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3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.4 三つ子誕生と奇跡
産まれて直ぐの頃、私たちにはまだ名前がなかった。代わりに、足の裏に1番、2番、3番と書かれていたらしい。つまり、「1番ちゃん」「2番ちゃん」「3番ちゃん」という呼び方だったということだ。
この番号呼びの間、曾祖父母から母の姉まで、皆で考えた。由来なんてない。響きと漢字を思いついたら、言い投げ、その中から、父と母は選んでいった。
皆で出した響きに漢字を当てていく。特に意識はしていなかったらしいが、選んだ名前は皆、画数が一緒になったらしい。無意識のうちに、DNAだけでなく、名前まで同じなってしまったと皆で笑ったとか笑ってないとか。
名前も決まり、数ヵ月後、やっと保育器から出た私たちは、驚くほど平等に育てられた。
可能なときは、祖父母も協力して大人3人が、私たちに同時にミルクを飲ませた。手が足りないときは「じゅんばんこよ」と理解できるかできないのか分からない私たちに語り掛けながら、順々にミルクを飲ませた。
夜泣きのときでも、1人が泣けば、負の連鎖で3人がやらなくてもいい大合唱を始める。3人を抱けるときは、抱いてあやすが、手が足りなければ、誰もあやさずに放っておき、満足するまで泣かせていた。
今思えば、兄弟姉妹のいる子がよく抱く「あの子ばかり……」というような嫉妬は覚えなかったように思う。
生後6ヵ月頃、残りの命4ヵ月の時期、私たちは親に連れられてセンターに行った。脳室内嚢胞の状態を見るためだ。
3人の小さな口に眠り薬を含ませ、3人が眠っている間にMRIを撮った。
そのとき、奇跡は起こった。
「3人共、右脳も左脳も嚢胞が綺麗に消えています」
信じられない言葉だった。
誰一人欠けることなく、1cm以上もあった2つの嚢胞が3人の脳から消えていた。
止まるはずのなかったカウントダウンが止まった。
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