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3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.8 羨望と劣等感
高校は、勉強への執着の剥がれか、推薦入試を選んだ。
勉強をしない代わりに、作文や面接を担当教員に協力してもらいながら、力を入れた。
私は普通科に入学し、2人は、美術科に入学した。
この高校の生徒なのだと実感が湧き始めたとき、入学前の志望校選択のときのことを思い出しては、2人の強さを強烈に感じていたのを今でも覚えている。
2人が美術科を志望しているのを知った両親は、あまりいい顔をしなかった。職があるのか、2人の道が狭まりはしないか。何より、両親にとって、美術の道は未知すぎた。強く反対したのは、父方の祖父母だった。仕事マンだった祖父母たちにとって、美術の道はあまり賛成できるものでなかったのだろう。そのときが初めてだったように思う。祖父母が孫を前にして、孫らの意思を反対したのは。
私は、普通科という無難な選択というのもあり、反対されることはなかったが、もし、2人のように、ある意味、特殊な道に進みたいと言って、反対されたら、2人のように、ぶれることなく、その意思を持ち続けられなかったんじゃないかと思う。自分に自信がなかったから。他者の評価こそが自分なのだとそのとき感じていたから。
他者の評価がなければ自信を持てない自分とは違い、己を持っているように思う2人が凄く遠くにいるように感じた。
それは、入学後も距離を縮めることはなく、逆に遠くなるばかりだった気がする。
小学時代からの勉強の癖は完全には消えていなかったのか、学年での順位争いに燃えたのか、勉強は怠らなかったし、部活の演劇も下手くそながらに努力したし、執筆という方面を武器にしようと台本と小説を書き続けた。3年間、総務も部活現役時代の部長もある程度は真面目にこなした。
順位も信頼も特技も、自分になりに高めているつもりだった。
――そう。つもりだった。
2人は、勉強は平均的にこなしながら、授賞式のとき、舞台に立つことが学年が上がるにつれて多くなった。家には受賞の時に貰った2人の盾が増えていった。私の胸の中には、黒い靄が鈍い痛みと共に溜まっていった。
昔、2人に覚えていた優越感はほとんど消え、別の感情が覆った。
頑張っているはずなのに、2人との距離は縮まない。
2人は結果を出しているのに、私は結果を出せていない。
中途半端な順位、中途半端な信頼、中途半端な特技。
――中途半端な努力と自分。
昔、感じた不安や焦燥感とは明らかに違うタイプの不安と焦燥。
――私は、今、何をしているんだ?
自分のやっていることが、次第に分からなくなっていった。
他者の評価に自己の確立を任せていた自分にとって、評価の曖昧になった自分はもはや自分を知ることも曖昧になる。
そして、突きつけられるのは、曖昧であるという自分自身の存在。
私を包んだのは、他者には剥がしようのない自分への情けなさ、2人に対する劣等感だった。
ずぶずぶと底のない沼に足を取られ始めた。
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