結婚6年目に、主人に「生理1日目」の経血ナプキンを見せてみた。(前編)
「生理」と私は仲良くなんかない。
むしろ、いつもいつも「来ないで」と思いながら過ごしている。
来るのは決まって、ずっとずっと楽しみにしていた旅行の前日だったり、今日こそ追い込んで資料を完成させたいときだったり、デートの日の朝だったりする。「何で今くんねん・・・」お手洗いでがっかりした回数は、生理が始まった”あの日”から20年間。つまり、240回という計算になる。わぉ。
「生理」に人生を台無しにされてるんじゃないか、と思ったこともある。「生理」が来る前の私の心理状態はこんな感じだ。
あ。
「生理」が来る。
そろそろ来る頃だもんな。
今月もやって来るな。
来ないで・・・せめて、明日じゃなくて、明後日に来てくれないかな・・・。
・・・・・。
・・・・・・・・お願い・・・・・・・!!!
そんな心理状態をよそに「生理」はオープニングテーマ曲を流しながら向かってくる。スターウォーズの”帝国のマーチ”(ダース・ベイダーのテーマ)か映画”ジョーズ”のテーマかなんかを流しながらジワジワとやってきて、身体のあちこちに存在を知らしめていく。
お腹は、常に鉄球が投げつけられているような痛みがあり、腰骨は巨人に曲げられてミシミシと変形しているような痛みがある。男子に「生理って鼻にスイカを入れるような痛みだろ」と言われると、「いや、そもそも鼻みたいな省スペースの痛みじゃないんだぜ、あんちゃん・・・」と痛みを知っている優越感がなくもないが、痛みが始まれば優越感どころの騒ぎではない。悪魔の儀式はじっくり断続的に続けられるのだ。顔はむくんで表面積は増大し、乾燥肌なのにニキビの山がひょっこりと、おでこ、あご、頬に現れる。かと思えば、化粧水もむなしく乾燥地帯が氾濫し、粉が吹いてガサガサな地域が広がっているところもある。身体中の力が入らないのだが、怒りがフツフツと湧いてくる。。。
まさにゾンビ。「生理」との戦いは、生きる屍に徐々に変わっていく自分に戸惑い、抗い・・・でも最後にはゾンビになってしまうという女性を描くゾンビ映画そのものなのである。毎月、ホラーだ。
また、人知れずつらいのは、強烈な眠気。血が足りずに脳みそが半分応答しないだけでなく、更に動いている方の脳みそまでもが眠気の闇に覆われていく。試験中、会議中、大好きな人とのデート中までも、身体が地面にめり込みゆっくりと沈んでいくのだ。
そして、
「生理」は今月もやってくる。いらっしゃいませ。
そんな私も、結婚するまでは、だましだまし暮らしていけた。今思うと、月の半分はゾンビだったのだが、それでも自分のことだけ守っていればいい。見た目のゾンビ感は置いておいて♪、まずは鎮痛剤で涼しい顔をつくることはできる。「え?なんか、私いつもとちがうところありますっけ?」くらいの態度でいれば、まあ、一日は越えられる。
メイクでゾンビを隠せないのであれば、デートはキャンセルすればいい。キャンセルして、愛想尽かされるよりも、ゾンビ顔を見られない方が私の人生にとって重要だ、というスタンスだった。鎮痛剤が効かなければ、授業は補講を受ければいい。人間誰でも、体調が悪くなるのだから、仕方ない、人間だもの。仕事は死ぬ気で徹夜すれば、いつもよりスピードは遅くても何とか完成させればいい。徹夜ソリューションは、ゾンビを最悪最強ゾンビにするほど、翌朝は目を当てられない状態だが、それより上司に怒られない方がましだ。
でも。
でも・・・
子供ができ、働きながらも子育て一色になった瞬間。。。
わたしは「生理」に敗北した。
鎮痛剤が効いても、身体が地面に埋め込まれていて夕食が作れない。
痛みと眠気と戦いながら仕事をし、やりきれなかった仕事を持ち帰っても、息子が寝るまで始められない。
日中保育園で過ごし、朝と夜しか会えない息子に向き合うため、読み聞かせや積み木やおままごとで遊ぶ時間はかけがえがない・・・が、痛みで意識が朦朧としてしまう。そんな私を不思議そうに眺める息子。
「ごめんね、なんでもないよ、大丈夫よ」
そういいながら、いつの間にか(寝)落ちてしまっていることもあった。気づけば息子も横で丸まって寝ていて、お風呂も入れてない、ご飯も食べさせてない、着替えもさせてない、結局遊ぶこともできなかった・・・そんな日が続いた。
どれだけゾンビ状態でも、息子が熱を出せば病院に連れていく。
息子が寝た後、明日のお弁当の準備をしながら、「横になりたい・・・」と思うこともある。でも、これをせずに明日を迎えると思うと、ゾッとして、キッチンで這いずり回って準備を終わらせる。
主人は朝早くから夜遅くまで帰ってこないが、私は息子と一緒にいたかった。だから、ワンオペは全然しんどくなかった。むしろ、毎日心から幸せだった。私を呼ぶ高めの声も、小さくてすいつくように柔らかい汗ばんだ手も、後ろから見たときのクレヨンしんちゃんのようなほっぺたも。愛おしくてたまらなかった。
だから、ワンオペ生活に文句は一つもなかった。
でも。
でも。
そんな時、主人と喧嘩した。
きっかけは、主人が「俺のTシャツどこだっけ?」と聞いたこと。主人からしたら、ただTシャツを探してただけだったのだ。
なのに、私は突然キレた。
”俺のTシャツ”は、洗濯物入れの中にある。だって、3日以上洗濯をしていないんだから。そりゃ、まだ洗濯物入れの中に入ってるに決まっているじゃないか。300円均一で買ったあのメッシュの折り畳み式洗濯物入れはタオルや服やシーツが詰まりに詰まり、その原型をとどめられずに横に広がっている。更にその上にも置かれていく洗濯物はドミノのように積み上がり、床へと雪崩れている。
洗濯、溜まっているのはわかってる!わかっているんだけど、私だっていろいろあるのよ!責めないでよ。ここ最近「生理」で腰が痛いし、他にやることもたくさんあるし、仕事だって全然捗ってないし…
そして、突然怒りのスイッチONになった私が吐いた捨て台詞がこちら。
「私、毎月毎月血を垂れ流しながら、頑張ってんねん!○○君とは違うねん、女は男と違うねん!なんでわかってくれへんの!!!!!」
これが、私が初めて主人に「生理のしんどさ」を訴えた瞬間だった。
何がきっかけでキレたのか、理解できずに戸惑ったかもしれない。私は私で怒りのボルテージMAXであまりその時の主人の様子は覚えていない。とにかく、「ごめんね」だか「大変やな」か、なんだかそんなことを言ってくれた気がしないでもないが、本当に、その日は、そのセリフを「捨て」て私はベッドにダイブし眠気を回収した。
主人は、非常に理解力がある人だと思う。
その後、「しんどかったら休んでいいよ」「俺が皿洗っとくよ」「保育園の送り迎え、やろうか」とすぐに行動を変えてくれた。私が「しんど…」とつぶやくのが聞こえたら、「大丈夫?辛いよね。鉄分ジュース買いに行こうか?」と気遣ってくれた。恋愛ゲームの王子か。でも、嬉しかったし、ありがたかった。心が救われた。
男兄弟の中で育ち、高校も男子校、大学も理系で男に囲まれて過ごした主人にとって、「生理」なんて言葉、縁がなかっただろうに。
「生理」でしんどいって、ありなんだ・・・
「生理」が辛いって言うの、恥ずかしいことでも、タブーでも、ダメな事でもないんだ・・・
これは、主人への信頼、という意味では、私達の夫婦年表に書かないといけないほど、大きな変革だったかもしれない。わかってもらえている、というのは、痛みも眠気も消さない。それでも、ゾンビな自分をどんな風に飼いならせばいいかわからなかった私にとって、「生理」を受け入れてもらえることは、ある意味、ゾンビ期間中でも、ここにいていいよ、と言ってもらえた気持ちだった。ゾンビの居場所、ゾンビのユートピアは、主人の腕の中にあったのだ。
とはいえ、じゃあすぐ血の付いた生理ナプキン見せよう!と思ったわけではない。
きっかけは、MASHING UPさんのイベント「femtechは女性の救世主になれるのか?(Vol2)」に参加したこと。イベント告知に「子連れOK」という文字があったので、息子と出かけた。「子連れOK」でなければ、きっと目にも入らなかっただろう。女性の生理・妊活・セックス・更年期・子育てについて、ディスカッション形式で進むこのイベントで、パネラーの皆様は「女性の問題は恥ずかしいことじゃない」と自信をもって仰っていた。
その中のパネラーのお一人でforbesのコミュニティープロデューサーの井土さんが、「上司に生理の話をしてみた」と話されていたことは、かなり衝撃的だった。「え、上司って、そんな信頼できるものなの!?解雇されたり、居づらくなったりするのでは?!」と頭は???でいっぱいになった。
でも、妙に納得したのは、私が「主人に生理の話をしてみた」経験があったからだろう。生理ってよく考えたら何で悩みを言うのが恥ずかしいみたいな風潮なのだろうか。そう考えると、何で恥ずかしいタブーだ、我慢しなきゃ、と思っていたのか、理由が全く見つからない。
生理も含め、妊活・セックス・更年期・子育て・・・女性は悩みが多すぎる。その割に、その悩みをオープンにすることが、タブーだったりする。意識的だろうが、無意識だろうが、誰にも相談できなくて抱え込んだりもしているし、女子同士話し合ったり相談したりしても、理解してもらえなかったりするのが現実だ。特に、女性の身体の悩みピークが描く曲線が、結婚や出産、仕事のピークと同じ曲線を描いたりするのだから、全くたまったもんじゃない。女性は苦悩しながら、自分で道を切り開くしかないのに、結婚も出産も仕事も、女性だけで完結する世界ではないのだ。そう思うと、
生理も妊活も子育てもセックスも更年期も女だけの問題ではなーーい!!
こう声を大にして言いたくなった。イベントのアンケートには、それだけ書いて提出した。男も女も、夫も妻も、上司も部下も、ちょっとでも、女性のこういう状況に目を向ける機会があってもいいんじゃないか。なんか、知ってもらうって大事なんじゃないか。そこに「人と人が理解し、お互いがリスペクトする世界」の答えがあるんじゃないか。帰り道、寝てしまった17kgの息子を抱っこし、渋谷の道玄坂を駆け下りた。何だか、ワクワクしていた。息子の強烈な重さとは裏腹に、心は軽く、歩幅は大きかった。
わたし、一番大事な人にもっと自分のこと、知ってもらいたい。
そして、今日もまた、「生理」がやってきた。いつも通りお手洗いでナプキンを変える私。ショーツに血が付いていないか確かめるのが「生理」中のお手洗い内での儀式だ。
「ああ、よかった。漏れてない。」
いつもは見ないでサッと丸めてゴミ箱に入れてしまうナプキン。でも、今日は、経血が付いたナプキンを数秒見つめた。
今日が初日。数時間でもかなりの量が出ている。
(この血の量って、やっぱり主人にとっては、見たことないものだよな。「女は血を垂れ流しているのに!!」って言ったあの言葉。本当にわかってもらうためには、見てもらうのがいいのかな??)
道玄坂で「もっと主人に自分のこと知ってもらいたい」と思ったあの感覚がふとフラッシュバックした。
そうだ。主人に、私が血をどれだけ垂れ流しているかを知りたいか聞いてみよう。
そして、私は、主人を呼んだ。
(続く)
↓続きはこちらから
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?