人材開発をWhyから考える落とし穴
先日、石川善樹さんの「問い続ける力」という書籍を読みました。
ものすごく面白く読ませて頂いたのですが、そこに『科学者はあまりwhyという形式で考えない』という話があり、その内容が人材開発にも当てはめられるものでしたので、少し書いてみたいと思います。
科学者があまりWhyから考えないという話に関して、要点をまとめると以下の通りです。
・科学者は、Why(なぜ)ではなく、How(いかにして)で思考を始めることが多い
・その理由は、Whyという問いかけは宗教に特有な形式で、科学はそれに反発することで生まれた歴史背景があるため
・例えば「なぜ(Why)宇宙が誕生したのか?」という問いを突き詰めると、「神が創造した」というところに行き着く
・しかし「いかにして(How)宇宙は誕生したのか?」と問うと途端に科学的な話になる
ここの「Whyを突き詰めると宗教的になる」という話から、人材開発の支援をする際に起きる、ある状態が浮かびました。
組織で人材開発の支援をする際、ある個人の「課題は何か?(what)」「理想の状態との差分は何か?(what)」「それらはどうして起きているのか?(why)」と問いかけることがあります。
その際、「スタンスが原因だ」「やる気や意思の問題だ」などの回答を頂く場合があります。
そういう場合は、「能力が足りないのか?スキルか?経験か?権限か?自信か?」など具体的にしようと試みますが、中々、「スタンス」「やる気」「意思」という考えから先に進めないことがあります。
このような個人の精神や観念に拠った状態が硬直すると、人材開発はうまく進みません。
このような精神的/観念的な状態は、前述の「whyという問いかけが宗教的な帰結になる」状態に近いものを感じます。
組織の様々な課題の中でも、特に人の能力開発は目に見える要素が少ないため、こういう状態になりやすい印象があります。
多くの人は職業生活の中で、「why」を問うことに疑問を持たないと思いますが、人材開発を考える際、それが「精神的/観念的な状態の硬直」を招く可能性があると認識する必要がありそうです。