEOであり、メタバース(VR)という分野を語る点においてバックグラウンドとしては十分ですし、私自身がclusterで行われたイベントで何度かお話を聴講した時の内容も判断材料にできました。②に関しては、Twitterを確認し、メタバース(VR)に携わる、あるいは造詣の深い方々が書籍に評価しているかを確認しました。そのような方々の評価は参考になると考えて良いと思います。①と②の点を総合し、書籍に書かれている内容は正しい可能性が高いと判断しました(メタバースに関する他の書籍に関しても、同様の方法で判断することはできると考えられます)。
4.余談:専門外の発言をどう評価するか?
「ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう」において、ホーキング博士はいくつか専門外の分野に関する質問に答えています。その中の一つにAIに関する問い(人工知能は人間より賢くなるのか?)があり、博士らしい深い洞察力から一定の妥当性はあると考えられますが、専門外の内容に対してここまでの洞察ができる人は限られていると感じました。Twitterに関しては、専門の分野であっても、そうでなくとも自由に発言できるので、情報が正しいかの判断をツイートを見た側がしないといけないこと(慎重に行くのであれば発言者のバックグラウンドまで追って正しいかの判断をした方が良いと思いますが、全てのツイートに対してするのは大変だと思います)、さらに個人的な感覚として、Twitterでは正しい情報だから広がるということはなく、間違った情報の方が広まりやすいという感触があり、(既に広まった)間違った情報を起点に訂正する形で正しい情報が広まることはありますが、間違いを訂正する人がどのような人か分からないと、訂正が正しいかの判断が難しいと感じますので、より慎重にいかないといけないと思われます。
5.関連項目
5-1.Wikipedia
トム・クランシー
江畑謙介
リテラシー
プロパガンダ
アーサー・C・クラーク
ジョン・W・キャンベル
アスタウンディング
H・P・ラグクラフト
スティーブン・ホーキング
カール・セーガン
ホーキング、宇宙を語る
現代宇宙論
5-2.書籍
本note投稿時に入手可能な書籍のみ掲載しています。
楽園の日々
メデューサとの出会い
「ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう」
メタバース さよならアトムの時代
5-3.私が執筆したnote
トム・クランシーについて
アーサー・C・クラークについて
「メタバース さよならアトムの時代」を読んで
(スティーブン・ホーキング博士の書籍について取り上げています)