【蓋棺録】田沼武能、出井伸之、松井守男、熊﨑勝彦、石井隆
偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。
★田沼武能
写真家の田沼武能は、百数十カ国をめぐり、子供たちを通して世界を見つめた。
1960年代半ば、タイム・ライフ社のカメラマンとしてパリを訪れたとき、ブローニュの森で夢中になって遊ぶ子供たちに魅かれる。その瞬間から、子供の写真が一生のテーマとなった。「子供たちは社会の鏡なんです」。
29(昭和4)年、東京の浅草に生まれる。実家は写真館。子供のころは仏師になりたかったが、父に反対された。そこで建築学科に進むことを考え、早稲田第一高等学院を受験すると、内申書が悪いせいで落とされる。仕方なく東京写真工業専門学校(現・東京工芸大)に入ってカメラマンを目指した。
卒業後、名取洋之助が主幹を務めていたサンニュースフォトスに入る。しかし名取は他社に移籍してしまったので、顧問格だった木村伊兵衛の「押しかけ弟子」になって助手を務めた。木村は「居合抜きのような」写真の撮り方をしたが、「先生が振り向いたときには必要なレンズを渡せるようになりました」。
50年、木村の推薦で『藝術新潮』の肖像担当となり、横山大観、谷崎潤一郎、小林秀雄、川端康成などの写真を撮る。何気ない表情や動作を捉えるのが巧みだった。「先生方は、若い僕にいろんな話をしてくれるので、貴重な人生の糧となりました」。
65年、フォトジャーナリズムの最高峰といわれた『ライフ』誌から声をかけられ、契約カメラマンとなって活躍する。このころ師匠の木村から言われたのが「仕事をこなしているだけじゃ、自分の作品にはならない」だった。ライフの仕事と自分のテーマの狭間で悩んだが、パリで出会ったのが「夢中で遊んでいる子供たちでした」。
75年、個展『すばらしい子供たち』を開催し、写真集を刊行して日本写真協会年度賞を受賞する。「子供の写真なんてプロが撮るものじゃないと言われましたが、子供こそ、その社会を映すと思います」。50歳のとき2回り年下の歯科女医と結婚する。
84年には黒柳徹子がユニセフ親善大使に任命されたと聞いて、派遣される国に同行したいと申し出た。以降、39カ国に同行し子供を撮った。アフリカの草原でも中東の沙漠でも子供たちとたちまち仲良くなったという。
2019(令和元)年、写真家として初めて文化勲章を受章。皇居で開かれたお茶会でも、天皇陛下を前に浅草っ子の「べらんめい」で話して列席者を沸かせる。何歳になっても新しい撮影機器に取り組んだ。「写真家にはゴールはないんです」。(6月1日没、不明、93歳)
★出井伸之
元ソニー株式会社会長兼最高経営責任者の出井伸之は、エレクトロニクス産業の激動期に、同社の舵取りを担って苦闘した。
2003(平成15)年4月、大幅減益が見込まれると発表したため、ソニー株は2日間ストップ安となる。「ソニー・ショック」だった。海外誌が出井を「最悪の経営者」と書き、この衝撃は2年後の会長退任に繋がっていく。
1937(昭和12)年、東京に生まれる。父の盛之は早稲田大学教授だった。出井も早稲田大学高等学院をへて同大政経学部に入学する。4年生のときに、幼馴染の父であるソニーの井深大に興味をもち、同社を訪問したところ人事部長が対応してくれた。
「もっと偉い人に会いたい」というと、当時の井深社長と盛田昭夫専務が出てきて、「実習をやっているから、明日からいらっしゃい」と誘ってくれた。そこで学生服を着てソニーに通い始め、翌年には入社することになる。
何でも率直にものをいう出井は先輩にかわいがられた。それでも2度ほど「左遷」されている。1度目はソニー商事の物流センターに出向になるが、これは盛田が意図的に仕組んだことが後に分かる。「盛田さんは前もって僕の妻に話していたのです」。
2度目は副社長時代の大賀典雄の逆鱗に触れた。厚木のテクノロジーセンターにいたとき、大賀が「僕につくのか、厚木のボスにつくのか」と聞くので、冗談だと思い「それは厚木ですね」と答えたところ、3カ月ほど役職を解かれた。しかし大賀は95年に、ヒラ取締役の出井を14人抜きで後継社長に指名している。
社長に就任すると出井は、「ものづくり」から「コンテンツ」に軸足を移す戦略を採用し、コーポレートガバナンスも日本的経営からの脱却を図る。2000年に会長になると、政府のIT戦略会議議長に就任するなど、日本におけるIT革命のリーダーとしての役割も担った。
しかし、社長だった時期の平均営業利益が約3400億円だったのに対し、会長になってからは約1500億円に下落する。ソニーの伝統から安易に離脱したためだとの批判があるいっぽう、新ビジョンがあまりに早すぎたとの弁護論も少なくない。
会長退任の翌年、企業にアドバイスするクオンタムリープ株式会社を設立し、代表取締役となって経営者を続けた。「ソニーからは解放されて、新しいことをやりたい」。常にビジネスを楽しむ姿勢が、若者たちを惹きつけた。(6月2日没、肝不全、84歳)
★松井守男
画家の松井守男は、フランスを中心に活躍して、「光の画家」と呼ばれた。
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