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いまさら「生涯学習」かよ

ここ数年間,「生涯学習」に関していろいろ考えたり読んだり,調べたりしてきたのだが,ここらでちょっと,整理しておきたいと思う。

「生涯学習」って...

「生涯学習」は,英語で書くと Lifelong Learning なのだが,ここであえて「生涯学習」とカギカッコでくくっているのは,少々訳がある。この「訳」をきちんと書こうと思うとそれなりに面倒なので,ここではやめておくのだが,ごく簡単にいうと,ユネスコでポール・ラングランが提唱し(そのときは生涯教育という言葉で輸入された),その後定着した Lifelong-Learning と,現在まで日本で理解されてきた「生涯学習」とは,その意味するところが大きく異なっていると,私が考えているからである。まあ,そのうちもう少し丁寧にまとめることになるだろう。

そういうようなわけで,ここではカッコつきの「生涯学習」を使う。これは,政府が,より具体的には内閣府がその調査で示したり,中教審や臨教審がその答申で示したりしてきたところの「生涯学習」であり,それはつまり,わりと多数(だろうと思うのだが)の日本人がなんとなく理解しているところの「生涯学習」である。だと思う。たぶん。

と,ここで結構自信がない書き方というか,曖昧な書き方になってしまうのは,わりと多数の日本人が,生涯学習をどう理解しているのかを,知る術が,いまのところないからである。それでもなお,このような書き方をしているのは,きっと,多くの日本人は,「生涯学習」を,このように理解しているのだろうな,という予測を私が持っており,現在までのいろいろな調査から,それがそれほど的外れではないのだろうと考えているからである。

というわけで,「生涯学習」について面倒くさいことをこれからいろいろ書くのだが,手始めに,内閣府の世論調査を概観するところから始めたい。

「生涯学習に関する世論調査」by 内閣府

内閣府が「生涯学習」の調査をはじめて行ったのは1979年,昭和54年の2月である。このときは「生涯教育に関する世論調査」となっている。「層化2段無作為抽出」という方法で選ばれた,15歳以上の男女5000人が対象になった。選ばれた人を調査員がたずねて直に回答してもらうという方法で調査が行われており,このときの有効回答率は80.2%。今からは考えられないくらいに高い率である。

このとき,「生涯学習」という言葉も,「生涯教育」という言葉も,質問の中に登場しない。どのように尋ねているかと言うと,

この1年ぐらいの間に仕事や家事,学業のほかに,予定をたて継続して何かを学んだり趣味やスポーツ活動などをしていらっしゃいますか。

である。「している」という回答は31.4%。これが,おそらく日本で最初に認知された「生涯学習」の実施率である。ここで質問項目をあらためて読むと,いくつか重要なことがわかる。

1.「仕事や家事,学業のほかに」と聞いている。
つまり,職場での研修も生涯学習(生涯教育)の一部と考える,という方針はなかったようである。これについては異論もあるだろう。私が行った調査では,このあたりをかなり曖昧にしていた。職場研修などでも学習という営為があることには変わりがないが,新人研修などなかば義務付けられている研修機会もあるので,それをも含めたほうがいいのかは悩ましい。

2.「予定をたて継続して」と聞いている。
何か知る必要があったから教わった,調べた,という,いわゆるインフォーマルな学習機会を,調査から取り除いていることがわかる。これはまあ,そのほうがいいだろうと思う。インフォーマルな学習を調査するのは,このような質問紙では(いま思いつく他の方法でもおそらく)不可能に近いだろう。

3.「何かを学んだり趣味やスポーツ活動などを」と聞いている。
このあと,問題にしたいのはこの部分である。設問を考えた人たちが,「趣味」や「スポーツ」を,何かを学ぶことの例として考えていたかどうかはわからない。しかし,「何かを学んだり」という表現に比べれば,「趣味やスポーツ」という表現は圧倒的にわかりやすく,伝わりやすいだろうと思う。

政府としては,とにかく「生涯学習」をしている人が増えたのだ,「生涯学習」が広まってきたのだ,という実績を作りたいがために,趣味でも,スポーツでも,OKですよ,「生涯学習」って,難しいことじゃないんですよ,という宣伝をしたのだ,という論説をどこかで読んだ記憶がある。それが本当だとすれば,生涯学習に関する初回の調査からすでに,そのような路線はあったということになるだろう。

その後,1988年の調査では「生涯学習または生涯教育という言葉を聞いたことがありますか」という,言葉の認知度に関する質問が取り入れられ(このとき「聞いたことがある」は58%),2008年調査で80.5%に達した。もちろん,「生涯教育」という言葉はすぐに調査では使われなくなっていく。

また,1991年調査では,「生涯学習」をしたことがあるかどうかを,その内容のリストから選択させる形で調査し,どれか1つでも選択した比率を,「生涯学習」をしている割合,として発表するようになった。1991年は,「特にそういうことはしていない」51.8%,「わからない」0.7%を除いた47.5%がその値である。同様の質問は2015年まで,学習内容の選択肢が若干変化しながら続いてきた。では,どのように「生涯学習」をしている割合(以下,「生涯学習」実施率としよう)は変化してきたのだろうか。

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縦軸が「生涯学習」実施率を表しているが,20%から70%の範囲であることに注意されたい。青い点線は近似曲線で,もっとも単純な直線近似を選んで描画してある。回帰係数は2.38,分散説明率は.63であり,きれいに実施率が上昇しているように「見える」。

1980年代って...

話を先に進める前に,1980年代が教育にとってどんな時代だったかをごく簡単に振り返っておこう。

1981年,中央教育審議会は「生涯教育について」という答申を出す。この答申は,日本の生涯学習(生涯教育)関連施策の出発点となるものである。第1章の1に「生涯教育の意義」が書かれていて,「教育は、人間がその生涯を通じて資質・能力を伸ばし、主体的な成長・発達を続けていく上で重要な役割」があるのだと力説し,そして,そうした学習は「各人が自発的意思に基づいて行う」のが基本であるから,「生涯学習」と呼ぶのがふさわしいとしている。みなさん,人間はずっと勉強するんですよ,それを「生涯学習」って言うんですよ,と言っているのである。

1987年,臨時教育審議会は第4次となる最終答申を出す。「教育改革に関する第四次答申」という。ここでは,第2章の2に「生涯学習体系への移行」と題して,生涯学習が必要とされる理由が4つ書かれている。

理由1:学歴社会の弊害が明らかになっている。だから,「どこで学んでも,いつ学んでも,その成果が適切に評価され,多元的に人間が評価される」社会を目指すべきである。

理由2:所得向上,自由時間増大,高齢化により学習意欲が高まり高度化,多様化している。

理由3:社会の急激な変化により学習需要が高まっている。

理由4:家庭の教育力が低下しており,地域の教育力を回復する必要がある。

詳述するとかなり面倒な話になるので次の機会にするけれども,この4つは,ポール・ラングランの主張とはややずれている。ここに書かれているのは,あくまでも「日本版」あるいは「臨時教育審議会版」の,生涯学習の意義である。しかし,ひとまずこの問題はおいておく。

1980年代はこの2つの答申によって象徴されるといっていいだろう。「生涯学習」という概念が導入され,それが強力に推し進められ始めた時代だったのである。そのことが,先のグラフの前半に表れている。1979年から1992年までの,グラフの急上昇がそれである。1979年に約3割あまりだった「生涯学習」実施率が,1992年には5割に届かんばかりになっている。とはいえ,このことは驚くべきことではない。政府が力を入れて宣伝したのだから,ある程度増えるのは当然なのである。というか,増えてなかったら許してもらえないのだろう,きっと。というわけで,本当に検討すべき変化はここから先である。

「生涯学習」実施率の変化

というわけで,1999年以降のデータのみを再掲する。なぜ1999年からかというと,これ以降については,性別,年代別,都市規模別の「生涯学習」実施率が比較できるからである。これより前の調査については,残念ながら公表されていなかった。

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一見して,2012年だけ特異な動きをしているが,おおむね45%~50%の間で安定している。2012年の10ポイント近い上昇の理由は定かではないが,これを除けば,増えも減りもしていない。では,2012年の10ポイント近い上昇は何なのだろうか。先に言ってしまうと,現時点ではよくわからない。ただ,考えが足りないだけだろうとも思うので,この先を読みながら,何か思いついたならご教示願いたいと思う。

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性別ごとに変化をみたものである。2005年だけ男女間で開きがあり,女性のほうが5ポイントほど高くなっているが,そのほかは僅差であり,全体(青い点線)と同じような変化を示している。グラフを見る限り,性別による違いを検討する意味はなさそうである。

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年代別の変化である。線が重なってやや見にくいが,全体に実施率が低い70歳以上が2012年以降他の年代に追いついてきていること(高齢化も影響しているか?),20代が2012年以降急に実施率が高くなっていることが特徴である。その他の年代はほとんど差がなく,全体と同じような変化を示している。2012年に,20代が顕著に増えているが,他の年代も増えていることから,若者が「生涯学習」をするようになったことが2012年の10ポイント上昇の要因であるわけではない。

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都市規模別の比較である。まず東京都区部が2012年にひときわ高くなっていることがわかる。しかし,東京都区部の調査人数は全体の6%程度であり,他の都市規模でも2012年は増えていることから,東京都区部は2012年の10ポイントの要因ではない。町村は全体と異なる動きをしていて興味深い。2015年に2012年より高くなっているのはここだけである。都市部で広まった「生涯学習」が,町村に行きわたるのにややタイムラグがあったかのようにみえる。
もう一つ興味深いのは,政令指定都市と小都市が,同じような変化をしていながら,常に数ポイントから10ポイントの差を示していることである。2008年から2012年にかけて,平行線を描くように10ポイントほど上昇した後,2015年にはどちらも低下している。特に小都市は低下幅が顕著であり,1999年の水準より低くなってしまっている。2012年にむけて頑張って来たのに,「それ」が(「それ」って何?)終わってしまったら急に息切れしたような形に見えてしまうのは気のせいだろうか。とはいえ,「それ」って何なのだろうか。

2012年って...

2012年という年で単純に思い浮かぶのは,ああ,震災があった次の年だ,ということだろう。なるほど,震災があって,それをきっかけにして,ボランティアにより興味をもったのではないか,防災とか勉強し始めたのではないか,と単純な私は考えた。

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違うようである。内容別に変化を見ても,ほとんどどの内容も,2012年にぐいっと上がるのである。もともと比率の高い,健康や趣味は高く上がり,比率の低い社会問題や育児教育は少しだけ上がる。ボランティアはほとんど変化していない。むしろ,ボランティアが1999年に上がっているのを見て,なるほど阪神淡路大震災の影響かなと考えられるのだが,東日本大震災のあとに同様の傾向はほとんどない。(数字を見ると2008年から2012年に1ポイントちょっと上がっているのだが,健康や趣味に比べれば微々たるものである。)

というわけで,2012年の10ポイント上昇については,現状「わからない」。ということで,世論調査の分析は,今回はひとまずここまで。

地方自治体だって調べている

さて,やっと本題に入る準備ができた。(前置き長すぎる。)

冒頭で問題にしたのは,「生涯学習」を,人々はどのように理解しているのかということである。人々の理解は,少なくともラングランの思想とはずれたものであると,私は考えている。
いや,別にそれに難癖や文句をつけたいわけではない。趣味をもつことやスポーツを続けることは,人生を豊かにするためには,人生を楽しくするためには,とても良いことであり,推奨されてよいと思う。
問題にしたいのは,そのような活動が,あるいは,そのような活動「こそ」が,「生涯学習」であると認知されてしまうのは残念なのである。少なくともラングランは,人生100年時代になったから,みなさん,趣味やスポーツを楽しみながら,楽しく長生きしましょうね,なんてことを言ったのではない。

と,上にすでに書いてしまったが,一般の人々の「生涯学習」は,趣味+スポーツ+αであり,そこには「高齢者」のイメージが付いて回っている,というのが私の仮説である。これはかなり正しいと思っている。人々がこのような理解をするに至ったのは,政府の理解がそうなっているからであり,自治体もそれに追随したからである。と,断定するからには根拠があるはずなのだが,根拠はいま作成中である。

どのように根拠を作成するかと言うと,全国の自治体(とりあえず「市」を対象にする)が実施してきた,「生涯学習」に関する調査を収集し,1.「生涯学習」の実施率がどのように変化してきたかをみる。2.生涯学習がどのように理解されているかを,設問や自由記述から分析する。以上2点が主要なものである。世論調査では2012年に10ポイントの上昇がみられたが,その要因はよくわからなかった。地方調査を集計したとき,2012年付近にポイントの上昇があるかどうかは不明だが,おそらく何も見つからないだろう。そして,「生涯学習」実施率は,内閣府世論調査の(2012年以外の)結果が示すように,ほとんど経年変化がないか,あるいは徐々に低下していっているだろう。ただし,さきに示したように,人口規模などの条件で,実施率には差があり,それは地域差としても表れるだろう。「生涯学習」に関する理解は,内閣府が2回だけ実施した設問のように,ごくごく平凡な選択肢でいくらかの調査が行われ,やはりごくごく平凡な結果が出ているだろう。そして,生涯学習は高齢者の楽しみ,というような理解が,自由記述のなかにいくつも見つかるだろう。
だらだらと書き流したが,これらがより具体的な仮説である。