生まれた事が苦痛の始まり無欲でありたかった。
なんで生きなくちゃいけないんだろうとふと思った。
助産学生として過ごし、4ヶ月が経った。
前期のテストに実習。
求めていた助産の勉強は確かに毎日楽しい。産婦さんやベビーに関われる。泣いていたベビーは私が触れることで泣きやんで真っ直ぐ私を見つめてる。産婦さんからの感謝の言葉と笑顔
その全てにものすごい感動と暖かい気持ちになる。感謝したいのは私の方だ。
でも、ふと思う。
「もう、何も欲してないから早く楽になりたい」
何が辛いのか分からない。
けど、もう何もないところで無になりたい。
食べないとお腹は空く。
でも食べたいものはない。
仕方がないから食べる。
出された課題はやる。自分の勉強のため、取り組んでる時は集中していて辛いとかは思わない。
でも課題が終わったとき、達成感はなく、
やるべきことを終わらせたという感情しか残らない。
なんのために生きなくちゃいけないんだろう。
「世の中には行きたくても生きれない人もいる」
確かに、その方のまだ色んな事がしたかった。大切な人ともっと一緒にいたかったという思い。
それを否定するわけではない。
その方達には、少なくとも無気力に引き伸ばされた生はない気がする。
生きてる密度が圧倒的に違う
そう思う。
生まれてくれてありがとう
そんな言葉が欲しかった。
どんな家庭に生まれるかはその子の一生や、人格形成に最も影響を及ぼす。
この言葉にしがたい感情は私の自己肯定感の低さゆえなのか、
家庭では邪魔者扱い。母の機嫌はジェットコースター。妹は自由奔放で、部屋はゴミ部屋。
安全基地が家庭にない人はどうすればいい。安全な場所などなくて、自分で作らなくちゃならないなら私は弱すぎる。
頼りなさすぎる。
幸い、もうすぐ1年経つ彼は穏やかで、優しい。私を受け止めてくれて肯定的な態度で接してくれる。
でも彼がいなくなったらまた、
安全基地、安全な場所、安全な、を探さなくては、自分を守ってあげなくちゃいけない。
どうか何も望まないから何もしないでください。
ほら、何も望まないと言ってる端から、何もしないで欲しいという欲がでる。
生きてるだけで欲がでる。
だから生まれた時から苦痛が始まってる