出口治明の歴史解説! 帝国の衰亡とグレタさんの警告
歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2019年12月のテーマは、「失敗」です。
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※本連載は第8回です。最初から読む方はこちら。
【質問1】ローマ帝国、中国の元朝など巨大帝国が滅びたときはどんな失敗があったのでしょうか。
ローマ帝国(BC27~AD1453)は、皇帝が政治を誤るなどの失敗があって衰亡したわけではありません。最大の原因は、地球の気候変動です。
ローマ帝国は五賢帝の時代(96~180)に全盛期を迎えました。しかし、その終わり頃から地球はどんどん寒冷化していきます。気温が下がって本当に困るのは、もともと寒い地域に住んでいる人たちです。当時、ユーラシア大陸中央部の大平原には、草原地帯を移動しながら暮らす遊牧民がたくさんいました。フン族などですね。
気温が下がれば草原の面積が減りますし、遊牧民は温かい南のほうをめざして移動を始めます。寒冷化をきっかけに、民族の大移動が始まったわけです。
ところが、どんどん南下していくと、天山山脈などユーラシア大陸に横たわる山脈地帯にぶつかります。目の前にそびえ立つ高山を見上げて、遊牧民たちは「羊や馬を連れて高い山を越えるのはしんどいなぁ」と思ったことでしょう。それなら迂回していこうということで、山脈に沿って東西に分かれて進みました。
このとき東側へ移動した遊牧民は、中国に辿り着いて漢民族を長江の南へ追いやり、華北に五胡十六国(304~439)を形成します。
一方、西側へ進んだフン族(匈奴系)などの遊牧民は、ゴート人などを追いながら、ローマ帝国をめざしました。彼らから逃れるために西ゴート人は、ローマ帝国になだれ込みます。それがかつては「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれた諸部族の大移動を誘発したとされています。因みに現在では、ローマ帝国に入った諸部族が実は多彩で、必ずしもゲルマン民族だけではないため、「ゲルマン民族の大移動」という表現自体があまり使われなくなってきています。
ローマ帝国のリーダーたちは、諸部族がなだれこんでくると、もともと貧しかった西側を捨てました。東側、後の東ローマ帝国のほうは、穀倉地帯のエジプトから首都のコンスタンティノープル(現・イスタンブール)へ小麦が運びやすい。美味しいご飯が食べられて豊かな地域でした。
西側は476年に滅んだのに対して、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)はそれから1000年近く生きのびます。
しかし、東方から押し寄せるテュルク系(トルコ人)などの遊牧民の圧力を受け続けて、次第に衰退していきました。
モンゴル人の大元ウルス(1271~1368)が滅んだときも、誰もさほど大きな失敗はしていません。これも寒冷化とそれに伴うペスト(黒死病)などの疫病の流行が原因でした。
14世紀に入ると地球がまた寒冷化し、世界規模で凶作や飢饉が発生しました。食糧難で栄養失調になると病気への抵抗力が落ち、ペストが世界的に大流行するのです。
モンゴル世界帝国によって、人間の移動が活発になったことも原因の1つです。モンゴルの軍隊は、中国雲南省やビルマへ遠征したとき、各地のペスト菌をノミと一緒に持ち帰りました。草原地帯のネズミなどが保菌し、中国では人口の半分が死んだといわれるほどペストが大流行します。
ユーラシア大陸は東西の交通が活発になったので、ペスト菌は黒海を経由してヨーロッパに伝播しました。イタリアが輸入した毛皮についていたノミが媒介したといわれています。
ヨーロッパでは人口の3分の1が死んだ黒死病です。よその土地からきた病原菌は、人々の体内に免疫がない場合には猛威をふるいます。コロン(コロンブス)がアメリカ大陸のバハマ諸島で咳をした瞬間に、ヨーロッパの病原菌が飛び散り、アステカ帝国やインカ帝国の人々が死滅したのがその典型例です。
凶作や飢饉でご飯が十分に食べられないし、怖い病気も大流行する。大元ウルスでは不満を抱える国民が増え、農民反乱や紅巾の乱(1351)が起きました。長江流域に明朝(1368~1644)が興ると、大元ウルスは大都(現・北京)を捨ててモンゴル高原へ去り北元となるのです。
ローマ帝国も大元ウルスも、誰かリーダーの失敗で滅びたのではなく、きっかけは地球の気候変動でした。産業革命以前に滅びた帝国のほとんどは、気候変動に伴う民族の移動、病気の移動が主な原因となっています。人間に失敗があったとすれば、気候変動によって大帝国は滅びるものだということに気づいて対処しなかったことかもしれません。
そう考えると、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが「地球の気候変動をナメたらあかんで!」と大人たちに警告するのもむしろ理の当然といえるでしょう。
【質問2】かつては世界の覇権国家だった連合王国の歴史で、最大の失敗といえば何でしょうか?
連合王国最大の失敗といえば、今回のEU離脱(ブレグジット)でしょう。現在進行中の話ですが、これにまさる失敗はほかにはないと思います。
それは、連合王国にとって過去最強のライバルを思い出せばピンとくるのではないでしょうか。それはフランスのナポレオン・ボナパルト(1769~1821)です。
ナポレオンは1805年に、ブリテン島への上陸を計画しました。これは連合王国にとってえらい大変なことです。この最大のピンチに連合王国海軍は奮い立ち、フランスとスペインの連合艦隊(当時、スペインはナポレオンの支配下にありました)を打ち破りました。これがトラファルガーの海戦です。
連合王国の人々が、ナポレオンの本土侵攻を阻止してどれだけよろこんだことか。ロンドンのど真ん中にこの戦いを記念したトラファルガー広場があることでもわかりますし、大勝利を収めたホレーショ・ネルソン提督(1758~1805)は代表的な英雄になりました。
本土侵攻を阻止されたナポレオンは、連合王国を干し上げるために一計を案じます。翌1806年にベルリンで打ち出した「ベルリン勅令」です。
ヨーロッパ大陸の覇者となったナポレオンは、そのなかで連合王国の本国とその植民地からくる船は、ヨーロッパに寄港させないとしました。さらに翌年にはミラノで「ミラノ勅令」を出し、連合王国の港に入ろうとする商船は没収するとつけ加えました。この2つの勅令がナポレオンの「大陸封鎖令」です。
当時の連合王国は産業革命の最中で、〝世界の工場〟になろうとしていました。そのタイミングで大陸との貿易を止められたら、たまったものではありません。
ヨーロッパの国々は「連合王国の優れた工業製品を買いたいし、連合王国の市場に商品を売りたい。だけど、ナポレオンが命令するんだからしゃあない」としぶしぶ従います。そうなると、もう我慢比べです。
このときロシアは、ナポレオンに従うふりを見せながら、裏でこっそり連合王国との貿易をつづけていました。いくらナポレオンの勅令でも、魅力的な商品には敵わないということです。ロシアの離反を知ったナポレオンは、こらしめてやろうと遠征軍を出します。この連載の第6回でご紹介した1812年のロシア遠征です。
一方、連合王国はナポレオンへの対抗措置として、全ヨーロッパとフランスの植民地を封鎖していました。当時のアメリカは中立的な立場で、連合王国ともヨーロッパとも貿易していましたが、英仏のどちらからも船を拿捕されたり入港を妨害されたりしました。とんだトバッチリです。特に強硬だった連合王国とは関係が悪化し、1812年に米英戦争(第2次独立戦争)が勃発したほどです。
ナポレオンの大陸封鎖令によって、連合王国は大陸と切り離されて弱体化し、産業革命の恩恵を受けるどころか史上最悪の時期を迎えました。
それから200年以上がたって、自らがEU離脱を選んだのは驚き以外の何物でもありません。過去に苦しんだナポレオンによる大陸封鎖令を自ら進めるようなものでしょう。
EU離脱をめぐって2016年に実施された国民投票では、投票率が約72%、離脱支持が約52%、残留支持が約48%という僅差でした。
離脱に賛成したのは主に高齢者で、50歳以下の人々の多くは反対に回りました。高齢者は、ブリュッセルにあるEU本部の若造から、偉そうに指示されるのが嫌だったのでしょう。「連合王国のことは連合王国で決める」という不屈の精神は、典型的なブリティッシュ人気質で、俗にいうジョンブル魂です。
若い世代は第1に経済合理性を考えていますから、これではあまりに次元が違って議論になりません。ジョンブル魂vs.経済合理性の結果が、連合王国最大の失敗を招いているのだと思います。
2019年12月に行われた総選挙では、離脱を推進するボリス・ジョンソン首相率いる保守党が勝利しました。もっとも保守党の得票率は前回から微増したに過ぎず、ブレグジットにあいまいな態度を取り続けた野党、労働党が自滅したというのが大方の見方ではないでしょうか。この総選挙の結果を受けて2020年の早い段階で、EUを離脱することが決定づけられました。
「連合王国は大陸と切り離されてうまくいったためしはない」という歴史をもっと謙虚に学ぶべきではなかったでしょうか。
(連載第8回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。
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