出口治明の歴史解説! 小国・イギリスが「最強の軍事国家」になったワケ
歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年5月のテーマは、「戦争」です。
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※本連載は第29回です。最初から読む方はこちら。
【質問1】歴史の年表をみていたら十字軍は何度も遠征をしていたようです。そんなに戦争しなくてはいけない理由があったのでしょうか?
最初の十字軍は、1096年から1099年にかけて遠征が行われました。ローマ教皇の呼びかけで、キリスト教徒たちがイスラーム教徒から、キリスト教の聖地エルサレムを奪還しようと攻め入ったのです。それから200年近くにわたって、断続的に8回(数え方によっては9回)の遠征に出かけています。最後は、北アフリカのチュニスに向かったので、エルサレム奪還が目的ではありませんでした。
この連載の第23回でも説明したとおり、この遠征には失業対策、即ち出稼ぎという一面がありました。地球の温暖化によってヨーロッパでは、若年層の人口が膨張し、国内では、食べていけない若者が増える「ユースバルジ現象」が起きていたからです。
彼らは「イスラーム教徒を倒せば、土地も食べ物も女性も思いのままや」と、信仰心以外の理由もあって十字軍に参加したのです。さらに拍車をかけたのがローマ教皇によるお墨付きでした。教皇は「参加者には罪の償いが軽減され、死んだら天国にいける」と保証したのです。食いっぱぐれていた若者たちにすれば、「教会が認めているんだから、正義はこちらにある。なんでもやったろうやないか」と、虐殺や掠奪などやりたい放題で、エルサレムは血の海になったと伝えられています。若者の鬱屈したパワーが爆発したのです。
しかし、もう一つ隠された重要な背景がありました。この遠征をヴェネツィアやジェノヴァの商人たちがけしかけていたのです。実は十字軍に武器や物資を補給していたのは、ヴェネツィアやジェノヴァの商人でした。彼らはそれで大儲けできたので、遠征の都度、莫大な利益を得ていたのです。
200年近くの間に、十字軍がまともな戦果をあげたのは第1回とフェデリーコ2世の優れた外交力でエルサレムを取り戻した第6回ぐらいです。第4回以降はコンスタンティノープルやエジプトやチュニスに遠征しコンスタンティノープルこそ征服したものの、後は大敗したり、戦わずに撤退したりの連続でした。それでも懲りずにローマ教皇や君侯たちが十字軍を繰り返し派遣したのは、商人たちにそそのかされたからです。
ヴェネツィアやジェノヴァの商人にとって十字軍は、あらかじめ事業計画に組み込まれた高収益イベントそのものでした。定期的に出かけてもらわないと困るので、「がんばれ! がんばれ!」とハッパをかけたのです。
水の都ヴェネツィアが「アドリア海の真珠」と呼ばれるほど美しい町になったのは、東方貿易と十字軍の兵站を担当したことで儲けることができたおかげなのです。サンマルコ寺院を飾る有名な4頭の青銅の馬はコンスタンティノープルから略奪してきたものです。
【質問2】英国は近世から近代にかけて、世界を股にかけた最強の軍事国家だったと思います。あのような小さい国が、どうして強かったのでしょうか?
大英帝国が強かった理由は、戦争への考え方にあります。
インドでの戦い方を例にあげましょう。大英帝国が、ヒンドゥー教の諸侯たちと戦ったマラーター戦争は、第一次(1775~82年)、第二次(1803~05年)、第三次(1817~18年)と43年間に3回戦っています。同じ相手と3~4回戦うのは大英帝国が得意とするパターンです。
武器弾薬の量は、産業革命を終えた大英帝国が圧倒的ですから、本気で戦えば一撃で勝てそうな相手です。しかし、無理押しはしないのが大英帝国流です。
ものすごく単純化して説明すると、まずは大砲を何百発も撃ち放して、相手がバタバタと倒れたところへ「講和しようか?」と持ちかけます。相手は形勢不利なので、時間稼ぎのつもりでとりあえず応じます。これで第一次戦争は終わりです。
講和を結ぶと、相手はたいてい仲間割れをはじめます。「なんで、こんなに早く講和したんだ。俺はまだまだ戦えるぞ」と怒りだすグループがいたりするからです。
大英帝国はスパイ活動が得意ですから、敵の内部で争いがはじまると、お金や物資を提供して「俺らが応援してるぞ、がんばれ!」と弱い方の支援を始めます。仮に形勢が逆転すれば、支援先を乗り換えて、劣勢になった側を応援することで内紛を長引かせます。
仲間割れしてお互いに殴り合っていると、当然どんどん疲弊していきます。大英帝国は、頃合いを見計らって第二次戦争をしかけます。また、前回と同じように先制パンチでボコボコに殴り、敵がひるんだところへ、また「講和しようか?」と持ちかけるのです。これを2~3回繰り返していけば、敵はもうもうボロボロ。ノックアウトするのが簡単になります。年月は多少かかったとしても、大英帝国は最小限の犠牲で勝つことができます。
もし一気呵成に押しきろうとすれば、たとえ勝ったとしても多くの死傷者が出ます。自分たちの犠牲を最小限に抑えつつ、敵に大きなダメージを与えるにはどうすればいいかを考える。そういう戦争のコスト計算がきちんとできたことが大英帝国の強みだったのです。
ちなみに幕末の日本にも大英帝国は、似たような形で近づいてきました。一度、痛めつけた相手である長州(下関戦争)や薩摩(薩英戦争)と気脈を通じ、時の政権である徳川幕府と対峙するための武器などを支援していましたよね。もし、日本での内戦(戊辰戦争)がずるずる長引いていたら、大英帝国に付け入るスキを与えていたのでは、などと頭の体操をしてみるのも歴史の楽しみの一つです。
(連載第29回)
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■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。
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