2022年10月26日、母が車にひかれて兵庫災害医療センターに搬送された。 出勤のため家を出ようとしたとき携帯に公衆電話から着信があった。 嫌な予感は的中、うろたえる父。 病院に駆け付けると医師から 「右足首の骨折はひどく、全身打撲もあり今日、明日は何があっても不思議ではない。」 と説明を受けた。 コロナ禍で多くの病院が面会禁止となる中、 この病院は11時から17時までの1回15分までの面会が可能だった。 祈りが通じたのか、母はメキメキ回復した。 早々に命の危険はなくなっ
2022年10月26日午前8時、公衆電話からの着信。 心拍数が急激に上がる。 父88歳、母87歳。 この時間、公衆電話、間違いなく両親のいずれかに何かがあったに違いない。 電話の相手は父。 父「お母ちゃんが車にひかれた。」 私「生きてるの?死んでるの?」 父「わからん。」 私「いまどこ?」 父「わからん。」 私「近くにいる人に聞いて」 ・・・ 母が数年前に転倒し骨折したのを契機に両親は車の少ない早朝を選んで毎日散歩をしていた。 この日も朝6時、家を出た途端に前方不注意の自家用
立て続けに両親を亡くした私に 多くの人が 「これからは自分の人生を歩んでいってね」 と声をかけてくださる 自分の人生って何? 今までは私の人生じゃなかったの? もう58歳 これから? そう、これからも私は生きていく だけど、それが何なんだろう ただ、生きているだけ 生きているだけで偉い? そう、生きているのは辛いから 私が生きていることを知っている人はいても 私が生きていることに興味がある人は一人もいない 誰もいない それでも私は生きていこう 誰に必要とされな
私の両親は毒親だと思っていた。 いや、多分、世間一般的には毒親だったんだろう。 でも、いなくなって初めてわかった。 毒親でもなんでも親ほど愛おしい人はいない。 いや、毒親だからこそ、いてもらわなければ私が生きる意味がない。 子供の頃からずっと辛かった。 なんでもできる姉となんにもできない自分 父は私のことを『夜明けの行燈(あんどん)』って呼んでた。 意味がわからなくて『行燈(あんどん)』を辞書でひいてみた。 それで、多分、 夜明けの行燈は点いてるか点いてないかわからな
2024年、今年は1月27日に母を亡くし、7月4日に父を亡くした。 昨日、怖い夢をみた。 父が施設で写真を撮ってもらったと言う。 父はその写真を失くしたので同じ写真をもう一度撮ってほしいと言う。 私は、施設の人にネガをもらいにいった。 施設の人は、写真は撮るふりをしただけだと言う。 どうせすぐ死ぬ人間の写真なんてあっても困るだけだと言う。 私は写真を見るのを楽しみにしている高齢者の気持ちを思って涙する。 撮った後から写真を撮ったことを忘れる高齢者もいる。 写真を見るの
「ばえる」として、SNSでは色んな食べ物の写真を見ることができます。 テレビでは、出演者による「食べる」実演を観ることができます。 でも、私は日常の「食する風景」が一番好き。 昨日の夕方は、駅の構内で歩きながら『御座候』(回転焼き)を頬張っている女の子を見た。 数日前の朝は、ベンチで菓子パンに噛りつこうとしている女の人を見た。 菓子パンの袋を開けたときの、ふわっとパンの香りが広がって、さぁ、かぶろうとする瞬間。 食べるという行為がいかに私たちの人生を豊かにしてくれ
久しぶりにログインしたら一周年だった。 去年の今頃からメンタル絶不調。 あぁ、私なんて、子どもの頃から 誰からも愛されたことがない。 一生懸命、誰かに尽くしても利用されるだけ。 誰も私を大切にしてくれない。 こんな状態も一年以上続くと なんか、一生、自分だけでいいや、と思えるようになってきた。 誰からも大切にしてもらえないので 私は私なりに私を大切にしよう。
また、友人と呼べそうな人物と決別した。 年齢を重ねるほど私は孤独になる。 内心、嫌だな、と思いながら友人でいるフリをすることに堪えられない。 でも、そもそも、皆、気の合う人間などいるのだろうか。 たいていは、皆、少々嫌だと思うところも含めて友人関係を続けているのが普通なんだと思う。 私は無理だ。 しかし、人間関係を断ち切るのは本当に簡単だ。 私は、紙袋1枚捨てられないほどケチなのに、 親子以外の人間関係は全く未練なく捨てられる。 たった一人の姉とも絶縁。
今日、職場で上司と口論になった。 私は非常勤職員で相手は正規職員の係長。 私の仕事は、、例えるならば、 そう、道路に穴を掘ってすぐに埋めるような そんな仕事だけれども、 それでも事故が起きないように それなりに段取りを決めて仕事をしている。 なのに、突然、今の作業を中止して 砂漠にじょうろで水をまけ! というような命令をされる。 道路に穴を掘る理由も 砂漠に水をまく理由もわからない。 ただ、職員の指示に従うだけ。 なんかイライラしてきた。 だれもいない砂漠に水をま
お金は配ればいいってもんじゃありません。 富裕層にとって10万円なんてあってもなくてもどうでもいい。 中間層は10万円は使わず貯めておこうと考える。 言うまでもなく10万円を効率よく市中に循環させるためには、今、お金に困ってる人たちに配るべきです。 しかし、マイナンバーはいやだの、ワクチンは打ちたくないだの、損はしたくないだの、にっちもさっちもいかない日本をどうすればよいのだ。 こんなんじゃダメだって、子供だってわかるんだよ。 株価が後退したのは、全員に配らないか
あぁ、やっぱり私は母親が大好き。 母に電話しなくなって1カ月。 寂しい。 声が聞きたい。 でも、電話できない。 色々話したいけど、何も話せない。 電話しなくなって楽になった。 私、母と話しをしなくても生きていけるんだ。 元気かな。 元気でいてね。
久しぶりに母から電話があった。 急ぎで食器用のカゴを買いたいとのこと。 病院で喘息と診断されたらしく、カビがはえている食器カゴはよくないらしい。 またも、「お父さんが薬を飲ませてくれた。お父さんが病院に連れていってくれた。お父さんが風呂の蓋をしてくれた。」 お父さん(夫)を中心に、いかに多くの人が自分を心配してくれているかを繰り返し話す。 次第に私の胸の鼓動が大きくなって、何かに押しつぶされそうになってくる。 どうしたんだろ、本当は母が大好きなはずなのに。 なん
マンションでエレベーターを待っていると涙が頬を伝った。 小さな男の子が父親の足の上に乗っている。 父親は優しい声で「足を踏まないで」と言っている。 男の子は「いや」と言う。 結局、エレベーターが来るまでこのままだった。 もし、私が子供のころ、同じことを父親にしたならどうだったろう。 恐らく、足首を骨折するか、頭蓋骨が陥没するかどちらかだろう。 父親と一緒に出掛けることなどほとんどなかったものの隣に立つだけで相当な緊張感があったはず。 なぜなら、いつ、何の理由で
毎日かけていた実家への電話。 やめてみて12日が経過。 今日は敬老の日。 本当は実家に言って敬老の日を祝ってあげなきゃいけないはず。 でも行けない。電話もできない。 きっと、両親は怒っているはず。 私は幼いころから両親について良い思い出がない。 日用品を扱う自宅兼店舗で終日店に立つ母。 ギャンブル依存症ですぐに暴力をふるう父。 父は私を嫌っていた。 母は私に「お前に人並のことはできない、目つきが悪い、だから嫌われる」と言う。 私は結婚どころか恋愛もしたこ
ミスを連発する。 もともとうっかりさんだけど、最近は異常レベル。 このまま続くと信号無視して車にひかれて死んじゃうじゃないか?ってくらい。 夢でも遅刻する夢だったり 電話をかけようとしても何度も番号を間違えてかけられないの。 大人のADHDかな? ネットでセルフチェックしても該当しない。 友達から「うつじゃない?」と言われ またまたネットでセルフチェック。 あ、「うつの症状がみられます。」だって。 そうかぁ、うつなのか、わたし。 しんどいこと書いていこうかな。 オ
今、さっき、ネットで小山田さんの辞任ニュースが流れた。 私、どうしても許せなかった。 だから、よかった。 どうして、こんな人を選んだの? と、思うけど、もし、選ばれなかったら、 ずーっと小山田さんは過去を悔やむことはなかただろう。 反省と後悔は全然違う。 反省したって、誤ったって済むことじゃない。 小山田さんが心の底から悔やむこと、 取り返しのつかないことをしてしまったと気づくこと。 小山田さんのしたことは「いじめ」という言葉で済まされるものではない。