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【森友学園問題】「もっと強気で行け」2017年の国会で佐川氏に渡された“安倍総理のメモ”

「週刊文春」2020年3月26日号に掲載された「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が大きな反響を呼んでいる。

実は今から2年前、月刊「文藝春秋」もまた、決裁文書改ざんの背景に切り込むレポートを掲載し、安倍首相が佐川宣寿氏に渡した“PMメモ”の存在を明らかにしていた。2018年5月号に掲載した「佐川氏に渡された『総理のメモ』」を再公開する。/文・グループMOF研

「PM」は「プライムミニスター」

2017年早春の国会。学校法人「森友学園」への国有地売却を巡り、財務省理財局長の佐川宣寿(のぶひさ)(当時)は野党の質問攻めに忙殺されていた。委員会室で十数メートル先に座る首相の安倍晋三の秘書官の一人が佐川に歩み寄り、1枚のメモを手渡した。

「もっと強気で行け。PMより」

「PM」は「プライムミニスター(首相)」、即ち安倍を指す官僚たちの略語だ。安倍の妻、昭恵の土地売却への関与を疑い、猛攻に出る野党。安倍は2月17日の衆院予算委員会で「私や妻が関係していたとなれば、間違いなく首相も国会議員もやめる」と感情も露わに退路を断っていた。

防戦の矢面に立ったのは、国有財産を所管する財務省理財局長の佐川と、土地の元々の管理者だった国土交通省航空局長の佐藤善信の2人だ。地中ゴミの撤去費用を約8億2000万円と算定したのは国交省大阪航空局。財務省近畿財務局は不動産鑑定評価の更地価格9億5000万円からこれを差し引き、1億3400万円で売却した。この経緯を巡って佐藤はしどろもどろな答弁を繰り返し、安倍や官房長官の菅義偉の不興を買って同年夏には退官の憂き目に遭う。

火消しを一手に担ったのが佐川だ。

「近畿財務局と森友学園の交渉記録はございません」(2月24日)

「価格設定して向こうと交渉することはございません」(同27日)

野党の攻め口を遮断するこんな強気の答弁を連発し、売却の適法性を主張して追及に一歩も引かない。時に語気を強め、闘志むき出しの佐川答弁への首相官邸の評価はうなぎ上りとなる。「PMメモ」の含意は佐川個人への激励にとどまらなかった。第二次安倍内閣の発足から冷え切った関係が続く安倍官邸と財務省。森友問題でこの両者が疑惑の火の粉を払う共通の利害で結ばれ、政治的に初めて「同じ舟に乗った」。それを「PMメモ」は象徴していたのだ。

「超完璧主義者」

官邸と一蓮托生となった財務省には、戸惑いと安堵感が交錯した。これは官邸ににじり寄る好機か、それとも対応を一歩間違えれば組織の危機か――。そんな国会攻防の舞台裏で、佐川率いる「理財局の一部」は文書改ざんの一線を超えていった。

旧大蔵省出身で自民党税制調査会の重鎮だった元衆院議長の伊吹文明。主税局で審議官や課長を歴任した佐川の人物評を「全ての辻つまがキチンと合わないと納得しない。役人の鑑のような人物だった」と語る。上司から見れば、職務に忠実な「堅物」だが、部下から見れば、佐川は「パワハラ上司」を示す財務省の「恐竜番付」の上位常連として知られた。

今年3月27日、国会での証人喚問。佐川は濃紺のスーツに七三分け、退官前と変わらぬ姿で国会の廊下を足早に歩き、着席した。宣誓書にささっとペンを走らせて署名し、上着のポケットから印鑑を出して捺印。偽証罪への重圧で、サインする右手の震えが止まらない民間人もかつていたが、「良くも悪くも超完璧主義者」(年次が数年上の財務省OB)は寸分の隙も見せなかった。

証言に入ると、「8億円の値引き」と指弾される売却手続きに触れて「貸付契約、売払契約とも不動産鑑定にのっとって行った。不当な働きかけがあれば、ちゃんと残っているだろうが、そういうものはない」と適法だと主張。「売却手続きに安倍首相や昭恵夫人の影響があったとは一切、考えていない」と言い切った。

「昨年の答弁では『不動産鑑定にかけて』価格を提示したことはなかったと申し上げた。公示価格や路線価もあるので現場で話は出ただろうが、答弁は正しかったと考えている」

「交渉記録は1年未満で廃棄、という財務省の文書管理規定について昨年は答弁した。ただ、決裁文書に交渉記録に類する記述があるわけで、答弁は大変、丁寧さに欠けていた」

佐川は、森友学園との価格交渉の有無も交渉記録の廃棄も虚偽答弁ではない、と淀みなく釈明した。早い段階での安倍の「辞める」答弁によっても「その前と後で自分の答弁を変えた意識はない」と言い切った。

半面、決裁文書の改ざん問題を追及されると「私自身が捜査対象で刑事訴追を受ける恐れがあり、答弁は差し控えたい」の一点張りで証言拒否。安倍や昭恵、政治レベルの要路からの改ざん指示はすべて否定した。

国有地の売却は適法で、安倍夫妻の指示も影響もなかった。国会答弁に偽りもない。それではなぜ決裁文書を改ざんする必要があったのか。

「国会答弁に誤解を受けないようにする考え方の下で改ざんした」との財務省の調査とも矛盾をはらむ。質問に立った無所属の会の江田憲司は「自分一人で責めを背負う美学なんて国民に通用しない」と声を荒らげた。財務省幹部でさえ「昭恵氏の存在が売却手続きに影響しなかったはずがない」「いや、理財局が佐川を忖度しただけだ」と見方が割れた。

安倍

「オレはもう川を渡った」

なぜ財務省は信じがたい失態を犯したのか。その理由を知るには、第二次安倍内閣以降の首相官邸との攻防を振り返る必要がある。

戦後の霞が関で「最強官庁」の座を築いた旧大蔵省=財務省の傲岸不遜なプライドと高いモラルを支えてきたもの。それは「日本経済の司令塔」とか「財政再建への使命感」といった次元だけでは語りきれない。霞が関で最も古い財務省庁舎は、上空から眺めると「日」のかたちに見える。すなわち「我々こそ日本国そのもの」という国家意識。統治権力の屋台骨を支え、時の政権が取り組む政策決定を、予算編成や税制改正を通じて「仕切っている」との強烈な自負こそが根底にあったはずだ。

財務省は予算査定当局の立場で、要求側の各省からあらゆる政策情報を吸い上げる。公共事業などの予算配分や租税特別措置の政治的調整を通じて培養してきた与党実力者の人脈から、政局情報も事細かに収集する。これらを集約し、予算と国会を軸にした政治カレンダーを描く。歴代の官邸は政権運営のファンダメンタルズ(基礎的条件)として、これに依存してきた。財務省の真の強みは、他の国家機関の追随を許さない、このように広くて深い政治インテリジェンスにあった。その最も重要な尖兵が、官邸で首相や官房長官に至近距離で張りつく秘書官だ。財務省から出向する首相秘書官は、各省からの秘書官の中で筆頭格とされ、年次も一番上なのが慣例である。

この強固なインテリジェンス力を土台とする財務省の「仕切ってる感」を叩き潰しに出たのが、第二次内閣で再登板して以降の安倍だ。安倍は政策路線として財政健全化や消費税増税に嫌悪感を抱いているだけではない。財務省をそもそも権力維持の潜在的な敵対勢力と見ているのだ。自民党総裁に返り咲き、首相に再登板する直前の12年秋。第一次内閣の首相秘書官で、後に財務事務次官(15~16年)にまで引き上げる田中一穂(昭和54年入省)らが財政再建の「ご説明」に出向くと、安倍は不快そうに遮った。

「オレはもう川を向こう岸へ渡ってしまったんだから。渡ってしまった前提でどうするか考えてくれ」

「向こう岸」という言い回しには、お前たちとはもはや住む世界が違う、と突き放す冷たい響きがあった。財政再建と経済成長のどちらに軸足を置くか、理詰めで論争すれば、それなりに歩み寄れる、といった生易しい温度差ではありえなかった。異次元の金融緩和、なりふり構わぬ財政出動、中長期の成長戦略の「三本の矢」からなる異形の経済政策=アベノミクスを掲げて長期政権を目指した安倍は、財務省を官邸中枢からとことん遠ざけ、特に重要情報から徹底的に遮断して策動を鈍らせる。

 安倍は最側近となる政務担当の首席首相秘書官に、第一次内閣の秘書官で気心知れた経産官僚の今井尚哉(たかや)(57年)を据え、官邸の司令塔とした。財務省が送り込んだ首相秘書官の中江元哉(59年)も安倍官房長官時代の秘書官だが、今井の壁に阻まれ、安倍の本音を殆どつかめない。今井と個人的に連携して動く経産官僚グループを政策実務スタッフとして重用し、財務省はとことんカヤの外に置く、という安倍流の「異形の官邸主導」の始まりである。

そこまで外されているとは思いもよらない財務省は、何とか安倍を折伏しようと従来通りの手法に頼って失敗を繰り返す。例えば14年11月、安倍が消費税率8%から10%への引き上げ延期を決断した時だ。

財務省は幹事長の谷垣禎一や政調会長の稲田朋美ら当時の自民党執行部、経団連会長の榊原定征ら経済界首脳に絨毯爆撃のように根回し。増税容認の「安倍包囲網」で説得を試みた。財務官OBで日銀総裁の黒田東彦(はるひこ)も虎の子の追加金融緩和のカードを切って側面支援。外堀を埋められた、と危機感を募らせた安倍は、衆院解散・総選挙で増税延期の信を問う、と伝家の宝刀で切り返した。

15年秋の消費税の軽減税率導入を巡っても、財務省は谷垣や自民党税調の反対論に頼ったが、安倍と菅は公明党配慮から導入で押し切った。16年夏には消費税増税の再延期論が浮上する。財務次官に昇格していた田中が、省内に「今回はもう動くな」と与党根回しを厳禁。「オレは安倍を信じる」と大型経済対策とセットで官邸に直談判を探るが、手がかりもつかめぬまま安倍にあえなく増税の再延期を決められてしまった。

こんな安倍の「敵視政策」がようやく骨身にしみた財務省。遠のく官邸との間合いをどう詰め、19年10月まで実施が延びた消費税増税への道筋をつけ直すのか。17年前半はお先真っ暗から手探りを再開した時期だった。そこへ勃発した森友問題。佐川の活躍はかすかな光明にすら思えた。この対応にはどんな些細なミスも許されない。これが理財局で改ざんが進む前後の省内の空気だ。

そもそも、15年夏に田中が次官になった頃から、財務省のモラルダウンは隠せなくなっていた。昭和54年入省組から木下康司と香川俊介(故人)が相次ぎ次官になるまでは予定通りだったが、官の論理では次官コースから外した田中を、異例にも同期で三人目の次官に据えさせられ、省内は波立った。メンツを懸けて元秘書官を出世させようとする安倍のゴリ押しを、副総理・財務相の麻生太郎も無下にはできなかった。16年夏に55年組で主税畑の佐藤慎一が田中の後を襲うと、省内はさらにガタついた。佐藤は専業主婦世帯を優遇する配偶者控除を見直し、共働き世帯でも適用になる「夫婦控除」を創設する所得税改革を構想した。少子化対策の前提となる結婚と、女性の活躍を後押しする安倍カラーの政策として、自民党税調に売り込む。だが、安倍官邸は専業主婦にあらぬ不安が広がりかねないと見るや、これをバッサリ切り捨てた。

財務省の本流中の本流は予算を担当する主計局。歴代次官の大半は主計局長から昇格する。佐藤のような生粋の主税畑の次官が誕生したのは、薄井信明(1999~2000年)以来だったが、主計局人脈は幹部級でも「佐藤さんの人となりもよく知らないしね」と冷ややかだった。軽減税率問題でも政治状況を見誤り、混乱を招いたのは主税局長時代の佐藤その人だ、などと評価は辛かった。予算を担当する主計官僚は財政再建を唱えつつ、政治との綱引きで最後は「足して2で割る」妥協も厭わない気風がある。予算はそんな数字の操作でしのぐ余地がある政策でもある。税制を所管する主税官僚は「税の論理」の一貫性を重んじる傾きがあり、肌合いが微妙に異なる。「局あって省なし」を地で行くように、佐藤と主計局はぎくしゃくした。

17年前半、佐藤と当時の主計局長だった福田淳一は「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針17)」で財政健全化目標をどう維持するかを巡ってぶつかる。目標を骨抜きにしかねない安倍の策動を危ぶむ佐藤を、福田は主計局に任せろ、主税畑は黙っていればよい、とばかりに突き放し、口も利かなくなった。

佐川

主計人脈の強い反発

この不穏な空気が発火点に達したのが、17年夏の幹部人事だった。佐藤は退官し、事務次官には57年組から福田が昇格した。主計局長には官房長の岡本薫明(58年)が就いた。ここまでは主計畑の有力者が次官コースへ順当に異動した。理財局長の佐川(57年)が同期の迫田英典の後の国税庁長官になったことで、森友問題の論功行賞かと取りざたされたが、実際は省内秩序通りの年次順送り人事。57年組で三番手の扱いに過ぎなかった。

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