【梨田昌孝】わたしのコロナ感染記|死を覚悟した一カ月半
文・梨田昌孝(野球解説者)
梨田氏
「体温計が壊れている」
最初の異変は昨年3月25日の昼過ぎでした。倦怠感と関節の痛みを感じたので熱を測ってみると36度8分。その後も数日、熱は上がらなかったので、風邪気味かなというくらいに考えていました。5日目に熱が38度5分まで急に上がり、6日目には39度を超えました。私は家内に「体温計が壊れているようだ。新しいものを買ってきてくれ」と言ったそうです。
現役時代から怪我はしても、病気はしませんでした。日本ハムの監督をしていた2009年の夏もチームで新型インフルエンザが流行したことがありましたが、私は感染せず、何とか優勝まで辿り着くことができました。呼吸器系や内臓の疾患、糖尿病もありません。どこかで自分が流行り病にかかるわけがないという過信があったんです。
感染源の心当たりもありません。2月下旬にプロ野球キャンプ取材から戻ってきた後は、ほとんど外に出ず、人とも接触しませんでした。数日前に雨の中をウォーキングしましたが、免疫が落ちたところで感染者とすれ違ったのか……。今もどこで感染したのかわからないのです。
発熱してから1週間たった3月31日には完全に意識がなくなって病院へ担ぎ込まれました。
入院時には重度の肺炎を発症していたそうです。すぐに人工呼吸器をつけられ、集中治療室に入りました。幸いだったのはエクモ(体外式膜型人工肺)をつけるまでには至っていなかったことでしょうか。
病院に駆けつけた息子によれば、医師からはかなり危険な状態であること、助かっても相当重い後遺症が残り、一生寝たきりになる可能性もあることを告げられたそうです。
当の私は意識がほとんどなく、悪い夢ばかり見ていました。近所の人や知人を感染させてしまい、その方が亡くなったとか……、野球のことは一切出てこず、コロナに感染した罪悪感に苛まれるものばかりです。
人工呼吸器が外れたのは4月15日、入院から15日後のことでした。水をゆっくり飲んだところから意識が少しずつ戻っていきました。自分の体中に5本くらいの管が通されていて、がんじがらめでした。
医療従事者には感謝しかない
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