初めて開いた卒業論文
「自叙伝風の卒論を家族の目に留まるところに置いて実家を出る」という、あまりにギャンブル性の高いカミングアウトを終えたので、現在の家に卒論を持ってきた。この話だけでもノート1本(?)余裕で書けるので気が向いたらまた書くかもしれない。
製本されてから1度も開いていない卒論。この卒論には家族へのカミングアウトという重大な役割がある、と意味をなすり付けて一番目を背けていたのは自分だった。卒業してから1年と少し経って(こう書くと短く感じる)、卒論としての責務も終えて、ようやく手元に返ってきて久しぶりに読み終えたところで、今このノートを書いている。
やりたいことが多すぎて、4年の秋冬に毎週のサークル活動やら教育実習やらを詰め込み、その片手間で仕上げた卒論。改めて目を通すと加筆修正したいところが山のように出てくる。けじすべ(#結婚の自由を全ての人に)のページなんて中学生が5分で書けるんじゃないかと思うくらいに薄い、濃度もページ数も薄い。見たくない。しかもその前も自分の恋愛遍歴+アイドルオタク歴がだらだらと綴ってあるだけである。最悪だ。実際、書いている時からこれは黒歴史になるだろうなと思っていた。
でも、ぐちゃぐちゃだろうと、片手間だろうと、この卒論を書いていた時間はレズビアンの自分と一番向き合っていたと思う。そしてなにより、父親へのカミングアウトが知らないところで済んでいて、不思議な気持ちになりつつ安心している。これは父親の回答も前向きなものであったからだと思うが、なんとその確認も他の家族に任せてしまった。上手く事が進みすぎていて恐ろしい。これで同居していた家族全員へのカミングアウトが終わった。心が羽のように軽い。
そして社会人になった今、卒論内でも救われたと書いてあるセクマイコミュニティでスタッフになった。実際は遊んでいるだけでほぼ貢献できていないが、卒論を書いている私に伝えたら驚くであろうか。いや、打算的すぎる人間なのでその可能性も踏まえて卒論に盛り込んでいた気もする。さすがに自分が気持ち悪いが、結果的に下心ありきでスタッフに近づいてスタッフになったので何も言えない。
とにかく卒論のおかげで、父親へのカミングアウトは済んだし、セクマイコミュニティで新しく豊かな人間関係も構築できた。改めて当時テーマを決めた21歳の自分に感謝します。ただ改行と誤字脱字チェックはもう少し丁寧にしてくれると助かったよ。おわり
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