原田マハさんの「今月の必読書」...『自画像のゆくえ』
自画像で見るアートの時間旅行
本書を手に取られたら、まずその分厚さを意識しながら背表紙を見ていただきたい。いや、タイトルじゃなくて、下の方。光文社新書、とあるでしょう。読み始める前にそれに気づいた私は驚愕した。だって、新書といえば薄くて手軽がウリなはずなのに、何これほんとに新書!? と思わず二度見した。なんと600ページ超え。著者が記したあとがきに、出版までにおよそ20年を要したとあった。だてに分厚くした訳では決してない。
自身も「セルフポートレイト写真(自画像的写真)」の作品で世界的にその名を知られるアーティストである著者が、600年に渡る西洋・日本美術史における有名な自画像について縦横無尽に持論を展開する「実践的自画像論」である。読了後の感想は、ひと言、圧巻。どんなふうに圧巻だったか、ナビゲートしよう。そう、「ナビゲート」という言葉がふさわしい、まるでアートの時間旅行のようなとてつもない1冊なのだ。
著者はまず冒頭で、自画像とはなんの関係もなさそうなトピック――井上陽水の「傘がない」の歌詞で幕を開ける。この曲が歌われていた1972年当時において、絶望的ながら自己肯定している歌詞の内容に織り込まれている「わたしがたり」のあり方を見せつつ、いきなり18世紀の思想家、ジャン・ジャック・ルソーの自画像的文学「告白」に話題を転じる。そこからまた現代に戻り「自撮り(セルフィー)」文化の横溢についての定義を繰り広げる。この切り返しが実に鮮やかだ。本書を手にした読者を600年ものタイム・トラベルに誘おうというのだから、まずは出発点=自分の立ち位置をしっかり確認せよ、という意図であろう。
本書に取り上げられた自画像の達人たちは、ファン・エイク、デューラーに始まり、カラヴァッジョ、ベラスケス、レンブラント、フェルメール(自画像は遺っていないが)、ゴッホ、フリーダ・カーロ、アンディ・ウォーホル、雪舟、松本竣介などなど、読者が思い浮かべやすいアーティストばかり。しかも、それぞれのアーティストの代表作は著者自身の作品のモチーフとなっている。つまり、本書で取り上げられているのは、著者が自身の作品制作のために長い時間をかけ研究し尽くした作品ばかりであり、アーティストならではの視点で分析、解釈された自画像である。すでに様々な角度から研究され、論じられ、説明されてきた名画たちだが、これまで名画の内側から論じられることはなかったに違いない。このアクロバティックな評論を成し得たのは、著者が森村泰昌という特異なアーティストなればこそだ。そういう唯一無二の論点を有していることからも、本書は非常に興味深い美術評論に仕上がっている。
私は森村氏の作品の長年のファンであるが、彼の作品の最も優れた点は、自身が扮する他者の作品に対する畏怖ともとれるほどの深い尊敬の念と、泣き笑いのような情感、そして全体を引き締めるエスプリである。彼の作品の善さが本書のいたるところにも散りばめられていて、思わずほくそ笑んでしまう。レオナルド・ダ・ヴィンチは本当に美男子だったのか、ゴッホと宮沢賢治の意外な共通項、ウォーホルとの妄想対話など、縦横無尽なトピックは、著者の深い見識と少年のような好奇心に彩られている。この先も「わたし」というフィクションを生きる覚悟を固めたという著者。次はどの時代の誰の人生を生きるのだろうか。タイム・トラベルはまだまだ続きそうだ。
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