出口治明の歴史解説! 一般市民として生涯を終えた”ラストエンペラー”
歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年2月のテーマは、「大逆転」です。
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※本連載は第14回です。最初から読む方はこちら。
【質問1】前回の講義で、ペストのパンデミックをきっかけに明の朱元璋が大出世したという話は意外でした。逆に高い地位からとんでもなく転落した人はいるでしょうか。
大出世ではなく、大零落のほうですね。すぐに思い出されるのは愛新覚羅溥儀(1906~1967)。映画『ラストエンペラー』で知っているという人もいるのではないでしょうか。
彼は3度も皇帝に即位しながら、最後は一般市民として生涯を終えました。
溥儀は、約300年つづいた大清世界帝国の第12代皇帝(在位:1908~1912)として2歳で皇帝の座に就きました。しかし、ほどなくして辛亥革命が起こり、袁世凱によってその地位から追われます。
しかし、5年後に「張勲復辟事件」が起きます。この事件はあまり知られてはいませんが、清朝に忠節を尽す軍人の張勲(1854~1923)が、溥儀を再び皇帝に即位させたのです。しかし、広い支持を得られず、わずか13日間で失敗に終わりました。
1934年には、日本の傀儡国家だった満洲帝国の皇帝(在位:1934~1945)に即位しました。ソ連の満洲侵攻によって、国家が崩壊するまでの12年間にわたって、皇帝の地位にありました。
溥儀は3度目の退位ののち、ソ連軍の捕虜となります。そして、極東国際軍事裁判(東京裁判)では、自分が何の力も持たない日本軍の傀儡であったと証言しています。
中華人民共和国ができるとソ連から引き渡され撫順の戦犯管理所に収容され1959年に釈放されました。
共産党が支配する中国で、一市民となった溥儀は、首相だった周恩来(1898~1976)のはからいで、北京植物園で庭師の職に就きました。映画『ラストエンペラー』では、庭師として余生を送ったように描かれましたが、公職にも就いています。政府の諮問機関である中国人民政治協商会議(政協)で、史資料の研究の仕事をしていたそうです。
革命が起これば、皇帝は殺されることが多い。フランスのルイ16世、ロシアのニコライ2世など革命のさなかに殺害されることは珍しくありません。東ローマ帝国(395~1453)では、皇帝の座を追われた人は、殺されなくても、両目を潰されて修道院で静かに暮らす、といった扱いが少なくありません。政治の世界にカムバックさせないためです。
ここに中国とヨーロッパの制度の違いを見ることもできます。ヨーロッパの封建制社会では、わかりやすくいえば、頂点に王や皇帝がいて、その下に中間層として諸侯などの領主がいて、その下に一般の民衆がいるというピラミッドです。
皇帝や王がその地位を追われたとしても、一気に人民まで転落はせず、中間層の諸侯や領主に戻ることができたわけです。
もちろん中国にも領主層はいて、皇帝の多くはそういった領主層や遊牧民の首領から出ています。しかしヨーロッパのような封建制とは違い、皇帝が飛び抜けて偉いだけであとは比較的フラットな制度でした。これは、この連載で何度も登場してもらっている始皇帝が生み出したグランドデザインのたまものです。加えて共産党支配下の中国では領主層は存在できません。それによって、皇帝をやめさせられた人が一般市民になって生涯を終えるという、大転落が実現したのです。
そして何よりも重要なのは、毛沢東(1893~1976)と周恩来が、溥儀が一般市民になればそれでいいよ、という態度をとったことです。「新しい中国では、かつての皇帝も一般市民として平穏に暮らしていけるで」と国内外にアピールしたかったのでしょう。溥儀の存在自体が一種の共産党のプロパガンダになっていたと思います。
【質問2】第二次世界大戦の敗戦国だった日本が、戦勝国を凌駕するほどの経済大国になったのはなぜでしょうか?
何よりも人口の増加と東西冷戦構造のおかげです。
日本の戦後復興を指して「日本人は優秀だ」「日本人は特別だ」などと自慢する人がいますが、そんなことはありません。本当に優秀なら″失われた30年”などという事態に陥らないはずですからね。
日本の復興が急速に進んだ最大の理由は、戦後の中国で、毛沢東の共産党が蒋介石(1887~1975)の国民党を打ち負かしたからです。このことによって、日本はアメリカの重要な同盟国になりました。もし蒋介石が勝っていたら、日本はずっと貧しい国のままだったかもしれません。順を追って説明しましょう。
第32代アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルト(1882~1945)はなかなか賢い人で、アメリカが第二次世界大戦に参戦する以前から、戦後の世界の再建方法を頭の中に描いていました。
まず、IMF、世界銀行を作って金融恐慌に耐えられるようにする。
次に、世界の平和維持については、英国、ソ連、フランス、そして中国(蒋介石)の5人で話し合おうと考えていました。これが、国際連合の常任理事国の原型になるわけです。
つまり、戦後の東アジアは蒋介石の中国と手を結んで安定させよう、というのがアメリカの当初の構想だったのです。敗戦国の日本は、本来ならアメリカの世界戦略のパートナーになるはずがありません。
日本人は勘違いをしがちですが、マッカーサー将軍が日本に派遣されたのも、ワシントンが日本を重要視していなかった証拠です。ワシントン中枢から見れば、マッカーサーは自意識が強いだけで、時代遅れの軍人でした。敗戦国で戦犯を処分し、戦時体制を徹底的に壊すぐらいの役割しか任せられないと思っていたのです。
ところが、中国が共産党の毛沢東に奪われ、蒋介石はほうほうの体で、台湾に逃げ出します。そして、大陸に戻るのが難しいのは誰の目にも明らかになりました。アメリカは中国を頼れなくなったのです。
すっかりアテが外れたアメリカは「東アジアでソ連と中国に対抗できるアメリカの同盟国はどこや」と探しました。すると、もう残っているのは日本しかありません。戦争に負けてボロボロになったとはいえ、人口8000万人を抱える大国で、工業化も進んでいました。
ソ連と中国の側から見ると、日本列島が太平洋へ出るのを邪魔しています。アメリカ人は、「これは使える不沈空母じゃないか」と判断したのです。アメリカから見た日本の価値は一変しました。
しかも、日本には吉田茂(1878~1967)という優れた首相がいました。吉田茂は、戦争中は軍部ににらまれて冷や飯を食わされていましたが、戦争が終わると立場が逆転して、日本の指導者になっていたのです。
彼は、かつて幕末の阿部正弘(1819~1857)が描いたグランドデザインを上手に利用しました。阿部のグランドデザインとは「開国→富国→強兵」ですが、吉田はこの中の「開国→富国」に絞った上で徹底的に推し進めたのです。
日本の失敗は「強兵」にあったことを吉田は理解していました。そこで、大胆にも「強兵」を切り捨てたのです。では、軍事面はどうするのか。なんとアメリカを利用することを考えたのです。日本が独立したあとも、米軍が駐留できるように条約(日米安保条約)を結び、必要最低限の軍備(自衛隊)にとどめられるようにしました。
吉田茂の「開国→富国」戦略は当たりました。軍備の復興にあてる人材も予算も、すべて経済にまわすことができたからです。
さらに朝鮮戦争が勃発します。この戦争による特需で、現在でいえば30兆円の規模の有効需要がありました。経済復興の大切な時期に、どんどん仕事が舞い込んできたのです。
ライバルになるはずだった中国は、大失態を犯します。毛沢東の大躍進政策(1958~1961)と文化大革命(1966~1976)によって国家が大混乱に陥り、経済成長は大幅に遅れました。これも日本にとっては追い風となりました。その間に、政治的安定性のもとアジアでぶっちぎりの経済大国になっていったのです。
もし毛沢東が早く死んで、改革開放を推し進めた鄧小平が実権を握っていたら、今日のような中国の急成長がもっと早い段階で起こっていた可能性は否定できません。
日本の急速な経済成長は、人口の増加をベースに東西冷戦構造をはじめとする幸運がいくつも重なって実現したものです。それを顧みずに「日本式経営は最強だ」などと勘違いし、冷静な状況分析ができなくなったことが問題です。構造改革を提唱した前川レポートは顧みられることなく冷戦構造が終わると、急速に日本の価値は失われ、中国の台頭によってさらに重要度が低下していったのです。
ちなみにドイツが戦後復興に成功したのもまったく同じ理由です。ソ連軍が本気で攻めてきたら、第二次大戦で疲弊した英国やフランスなどが対抗できるはずはありません。アメリカはマーシャル・プラン(欧州復興援助計画)で、ヨーロッパ復興のために多額の資金を支援し、ドイツの再軍備を認めました。やはり冷戦構造のおかげです。
ソ連、中国の共産圏に対抗できるのは、東アジアでは日本、西ヨーロッパではドイツしかありませんでした。アメリカから見れば、2つの敗戦国しかソ連、中国の共産陣営に対抗する選択肢はなかったのです。どちらも戦争が終わって人口が増え、地政学的にラッキーだったというのが、経済大国になった本当の理由です。
(連載第14回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。
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