吉本由美 淀川美代子さんのこと
文・吉本由美(エッセイスト)
「オリーブ」「アンアン」「ギンザ」「クウネル」の編集長として長きにわたり若い女性に夢を与え牽引してきた伝説的編集者・淀川美代子さんがみんなの前から旅立って2カ月近く経つ。死後ひと月は公にしないという本人の遺志のもとその訃報は友人知人職場の人たちの誰にも閉じられていた。
私に連絡が入ったのもひと月後だ。初めはひと月も後に水くさいと思ったが、いや、それが美代子さんだと頷けた。表立つのが苦手なのだ。騒がれるのが嫌いなのだ。だから葬儀もお別れ会も“なし”にするよう身内に命じて幕を下ろしたのだ。編集長として最後の仕事となった「クウネル」1月号の発売日の9日前だった。
そういうことを知らされた昔からの仕事仲間の多くが「美代子カッコ良すぎる! やられたー」と叫んだという。私も同感だ、カッコ良すぎる。すべてにおいて自分を貫き、やりたいことを成し遂げる人だったが、終わりも自分のやり方でカッコ良く締めた。見事“編集者を生きた”人生を見せつけられた。かなわないな、と私は思った。いつもいつも一歩先に彼女がいた。死に方まで先を越されて、これではいつまでも我が先輩を超えることはかなわないな、と。
その先輩、美代子さんとの“馴れ初め”は半世紀前まで遡る。彼女が(たぶん)26歳、私がまだ21歳の頃だった。松竹映配の宣伝部にいた彼女のところへ雑誌「スクリーン」編集部に入りたての小娘が映画広告ページの校正紙を持参したのだ。すると雑然とした空気の中からきりっとした面立ちの美人さんが現れた。2人は一目で意気投合した。
当時の洋画配給業界といえばオジサンだらけ。若い女性といえば私たち2人だけで、業界のパーティーや講演会などの受付をコンビでよくまかされた。そこで話しているうちに彼女が淀川長治さんの姪御さんと判った。「淀川先生にはよく試写室まで原稿いただきに伺うよ」と言うと彼女は「よしよし」という感じで頭を撫でた。そういうおじさん(淀川先生)も引っ張り込んでの繋がりがどこかしら姉妹感覚の付き合いへと発展していったと思う。利発な姉、ゆるい妹、という感じで。
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