現代というVtuberバブルに思うこと。

お疲れ様です。

今日あなたは何にお金を使いましたか?美味しい御飯でしょうか、綺麗な服でしょうか、趣味への投資でしょうか?今の時代は『実質無』に対してお金を払う時代に変化しているのですよ。お気づきでしょうか。

・VtuberバブルとSC。

※まず前提として私はVtuberのアンチではなくファンであることを公言しておきます。好きだからこその記事であること、ご承知ください。

VtuberやYoutuberというものがビジネスとして成り立った2010年代。最初は10分程度の動画からはじまり、今はライブ配信による収益を主な収益源としています。特にVtuberの人気は2018年を皮切りに肥大化の一途をたどり、一大ビジネスとしていくつかのベンチャー企業を一つの大企業並みの収益を生み出すに至るまでの肥大化を支えました。もう一度断っておくと、私はやや熱心なVtuberのファンです。好きなVtuberさんはたくさんいて、自分もなれるもんならなってみたいくらいの想いはあります。ですが、良く観察すればするほど、恐ろしい時代に差し掛かったなとも思うのです。

・お金の使い方が変わった。

私たちが子供の時というのは、インターネットもテキストページメインの時代でしたからYoutubeなんかもなく自分が大人からもらったお年玉だとかは基本的には自分の欲しいものを買う為に使ってきました。というよりその使い方が一般的なはずでした。しかし昨今の子たちはどうやら『推し』へのスーパーチャット(SC)に使ってしまうようです。SCとは結局のところYoutubeクライアントと配信者や配信者を擁する企業への投資のようなもので、投げ銭として広く認知されていますね。つまり投資と言いましたがリターンはゼロです。名前を呼ばれるという承認欲求への答えがあるだけで、それ以外何も生産性はありません。包み隠さず言えば、単純にその人が推す人が裕福な生活をするだけです。表向きにはクリエイター支援の金銭援助ですが、実質本当のクリエイターに必要な金額相場はるかに超えていますし、収支で言えば投げた自分は貧しくなるだけです。何故、他人の幸福のために自己犠牲ともいえる支出をするのでしょうか。実のところ今も私にはわかりません。Vtuberを応援しながらも私はSCは出したことがなく出すこともないからです。

・人の夢がかなうことに自分を重ねている?

お金をたくさん持っている会社と、お金をたくさん持っている配信者が組み合わさるといろんなことができるようになります。たとえば、歌が好きでずっと出したかったオリジナルソングを、著名な作曲家や作詞家に委託する夢が叶い、著名な絵師さんに書き下ろしてもらい、会社の大金を払ったプロモートによって一躍多くの人々に認知されていきます。路上で唄う無名のアーティストが何十年かかっても到達できないかもしれないことをわずか数年以内で達してしまい、SCの余剰金でその年にはおそらく不相応ともいえる額のお金で生活をするのです。普通の生活には戻れませんね。

ですが、肝心の我々視聴者はそのたった4分間程度の他人の夢のために、自分の人生を削ってSCを投資し続けます。自分に費やせるものを他人に費やす。旅や趣味であれば自己還元されるものですから納得できますし、一時期のアイドルブームに乗じたアイドルライブなんかもライブという形で還元されて、一応の還元はあると考えられます。しかしながら配信者に送るお金はほとんど対価のない支出なのです。そこに500円からはては5万円まで、尋常ではない感覚で支出をする人が大量にいる事実を見ると、この世界は狂ってしまったのかとすら思えるときがあります。もし理解しようとするなら、私の仮説は1つで、彼ら彼女たち配信者の夢に自分の夢を重ねて同じ幸福を得ていると考えるほかないのです。ですがそれは結局幻なのですが。実際にプロの現場に立ち会う機会も多少あるので思うのですが、別に配信者さんの歌が悪いとは言いませんし、誤解を招くいい方だと承知の上で言わせていただくのですが、確かに彼ら彼女たちはうまいです。しかし、うまい以上の何も感想のない無味なもので、いわゆる歌手に必要な傑出して上手いだとか、傑出して表現力がある、とは言えません。歌い手さんという文化のなかにあって、それを脱している技量だとは思えないのです。しかし、それに不相応なほどの一流のプロデュースと作曲編曲・作詞などクリエイター陣を考えると、単純な金回りが結局のところ流行と合わさることが大事であって、その影響力があることが必要であって、本当の音楽など必要とされていないことがうかがい知れます。

・優秀過ぎないとても優秀な人が選ばれる。

半分素人のようなものですから、自分でもできると考える人がいるようですが企業は日を追うごとにその門戸を狭くしています。個人勢は同接(同時接続数)1ケタや2ケタはざらで、企業にハンティングされるには過去(所謂前世)の集客実績やCRカップなどに代表されるショウビズ的ゲームビジネス参入をかけたゲームのプレイヤースキルにおける実績などに重点を置いてミスをしない配置が必要となるのでしょう。または重視されがちな歌や何らかの分野でトップクラスだったという実績も有効なようです。ですが突飛すぎる人に人は寄り添いません。欠点があるからこそ人は魅力的なのです。悪く言えば潜在的に下に観られるからこそ、その人を愛せるという事です。つまり、出来が良すぎる人は逆に向きません。できない人は全く向きません。

出来過ぎず、出来が割といい、素朴な半分素人が好まれるのです。

・ベンチャーゆえの手不足。

1マネージャーあたり4人ないし5人を担当すると考えて下さい。そんなこと物理的に可能でしょうか。芸能人や芸人さんのマネージャーさんだって2,3人くらいのものです。それがそれぞれがバラバラの時間帯で活動し、自由業のように配信活動を行いながら、マネージャーがメンタルやバイタルバランスの管理を行えると思いますか?Vtuber界隈では特に、メンタル不調やストーカー等実害による長期休養や引退などよく聞きますよね。本来バイタル問題もメンタル問題も自己管理の範疇ですが、年端にして10代終わりや20代そこそこの人たちがのしかかる大金とプレッシャーの中でやっていくのは大変でしょう。それに昨今はアイドル化も著しいです。明確に何をしているのかは知りませんが深夜帯に及ぶ収録などもあるのでしょう。その中でコンスタントに配信を続けることは難しくあります、ただ、そこの社員ケアをするのが会社の役目の1つとも考えます。しかしわずか3年、4年前に急拡大したベンチャーの小企業がいきなり大きな組織になるような不慣れなことは端々で何かと不都合を生みます。ノウハウもない、未知の領域の分野でタレントのマネージメントをするにはあまりに企業の実力不足を痛感します。わずか1ケタの社員数が百人単位になればそれはそうでしょう。ですが、それが必要であるし、逆にコンスタントに配信をしない、非常に長いスパンで配信をしない人に企業勢である意味があるのか?という問いもあります。そういった人事面でも遅れがみられます。

・終わるものは終わります。

自分もファンの1人なので寂しいですがどんなものにも栄枯盛衰はあります。ソシャゲだって売れなくなったらすぐ終了しますよね。つまり今起きているバブルもはじける日が来るという事です。IPというのは命と同じで生まれたときから死ぬようにできています。例外はありません。流動的なコンテンツというのはエンドコンテンツではないのです。楽観的な人はのち数十年と更新され続けるコンテンツであると考えるかもしれませんが、そんなコンテンツがデジタル急流期である現代であり得るでしょうか?メタバース参入で仮想空間化が一般化して多様性は増していくでしょう。しかしながらそれは延命措置と適応化であり、やはりいつまでも続くものではないんです。そんな時いま行っている見返りのない投資にどれほどの意味があるのか、考えてほしいんです。

10年後自分がおいしいご飯をたべるのか、顔もよく知らない人がおいしいご飯を食べるのか、単純な問題です。少しでいいのでファンであっても考えてみてください。

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