小林信彦「外国映画ベスト50」わが洋画・邦画ベスト100 「バンド・ワゴン」「我輩はカモである」「お熱いのがお好き」…
文・小林信彦(作家)
「黄金狂時代」のギャグがすごい
四つの時から家族にアメリカ映画を見につれて行かれた幸せな私だが、さすがにそのころのこと(昭和十一年ごろ)はおぼえていない。父は外国映画(主としてアメリカの)が好きだったらしく、銀座が多かった(私の自宅は日本橋区両国の和菓子屋)。
父親はドロシー・ラムーアを見て、子供はターザンを見る、といった二本立て。日米開戦までそういう日がつづいた。ハワード・ホークスの「コンドル」や独映画「旅する人々」も戦前に見ている。チャップリンの「モダン・タイムス」と「街の灯」の二本立ては日比谷映画で見た。日比谷映画は当時としてはもっとも尖端的な映画館である。
銀座だけではなく、錦糸町、人形町、築地でも見た。松竹映画は、たいてい人形町で片づけた。千代田小学校の先輩が三木のり平なので、そういうことになる。
チャップリンは新作旧作、関係なく見た。「街の灯」も、古い「キッド」も名作だが、一本といわれれば、日本が降伏してから最初に邦楽座(まだピカデリーとは言ってなかったと思う。オーストラリア兵のために変えたといわれる)で見た旧作「黄金狂時代」(1925・米)だ。チャップリンの映画で唯一、ハッピーエンドになるという作品。
ギャグがすごい。チャップリンは自分でギャグを作り、自分で演じた。丸いパンにフォークを刺して、タップを踊らせるギャグなどはどれだけ真似が出たろう。特に、山小屋が雪山にぶら下がってからのギャグが凄い。
昭和十五年から古川ロッパの芝居を見ていた私は、少々のギャグに驚かないが、チャップリンには笑った。米機の空襲で焼け残った映画館が割れそうになる笑いの渦だった。
「我輩はカモである」のスピード感
「ル・ミリオン」(31・仏)は、百万フランの宝くじが入った上着を人々が追いかけるミュージカルだが、「金がすべてではないという。そいつはおえら方の口癖だ」という歌詞にすべてがこもっている。諷刺劇だが、鋭い。
「自由を我等に」(31・仏)はルネ・クレールの代表作。当時、仏の四人男といわれたクレール、デュヴィヴィエ、フェデール、J・ルノワールの中では、ルネ・クレールがいちばん好きだった。「ア・ヌ・ア・ヌ・ラ・リベルテ!」と唄うだけで、涙が出てくる。「ル・ミリオン」と「自由を我等に」が同じ年に作られたんだって。
「会議は踊る」(31・独)は、お父さん、お祖父さんが映画好きだったら、感想を聞いてみると良い。主題歌をうたい出して、とまらなくなるだろう。リリアン・ハーヴェイという女優の名は、父の弟妹たちの会話から知っていたが、私が生まれる一年前の映画だったのだ。
「我輩はカモである」は三三年(米)の作品。邦題がまず良い。原題は「カモのスープ」。「新青年」趣味の邦題です。
マルクス兄弟の代表作だが、兄弟はあまりやる気がなく、監督のレオ・マッケリーだけが熱中した。三男のグルーチョ・マルクスが大統領になる。もちろん、ハーポ、チコ、ゼッポの兄弟は各々の笑いの場にいる。この映画が評価されたのは、ベトナム戦争の時だったというが、おかげで西欧各国でマルクス兄弟の評価が上がり、当時それらの国を歩いた私はびっくりした。
この間、NHKでやったので、見返したら、演出が凄い。グルーチョの国が戦争を始めたとたん、スピードが上がる。ラストの十分ぐらいはあっという間。グルーチョが機関銃を手にして撃ちまくる。部下が「あなたが殺したのは味方です」というと、グルーチョが部下に五ドルを握らせる――といったギャグがつづく。なるほどベトナム戦争だ。
気違いじみた戦争のおかげでマルクス兄弟の名も上がった。
「吾輩はカモである」
© Mary Evans Picture Library / AF Archive / MGM / Ronald Grant Archive
「メリイ・ウィドウ」(34・米)は、日本ではズタズタにカットされたという。私はビデオで見たから分からないが。「陽気な未亡人」とは、いかにもエルンスト・ルビッチらしいタイトルである。フランツ・レハール作曲のオペレッタ(一九〇五年初演)の映画版。
主役のモーリス・シュヴァリエの老けが目立つ。お相手はジャネット・マクドナルド。トーキー初期のオペレッタ映画の代表作。そして、ルビッチ、シュヴァリエ、ジャネット・マクドナルドの代表作でもある。
シュトロハイムの奇怪な演技
「人生は四十二から」(35・米)
長いあいだ、コメディに専念してきたレオ・マッケリー監督、調子が出てきた。
古いタイプのイギリスの召使い(チャールズ・ロートン)が、アメリカの西部に来て、民主主義にめざめるという話を、レオ・マッケリーが感動的に見せた。
「トップ・ハット」(35・米)
フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャースのコンビの代表作。音楽はアーヴィング・バーリン。
近年、舞台のミュージカルにもなった名作。このころのナマのアステアをニューヨークで見ていた人に清水俊二さんがいる。
「明日は来らず」(37・米)
スクリューボール・コメディの代表作「新婚道中記」(37・米)でアカデミー監督賞を得たレオ・マッケリーがピークに達した作品。小津安二郎の「東京物語」に影響した作品といわれ、アメリカの市民生活をペシミスティックに描いた。
「舞踏会の手帖」(37・仏)
若くして未亡人になった女性(マリー・ベル)が社交界に初めて出た時の手帖を見つけ、踊った相手を次々にたずねて歩く。名優が次々に出てくるが、ルイ・ジューヴェの印象が強い。
残るのは人生の虚しさだけで、「最初の舞踏会とは最初の煙草のようなもの。ただそれだけのもの」というマリー・ベルの台詞で終わる。いや、カッコイイですな、さすが戦前のフランス。
「大いなる幻影」(37・仏)
反戦映画の傑作。戦前の日本では上映不許可。戦後に初めて上映され、私はそれを見た。フランス映画としても、最上の作品。
記憶で書くが、第一次大戦でドイツ軍の捕虜となったジャン・ギャバン、ピエール・フレネー、ダリオの三人、ドイツの代表エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ドイツ女性ディタ・パルロたちがめぐり合う。彼らの会話を通じて、戦争なんて無い方がいい、しかし、それは幻影だ、といった主題が浮かび上がってくる。
シュトロハイムは奇怪な演技で、のちの米画「熱砂の秘密」「サンセット大通り」などに登場の意味がわかる。
ジャン・ギャバン
「バルカン超特急」(38・英)
アメリカに呼ばれる前のアルフレッド・ヒッチコックが腕をふるった佳作。マーガレット・ロックウッドを悪女役者と思ったのは、この映画を見ていなかったからだ。なるほど、これは面白い。あとで見て、そう思った。
「天国二人道中」(39・米)
スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディのコンビ喜劇は、子供のころ、大好きだったが、この映画はラストが印象深い。さいきん、若い読者からこの映画のビデオを送られて、恐縮している。スタン・ローレルが一曲うたうのが珍しく、ぼくは愛好している。
「大平原」(39・米)は、戦後、神田日活で見た。映画館、テレビでやったのは不完全版で、WOWOWが完全版をやるまでわからなかった。ジョエル・マクリーが真価を見せたデミルの大活劇。いまはインディアンをこういう風に悪役にはできない。
戦争直前なぜか名画が生まれる
「ニノチカ」(39・米)
私の好みというと、勝手にしろと言われそうだが、演出のルビッチが名人中の名人であることがわかる。
「サイレンが金髪美人で、空襲警報ではなかったころ」という字幕は、ビリー・ワイルダーが考えたのではないか。ビリー・ワイルダーとウォルター・ライシュ(「たそがれの維納」)とチャールズ・ブラケットが書いた台本にエルンスト・ルビッチが手を入れたという映画。見るごとに面白さが増す作品で、グレタ・ガルボとメルヴィン・ダグラスが中心になる。
(この五十本の中で、一本見るなら、「ニノチカ」か「バンド・ワゴン」です。よろしく。)
「スミス都へ行く」(39・米)
太平洋戦争が始まる前の日まで、日本で上映していた映画、見る価値はむろんあります。
「旅路の果て」(39・仏)
戦争が始まる直前て、良い映画が出るのですね。これも、フランスの名優(ルイ・ジューヴェ、ヴィクトル・フランサン他)たちが出る。俳優たちの養老院の悲劇。すごい、と溜息が出る名作。
「フィラデルフィア物語」(40・米)
キャサリン・ヘプバーンが映画化権を握っていたというのを自伝で読んだ。すごい。ケイリー・グラント(当時、ひっぱりだこの役者)とジェームズ・スチュアートの演技上の戦いが見物。
後年のビング・クロスビーとフランク・シナトラ共演の「上流社会」はこれのリメイク。
「哀愁」(40・米)
これ一本でヴィヴィアン・リーの信者になった。ありがたや、ありがたや。
「ミュンヘンへの夜行列車」(40・英)
レックス・ハリスンの冒険映画(セクシー・レクシーとさわがれた意味がわかる)。脚本家が「バルカン超特急」と同じなので、〈クセのある英国紳士二人組〉がつづけて、また出てくる。監督はキャロル・リードだが、ヒッチコックかと思うばかり。
「市民ケーン」(41・米)
NHKで最初に封切った時、外科病院をぬけ出して、うちで見た。
オーソン・ウェルズが目立っているが、ジョセフ・コットンも良いんじゃないか。グレッグ・トーランドのカメラにも点を入れよう。
「レディ・イヴ」(41・米)
さあ新人監督の登場。プレストン・スタージェス!
ニコリともしない主役ヘンリー・フォンダの登場である。「怒りの葡萄」の生真面目なあのフォンダ。
脚本家としてすぐれていた人が演出もできるのは、ビリー・ワイルダーがよい例だが、スタージェスもとてつもない作品を作る。「レディ・イヴ」がそれ。ヘンリー・フォンダはドタバタ演技にもすぐれ、要するに何でもできるのだ。
キャグニーは踊りの名人
「モロッコへの道」(42・米)は、日本で〈珍道中映画〉といわれたジャンルの第三作。「シンガポール珍道中」「アフリカ珍道中」の次の作品で、ボブ・ホープが決めるラストのオチが傑作。「モロッコ」の次の「アラスカ珍道中」「南米珍道中」の二作も良い。いっしょに〈珍道中〉するのはビング・クロスビーとドロシー・ラムーア。このシリーズを見ていない人は〈映画の笑い〉を論じられない、と断言しておく。
「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」(42・米)
キャグニーといえば、たちまちギャング映画の話で、タップダンスの話がない。他人の映画でタップを踏むのはあったが。
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