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婚約者の質問の意味





付き合ってしばらく経っても、彼はありがとうを欠かさない。名前をきちんと呼んでくれる。

さんづけされるより、
呼び捨てされたい。
私は彼にそう言った。
彼は面食らったが、ポーカーフェイスで
その通りにした。

私は、はいと笑った。
彼のことはくん付けだ。
私より少しだけ年上だから。
さんより距離が近い気がする。



マッチングアプリでやり取りをしていたのはほんの数日で、私からLINE交換を持ちかけた。退会する日を決めていたから。
彼は話し相手を探していた。
その後退会したかどうかは知らない。
浮ついた様子が見られたら、婚約破棄すればいいだけだから。

彼は、そのような私の姿を見て
「君は、どこかに飛んでいってしまいそう。」と不安を滲ませる。
あからさまではなく、これまた独り言のように。



「関係性で相手は縛れない。相手の気持ちが離れたなら縁がなかったんだよ。」
私は平然と言う。



彼は私の背景を想像する。
だから、にこりと笑って多くのことを語らないでいる。

今一緒にいたいならいればいい。
ただそれだけだ。
どのみち私もネガティヴな動物なのだから、
相手の思うように私を見てもらって構わない。



「ひとりでしてるの?」
彼は冗談めかして聞いた。猫たちに挟まれて。
残業でくたびれているのにおかずをつくり、なめこの味噌汁をつくり
カラメルソースを煮詰めたあとで。

私はただシャワーを浴びて、彼のご飯を味わった。定時だった。
シェイカーや水筒洗いまで彼にさせて。
やってくれたの?ありがとう、自分でやるのに。



「なにを?」とは聞かなかった。
前後の会話から推測できたから。

「さあ。ご想像にお任せします。」
と笑って彼を見た。

「してるでしょう?」
彼は食い下がった。確かめたいのだ。

どうかな?とか
どう思う?とはぐらかしても引かなかった。

伝わってきた。彼の不安と欲情が。
それで私は満足した。
「あなたは受け入れモードじゃないもんねえ。」
彼は焦れた。

「そんなことない。俺はいつだってウェルカムだよ。」

「受け身ちゃん?」
「受け身っていうか。したいし、ウェルカムだけど長時間勤務で眠気が勝つんだよ。」
「それは受け入れモードオフでしょ?」
私は笑う。深刻な話にする訳にはいかない。
がっつくのも品がない。

「いつだってウェルカムなんだよ。でも、もし君が1人でしてなかったら襲ってきてるはずじゃないか。」
健気に冗談モードだ。かわいいやつめ。

「襲うなんて、そんなはしたない真似はしないよ。」
あなたがしたい時にした方が、私も幸福だからね。


彼は食い下がった。私は答えなかった。
本当に聞きたいのは、おそらく別のところだと知っているから。

「日本はレスが多いはずや。こんなくたくたじゃあ睡眠優先するたい。」
彼はそう言って寝入った。



ほんの少し、かするようなキスをした。
いつもより唇の厚みがよくわかる。
私は距離をとる。



追いかけるのは、彼であるべきだ。
どんなに揺さぶりをかけられても
ひらひらと舞う。


それが大人としての嗜みだと、私は思う。



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