4-5.母の裏切り
翌日、目を覚ますと母が普通に朝食を作っていた。
会社を休むつもりだったが行くように言われたので、実家から出社した。
すると、朝から例の団体が押し寄せていたので、もう精神的に限界だった私は、泣きながらオフィスに入っていた。
それを見て驚く局長に、退職したい旨を話した。
理由はうまく言えなかった。
とにかく早急にやめたかったので「父と母が離婚をする。私は母に引き取られ、弟のいる東京で暮らすことになったので、月末で退職させてください」と言った。
私は、ワンワンと泣いていた。局長は驚いて、とにかく落ち着かせようとした。
「月末で辞めさせてくれないなら、もう明日から来ない。死んでやる!」
と言って、困らせた。
その日は、局内の色んな空き部屋で泣いて過ごした。
人が来たら別の空き部屋に移動する、というのを繰り返して泣き、涙が枯れてから、今後のことを考えた。
私が放送局にいる間に、わが家はどうなっているだろう?と思うと、嫌な予感がした。
その日のうちに、局長から退職OKの返事をもらい、心から謝罪をして帰った。
すると、嫌な予感が的中して、新居から既に荷物を全部回収されて、普段通りの生活をしていた。
部屋の契約もキャンセルされていて、たった一晩の出来事だったので一泊分の料金で済むように彼氏が手配してくれていた。私は帰る場所を失った。
晩ご飯を食べた後に、初めての家族会議が始まった。
「あんた達には本当に悪いことをしたね」
最初に母が子どもたちに向かってそう切り出した。
子どもたちは黙っている。
「母さんはもう今回のことは、もういいです。家に戻ります。それと、母さんは、離婚はしません」
ここ二日間の出来事は何だったのだろう。
全部夢だったのだろうか。夢にしてはリアルすぎる大冒険だった。そして身体が痛い。心が痛い。
「でもまたキレたら、次は別れる。約束してよ。もうこれで最後にして」
母が父を睨みつけて、低い声で言った。
今回は離婚しないことを確認した父は、にやりと笑う。
「はいはい。わかりましたよっと。じゃあ、この話は終わり。解散!」
なんと、わずか三分で会議の幕を閉じた。
まるで私と弟は、部外者だ。家族会議で、発言をする前に終わるなんて、私達を家族とは認識してないと言われているかのようだ。
父は部屋に消え、リビングに残った私は、母にもう一度聞いた。
「離婚、しないの?」
「もう残りの人生が短いから、父さんと添い遂げる」
父が五十五歳で早期退職したので、母はこの時五十二歳だ。
あと三十年は生きてもおかしくない。
そんなに短くない人生を、こんな口約束一つで乗り切っていけるものか。
父は嘘つきだ。こんな約束を守れるはずがない。
「就職したら離婚する、とあれほど言っていたのに、どうして?」
「そう言わないとあんたたちが納得できないだろうから。その場を収めるためについてきた嘘よ。信じていたの?」
やりきれない。
私はその言葉を心の支えにしていた。
私が就職して、あとは弟が就職してくれたら、あの犯罪者と別れられると思っていた。それだけを励みに、自分の心を自分でケアして生きてきた。
今回のDVは、あの男を捨てる最大のチャンスだった。ちょっと時期は早いが弟が就職するまでの間、ずっと貯金してきた私のお金で家族三人を養うんだ、と心に決めて家を出た。私の行動は間違っていないと思う。ここぞという時に、ちゃんと動けた。
母は、すっきりした顔をしていた。
「あの部屋で、寝てみたかったね」
「全く、二人でバカなことするなよ」
弟と母は、微笑んでいた。
もしかして、おかしいのは私なのかもしれない、と思った。
なんでこんな風にDVの家に戻って来られるのか分からなかった。
せめて私だけでも家を出るという選択肢もあったが、月末で仕事をやめることにしてしまったことや、これ以上父を刺激しないでくれと母に説得された。
もちろん、二人を養うために就職活動はすぐにするつもりだったし、貯金だって十分にあった。
しかし、母は私が「うん」と言うまで説得をやめないので、私は疲れて折れてしまった。
「お前はいらない」と父に言われたこの家にいるのは癪だったが、「母が元の生活に戻りたい」と何度も言っていたので、もうどうでもよくなった。
どうせ私の心はとっくの昔に死んでいる。これからも生きているのか死んでいるのか分からない生活が続くだけ。それだけだ。