耐え難い格差を生み出す、韓国「無限競争社会」の苦しみとは?
激しい教育熱、苛烈な就職活動、勝者と敗者の埋められない格差……韓国社会で起こっていることは、日本にとっても「対岸の火事」ではない。/文・金敬哲(フリージャーナリスト)
通貨危機が格差社会のきっかけ
2012年8月の李明博(イミヨンバク)元大統領の独島(竹島)上陸を機に硬直し始めた日韓関係は、2017年5月、文在寅(ムンジエイン)政権が発足してからいっそう悪化している。2018年以来、既存の歴史問題と独島問題のほか、海上自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件、徴用工賠償判決など、新たな懸案が次々と発生し、「戦後最悪の日韓関係」の時代へと突入した。
金氏
韓国の歴代のどの政権より強力な反日外交を繰り広げていることが、文在寅政権の支持率アップに大きく貢献しているのは事実だ。
その背景には、沸騰寸前にまで上がった、国民の「不満の水位」がある。いまの韓国は、耐えがたい格差社会に陥っている。全ての世代で「無限競争」が繰り広げられており、社会が一握りの勝者と大半の敗者に分かれ、勝者独り占めによる格差が日増しに深刻化。「競争」と「格差」こそが現在の韓国社会の諸問題を引き起こしている。
文在寅政権は高まった不満の捌(は)け口として、日本という「敵」を利用しているのだ。
韓国が厳しい格差社会になったきっかけは、1997年のIMF通貨危機だ。これは、財政破綻の危機に直面した韓国政府が、IMFから資金援助を受けるために合意文書を締結し、国家財政の「主権」をIMFに譲り渡したものだ。これによって韓国ウォンは大きく下落し、庶民の生活も大打撃を被った。IMF危機直後に就任した金大中(キムデジユン)大統領は、IMF勧告よりも強力な新自由主義政策を導入した。韓国社会全般にわたって新自由主義の波が押し寄せたが、とりわけ、その影響を強く受けたのが教育現場である。
塾をハシゴする小学生
厳しい競争社会で安定した生活を送るためには大手企業に就職しなければいけない。そのためには名門大学に進学する必要がある――こうした社会通念が強くなり、学校ではなく「私設の学習塾」が教育の中心になり、いわゆる名門塾が台頭した。いまでは、名門塾に入るための試験勉強を指導する「セキ塾」まで登場している。
韓国の教育熱を象徴するのが、「大峙洞(テジドン)キッズ」だ。ソウルの富裕層が住む漢江(ハンガン)の南岸、江南(カンナム)地域にあって、学習塾がひしめく地区「大峙洞」に通う子供たちのことである。
大峙洞の名門塾では、徹底した管理教育が行われ、早ければ幼稚園の時から、目標とする進路に向けた体系的なカリキュラムが施される。もちろん、多額の費用がかかるが、ソウルの他地域や地方からも名門塾を求めて、幼い子供を連れて大峙洞へ転居する。IMF危機を経験して、「信じられるのは自分の力だけ」と痛感した親たちが、子供の教育に一層熱を入れるようになったからだ。
大峙洞に住む主婦のパク・ミンジュさん(仮名)は、1年前の冬、ソウル市麻浦区から引っ越してきた。ミンジュさんの息子、ヒョンジュン君は大峙洞C小学校の5年生だ。C小学校の前の道路は、下校時間が近づくと車で埋め尽くされる。下校する子供を拾って塾に連れて行くため、母親たちの車が待機しているのだ。
ミンジュさんが言う。
「学習塾街までは歩いて15分くらいですが、ほとんどの子供は母親が車で送っています。1日に少なくても2、3軒の塾を回るので、子供だけだと時間管理が難しいからです」
2012年、教育科学技術委員会に所属する国会議員が、大峙洞の学習塾街を歩いていた小学生10人を対象にかばんの重さを測る調査をして話題を集めたことがある。その結果、10人のかばんは平均8.5キロだった。小学3年生の平均体重は約30キロ。つまり、体重のおよそ3分の1のかばんを背負って塾から塾へ転々としているのだ。
数学塾や英語塾に通っているヒョンジュン君のかばんもかなり重かった。かばんの中には数学のテキストのほかに、TOEFLリーディング、TOEFL文法、TOEFL単語集など、TOEFL関連のテキストだけで3冊、それに「ハリー・ポッター」の英語の原書も入っていた。ヒョンジュン君が通う英語塾では、毎日、TOEFLとTEPS(ソウル大学が主管する英語能力試験)に向けた授業を3時間行い、小説やエッセイを原書で読んで発表、ディベートする授業も行っている。
ヒョンジュン君は英語塾が終わると、近所で待っていたミンジュさんと合流し、20分で簡単に夕食を済ませた後、数学塾へ走っていく。数学の授業も3時間で、中学3年生用のテキストを使って行われる。
深夜の違法授業
大峙洞キッズの憧れの的が、「一打(イルタ)講師」だ。ピッタリの日本語訳は、「カリスマ講師」だろう。
日曜日の朝7時過ぎに大峙洞のとあるビルを覗くと、1階から3階まで、階段にかばんがずらっと1列に並べられていた。ここは、大峙洞でも5指に入る名門塾・イガン予備校。子供たちが早朝から席取りをしているのだ。
同校の進学カウンセラーであるシン・チョンヘさんが語る。
「日曜日は、数学の一打講師であるヒョン・ウジン教授の授業があるので、少しでも良い席で授業を聞こうと、生徒たちは夜明け前の4時頃からやってきます」
9時になると、ヒョン教授が登場して授業が始まった。
「今から私が言う言葉1つ、しぐさの1つまで絶対覚えておくように。必ず試験に出るからね!」
ヒョン教授は、アメリカのスタンフォード大学で数学を専攻した秀才だ。2011年から大峙洞の学習塾で教えはじめ、実績を認められて、韓国最大手の教育企業「メガスタディー」にスカウトされた。2018年、31歳の若さで江南に320億ウォン(約32億円)のビルを購入したことが話題になった。
ヒョン教授のような一打講師の年収は、100億ウォン(約10億円)を超える。その多くが、20代後半から30代前半で、10人以上の秘書を抱え、専属のヘアメイクにスタイリストまで付けている。言ってみれば、教育界の「韓流スター」なのだ。
夜10時すぎ、大峙洞の学習塾街にほど近い公園や体育館では、多くの子供たちがスポーツに熱中している。2008年、ソウル市教育庁は、課外教育の拡大を防ぐため、「深夜教習禁止条例」を制定した。これにより、ソウルの学習塾は夜10時になると、すべての授業を終了しなければならなくなった。しかし、体育教室は塾ではなく、「体育施設」に分類されるため、条例が適用されない。この抜け穴を突いて、体育教室が盛んになっているのだ。
夜中まで体育の授業を受けるのも受験のためだ。韓国の高校入試は、基本的にペーパーテストがない。難関高校でも、内申書の成績や面接で合否が決まるため、主要科目だけでなく、体育や音楽、美術などの芸術科目でも良い点数を取る必要があるからだ。
一方、大学受験を控えた高校生は、違法な深夜教習を受けている。夜10時を過ぎると塾の入口にシャッターを下ろし、灯りが漏れないよう窓にぶ厚いシートを貼って、深夜授業を行う学習塾が少なくない。夜10時になると先生と生徒たちは塾の近くに借りたアパートへ移り、未明まで授業を続けるところもある。大峙洞キッズは、違法教習が行われるアパートを「自習室」と呼ぶ。
受験生に声援を送る高校生
就活で100社に「玉砕」
ようやく志望大学に入学できたからといって、若者の苦労は終わらない。未曽有の就職難時代を乗り切るため、「8大スペック」を向上させなければいけないからだ。
スペックとは、「製品仕様」の意味だが、いまでは就職に必要なスキルや資格のことも指すようになった。工場の用語が、いつのまにか人間の水準を表す用語として、学生街で使われるようになっている。
8大スペックとは、出身大学、大学の成績、海外語学研修、TOEICの点数、大企業が学生を対象に行う公募展への参加、各種資格、インターン経験、ボランティアである。
ソウルにある中堅私立大学の崇実(スンシル)大学で経営学を専攻したチェ・シンさん(27)は、卒業を1学期猶予しながら、就職活動に専念している。一昨年の初めから本格的な就活を開始して、2018年の上半期と下半期、そして2019年の上半期の公開採用で、それぞれ30社余り、合計100社以上の企業に入社志願書を提出した。だが結果は、ことごとく「玉砕」だった。
チェさんも8大スペックの向上に力を注いだ。大学での好成績に加え、米テキサス大学で1年間の語学研修、子供たちの海外キャンプを引率してドイツで1カ月間のボランティア、有名ITベンチャー企業で3カ月間のインターンシップ。大手銀行の公募展に、SNSを使った広報のアイデアを出して採用もされた。TOEICは850点、中国語資格(HSK)3級、情報処理士、韓国史の資格も持っている。それでも就職は「狭き門」なのだ。
チェさんのように、数々のスペックを保有していながら、安定した職に就けない若者たちのことを「IKEA世代」と呼ぶ。スウェーデンの家具ブランドIKEAは、優れたデザインで価格も比較的安く、新婚夫婦や新社会人が短期間使う目的で購入することが多い。同様にIKEA世代も、優秀な人材であっても、非正規社員やインターン、契約社員など低賃金で短期間雇用されることが多い。
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