出口治明の歴史解説! とんでもない天才・秦の始皇帝
歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2019年12月のテーマは、「失敗」です。
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※本連載は第7回です。最初から読む方はこちら。
【質問1】共産主義はなぜ失敗に終わったのでしょうか?
その理由は簡単で、人間はそれほど賢い動物ではないからです。
共産主義、社会主義では、計画経済によって、生産や消費をコントロールできると考えています。たとえば「来年はジャガイモを3000万トン生産して、国民が食べるようにしよう」と計画を立てる。自動車、家電などの工業製品も同じです。そのように国全体の経済活動を計画して実行していく発想が根底にありました。
しかし人間はかなり愚かな生き物です。国全体の生産と消費を計画するには、かなり正確に未来が予測できなくてはなりません。農作物が異常気象で凶作になるとか、一所懸命考えて開発した自動車がまったく売れないとか、想定外のことは常に起ります。国全体の計画ですから、少しでも間違いがあればとんでもないロスを生みます。
市民がそれぞれ勝手に、売れそうなモノを生産して売り、欲しいモノを買う市場経済では、もちろん個々にアタリもあればハズレもあります。しかしトータルで考えると、そのほうがロスは少ない。これが、マーケットに任せるメリットです。
マルクス(1818〜1883)やレーニン(1870〜1924)は「人間はアホやから未来のことはわからないし、計画も立てられへんで」とは考えなかったのでしょう。計画経済がうまくいかないことにも気づかないほど、人間は賢くないのです。
ソ連をはじめとする共産主義国、社会主義国は、一部計画経済がうまくいったおかげで栄えた時期もありました。しかし、70年近くたつうちに市場主義経済との差は歴然となりました。それらの国は1990年前後にバタバタと倒れ、世界を二分していた冷戦構造はなくなりました。いまや共産主義国は地球上に存在しません。
「あれ、中国は?」と思われる人もいるでしょう。あの国は中国共産党という名のエリート政党が政権を握っているだけで、実態は共産主義国ではありません。特にこの半世紀は、市場経済をガンガン導入してきました。
そうでなければ、GDPで世界第2位の経済大国に成長しませんし、ユニコーンが100匹も誕生するはずがありません。
現在、アメリカに留学している中国のエリートは37万人もいるそうです。アメリカにいる外国人留学生の3人に1人です。もし本当に共産主義国なら、これほどの人がアメリカ留学して何を学ぶ必要があるのでしょう。彼らは市場経済を学んでいるのです。
中国の強固な中央集権システムを考えたのは、ほかでもない秦の始皇帝(紀元前259〜210)です。2300年近く前に始皇帝が描いたグランドデザインは、現在もそのまま活きています。
中国人にとって共産主義は、タテマエとしての儒教のようなもので、いわばみんなで一緒に唱えるお経です。社会システムの実態は、始皇帝がデザインしたままです。そう考えると、始皇帝はとんでもない天才だということが分かるでしょう。
共産主義国でないことは、北京や上海の本屋さんを見てまわれば実感できます。マルクスやレーニンの本はほとんど見当たりません。圧倒的に目立つのは歴史書や古典と経済書です。四書五経を学ぶエリートたちもいます。そんな共産主義国ってないですよね。
僕は90年代前半に日本生命で国際業務部長として中国と交渉するために毎月のように北京に通っていました。その頃、中国の相方に面白いことをいわれました。
「中国は、建前は社会主義で計画経済。だけど、金融マーケットは完全に市場主義です。経済発展のためには、マーケットに任せるのが一番だと知っているからです。日本はその逆で、建前は資本主義だけれど、金融マーケットを見ると完全に計画経済ですね」
90年代半ばの話ですが、日本も中国も当時とそれほど変わっていないでしょう。人間が賢くない動物だと知ることは本当に大切だと思います。
【質問2】歴史上の出来事で、大失敗だと思ったら結果的に成功だったというものはあるでしょうか?
大きな犠牲を払った大失敗がのちに大きな成果につながったケースは多々あります。アメリカの市民戦争(南北戦争、1861〜1865)がその典型でしょう。
あの戦争は「the Civil War」(市民戦争)と呼ばれるように、アメリカ市民が南北に分かれて4年も戦い、60万人を超える死者を出しました。当時の人口で考えると、アメリカ市民の実に50人に1人ぐらいが南北戦争で亡くなった計算になります。
第一次世界大戦でのアメリカ軍の死者が12万人弱、第二次世界大戦が29万人なので、これまでにアメリカが経験した戦争の中では、飛び抜けて多くの死者が出ています。しかもそれが市民同士の戦いでした。
市民戦争は「北部の人たちが南部の奴隷制度をやめさせようとした」と説明されることがあります。たしかにその一面はありますが、本質は対外貿易をめぐる経済問題にありました。
当時の南部は農業中心の経済で、黒人奴隷を使って綿花を栽培し、ヨーロッパに輸出して大儲けしていたのです。自由貿易を謳歌して、儲けたおカネでヨーロッパの工業製品などを輸入していました。
当時の南部を描いた映画『風と共に去りぬ』はご覧になったでしょうか。レット・バトラーやスカーレット・オハラは大邸宅に住み、派手に着飾って、羨ましいほど豊かな暮らしをしていました。南部の農場主たちは、あれぐらいお金持ちだったのです。
一方、北部は米英戦争(1812〜1814)によって大英帝国(イギリス)の工業製品が輸入できなくなり、急ピッチで工業化を進めました。自分たちの産業を育てるため、南部の人たちに「ヨーロッパ製品を輸入しないで、うちのを買ってくれ」と求め、輸入制限や輸入品に高い関税をかける保護貿易にすべきだと主張していたのです。
しかし北部の工業化は始まったばかり。品質や価格で、工業大国の大英帝国に敵うはずがありません。スーツにしろ家具にしろ、外国の商品に比べたらお粗末なものです。南部の人たちは「そんなちゃちなもん、いらんで」と自由貿易の継続を望みました。
北部は保護貿易を求め、南部は自由貿易を維持したい。この対立軸は明確です。奴隷解放はたしかに1つのイシューでしたが、お互いの利益が真正面からぶつかる本当の対立軸とはいえないものでした。
激しい内戦が起こるのは、明確な対立軸があるときです。
たとえば明治維新は、軍事クーデタによる政権交代にもかかわらず、外国の内戦に比べれば、流れた血はわずかでした。戊辰戦争で8000人強、西南戦争で1万2000人強、その他を合わせても3万人前後といわれています。
それは日本人が平和的な人たちだったからではなく、明確な対立軸がなかったからです。薩長は初め「尊皇攘夷」を掲げて幕府打倒をめざしましたが、自分たちが連合王国をはじめとする列強と戦って(薩英戦争、下関戦争)ボコボコにされ、「あんな強い相手に攘夷なんて無理」とあっさり方向転換します。結局は、幕府の老中首座だった阿部正弘が描いた「開国→富国→強兵」というグランドデザインを踏襲する。向いている方向は一緒で、明確な対立軸がない。だから、アメリカの市民戦争のような大規模な殺し合いにはならなかったのです。
市民戦争は大きな犠牲を払ったものの、北部が勝って、アメリカは保護貿易へと転換します。工業化が飛躍的に進み、鉄鋼、鉄道、電信電話、エンジンなどさまざまな分野で技術革新が起こりました。
その結果、石油資源が豊富なアメリカは、20世紀初めに大英帝国を追い抜いて世界最強の工業大国へと成長しました。60万人もの犠牲を払ったからこそ、世界の覇権を握ることができた、と見ていいでしょう。
(連載第7回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。
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