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【一灯照遇】No.18 自由=孤独×責任×後始末

「自由」という言葉を聞いて何を思い浮かべるでしょうか。
自由自在、自由の女神、自由研究、自由民主党、自由行動、自由研究などイロイロあります。


自由を読み下してみると、「自ラニ由ル」となるでしょうか。
「原因・理由を自分に求める姿勢」とでも訳したらいいですかね。
自由の解釈は様々あると思いますが、平安時代には使われていたようで、当時は我儘放蕩という悪い意味で使われていたようです。そして明治になり、外国の本を翻訳するうえで、LibertyやFreedomを自由と訳すようになり、現在の意味として定着したようです。ウィキペディアにはざっくりそんなことが書いてありました。


しかし、外国語を原義に忠実に訳すことは難しく、様々な解釈ができるので、自由以外にも、自主・自尊・自得・自若・任意・寛容などと訳すこともできるとか。


自由と言われてふと思い浮かぶのは、大学卒業後、ヨーロッパを一人で旅行した時のことです。3カ月ほど、列車でヨーロッパ各地を回ったことがありました。私には自由が与えられていました。どこにでも行ける!様々な選択肢がありました。交通手段は列車しかないので、それが限定条件にはなります。でも、いつ、どこに行こうと私の自由。何を食べてもいいし、飲んでもいい。選択肢はたくさんありました。


「自由」と「選択」は関係があるように思います。数ある選択肢から自分がそれを選ぶ。その選択肢の多さが自由なのかな。しかし、その選択したことの結果に対しては自分で責任を取らないといけない。選んだのは自分なのだから。一人旅は特に他人のせいにすることはできません。自己責任です。


そしてもう一つ、孤独でした。当たり前です。私が行った季節は真冬だったので、とても寒かった。余計に一人の寂しさが身に沁みました。ですが一人ゆえに他人を気にせず、好きなことができます。自分のタイミングで動けます。誰かと一緒だとそうはいきません。自由な人は孤独である。


そんな経験から、「自由」というのは、孤独と自己責任が常に付きまとうものだと思っています。


そして、いつも誰かのせいにしている人、自分で選ばない人、後始末をしない人はいくら選択肢が多くても、自由な人とは言えないのではないでしょうか。


冒頭に書きました、我儘放蕩という悪い意味での自由は、そんな人たちを指している言葉なんだろうなあ。いや、偉そうに書いているけど、自分はどうなんだろう。売れないことを会社のせいにしていないか。本当に自分の売りたい商品を売っているか。後始末はできているか。自分は自由に生きていると言えるだろうか。


自由に生きている人は、自分の考えたことを形にすることができます。というよりも、人間は自分の想いを形にしたい動物だと思います。旅行に行きたい、山に登りたい、モノを買いたい…など。プライベートで形にしやすいことも、仕事ではそうはいきません。自由に仕事をしている人は自分の想いをどんどん形にしていきます。提案や説得を繰り返し、自分の想いを頻繁に口にし、時には周りを振り回すこともありますが、最終的には自分の想いを形にしている。


人に合わせてばかりの仕事のやり方では、やがてジリ貧になるし、面白くないでしょう。また、自分では何もせずに、人に頼ってばかりの人もいます。向上心がなく、責任を取るのがイヤだから。そして、いつか自分はすごいことをやる、と思っているだけの人。行動する根拠を探しているだけで、動かない。根拠は行動すればその都度生まれます。そんなんで自由と言えるのかなあ…。


人の仕事が形になるのをうらやましいと思いながら見ているだけ、自分の思い通りに行かないことを他人のせいにしてしまう・・・私も含め、そのような人も多いでしょう。

自由に生きるとは
私生活、仕事の両方で自分の想いを形にすること。その為には自己責任で選択すること。孤独と仲良くすること。その際に他人のせいにしないこと。後始末をキチンとすること。

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