モノ言う官僚を受け入れろ 日本郵政社長・増田寛也「矢野論文」大論争!②
国民的議論を巻き起こしたのはプラスだった。/文・増田寛也(日本郵政社長)
増田氏
見えなかった官僚の姿
財務省トップの事務次官が選挙前というタイミングに、影響力のある雑誌に寄稿する。これはとても珍しいことです。それだけ話題になりましたし、私自身、この点に関心を持ちました。世の中の賛否は分かれましたが、矢野さんの論文掲載自体は決しておかしなことではないし、国民的な議論を巻き起こしたということでプラスに評価しています。
まず、官僚が意見を公表することの是非についてですが、振り返ってみれば、私が総務大臣を務めていた2007年、08年頃の第1次安倍政権時代には、事務次官にも定例の記者会見の場があり、官僚にも当たり前のように自分の意見を語る機会がありました。
事務次官は、その官庁が受け持つ政策にずっと携わってトップに上り詰めた人ですから、当然、政策については熟知しています。事務的な観点から、政府が打ち出す政策の合理性や、過去との整合性などを説明する立場でもあります。そのため当時は、毎週月曜日と木曜日に開かれていた事務次官会議の後で、翌日閣議にかけられる内容を次官が整理して説明したり、記者の質問に答えたりする場が設けられていたのです。
自公連立政権下で長く続いてきた事務次官会議は、2009年の政権交代に伴って廃止されました。その後は、大臣に役割を集約して会見が行われる形になっています。
今では、事務次官になっても就任会見や退任会見以外、ほとんど全くと言っていいほど表に出て語る機会はありません。しかし、その代わりの役目を大臣が全部できているかというと、機微に触れるところまではなかなか説明できないというのが実情です。
そのため何か大事な案件がある時には、各省幹部が各メディアの論説委員を訪ねて回り、「ご説明」と称したクローズドなレクチャーが行われているようです。しかし、そのやり方では国民に官僚の姿は見えません。私は43歳のときに岩手県知事選に出馬するまで建設省の官僚でしたから、この現状にはいささか違和感を覚えます。
官僚が表に出過ぎてはいけないのはたしかですし、大臣と次官が対立するのも望ましくないので、両者の発言の整合性はとるべきです。私も、次官が会見で重要な質問を聞かれそうなときは、事前に説明を受けたり、すり合わせしたりすることもありました。次官が会見で質問に答え、後から「こう答えておきました」と報告を受けることもありました。
矢野氏
発言の機会はあっていい
すり合わせも大枠でしておけば、何も問題はありません。次官本人の意見や考え方が出るのも、一定の範囲内であれば構わないわけです。少なくとも月に1回ほどは次官にも記者会見の場を設け、発言させる機会があってもいいと思います。
論文掲載にあたり、矢野さんは前財務大臣の麻生太郎さんに事前に了承を取り、そのことは現大臣の鈴木俊一さんにも伝えられていたそうです。少なくとも形式上は、すり合わせも済んでいたことになります。今は事務次官の会見の場もないし、そうした意見を国民に伝える場がないので、矢野さんは雑誌への寄稿というかたちを選んだのだと考えれば、それが批判される理由はもはやないと思います。
そもそも、今回の矢野論文は、目新しい論点があるわけではなく、従来から財務省主計局が主張してきた内容を分かりやすく整理したものです。次のようなくだりには財務省らしさが色濃く反映されています。
〈わが国は、向こう半世紀近く続く少子高齢化の山を登りきらねばなりません。(略)十数年に2度も3度も大きな国難に見舞われたのですから、「平時は黒字にして、有事に備える」という良識と危機意識を国民全体が共有する必要があり、歳出・歳入両面の構造的な改革が不可欠です〉
これは矢野さんに限らず、オール財務省としての主張と言っていいでしょう。財政再建は財務省の悲願。事務次官の会見があった当時なら、そこで話していた類のものですから内容としては何の問題もありません。
麻生前財務相
最適なタイミング
次に、衆議院選挙前というタイミングについてですが、これに関しては有力政治家からの反発もあったと聞いています。
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