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旬選ジャーナル<目利きが選ぶ一押しニュース>|木村俊介
【一押しNEWS】飲食店を「倒産」させるコロナより深刻な問題/5月29日、東洋経済オンライン 初出4月23日、ニューヨーク・タイムズ
木村俊介(インタビュアー)
感染症をめぐる状況から身を守り、生き延びるための情報を得ようとする。そんな生活が一般的に何カ月も続く今、ニュースは必需品だ。しかし、取材者という役割を担う私としては、世の中に流通するデータの種類が画一化しがちな時こそ、同じ非常時の現実でも、別の視点から見つめたいと思っている。
『一本の茎の上に』(茨木のり子/ちくま文庫)に収められた「平熱の詩」というエッセイから引用すれば、「他から強制されたり時代の波に浮かれたりの昂揚感は化けの皮が剥がれた時、なんともいえず惨めである」「からだもこころも平熱であるにしくはない」というわけだ。
茨木のり子さんがここで危機感を抱いたのは、1940年代の戦時の「高熱を発していた」言葉だ。非常時の大部分のニュースを、いわば「高熱の言葉」と捉えるなら、そんな渦中にこそ心が滋味として飢えている「平熱の言葉」を拾う報道も、あっていいのではないだろうか。
それが、私の取材者としての観点だ。だから、今も市井の人々に、こんな時であっても、苛烈ながら続いている日常の体験や心象風景を、主に長いインタビューで聞く活動をしている。その私から見て、大切な「平熱の報道」と感じられたのが、本記事である。
「東洋経済オンライン」というニュースサイトには、日本語訳が5月29日から配信されている。記事のタイトルで検索をすると、しばらくは読めるはずだ。機会があれば、ニューヨークで約20年間、人気料理店を経営してきたが、このたび店を閉じたオーナーによるこの体験記を、ぜひ読んでいただきたい。
記事の体裁としては、いわゆる手記である。著者はオーナー自身だ。閉店を決めた今だから言える、感染症の流行によってより鮮明になった、料理店をめぐる矛盾が、長く綴られている。それまで口にしづらかった告白を個人がおこなっているだけで、一見するとニュースとは言えないと思われるかもしれない。だが、新しい感染者の数など統計情報が報道の主流となった中でも、量的なデータだけではこぼれ落ちがちな街に生きる人の実感を、見事に拾い上げているのだ。ニューヨーク・タイムズ紙の編集の手腕が、ありありと感じられる。新聞が地元にしている街の本質の一端が、個人にこれだけ長く語らせるからこそ、にじみ出ている。時代の雰囲気を捉えたという点で、実にインタビュー的な報道だと思った。
記事の後半までは、感染症が流行する中で、店が経済的にどう苦境に陥ったかが具体的に語られる。その意味では、いわば「高熱のニュース」でもある。しかし、私自身も飲食店の取材者として約20年ほど活動してきた経験から大きく頷き、本記事の真骨頂だと感じたのは、何と言っても「平熱のニュース」にあたる告白だ。感染症が爆発的に流行するより何年も前から、個人営業の小さな料理店は、居場所をどんどん失っていたのだ。
記事からは総合的に、次のようなことが伝わってくる。ウェブを活用した出前やレビューが定着する中で、よそでもやっているサービスが当たり前のように求められる環境が、もう5年ほども前から料理店のあり方を画一化させていた。便利さのために薄利多売の自転車操業をせざるを得ない経営は、大量消費を失うと今回のようにすぐにダメになる、と。
長い告白で最も痛切なのは、自分たちは個人的で心地良い居場所をつくろうとしたが、「このような場所が社会にふさわしくないと言うのなら、店は、私たちは、滅びるしかない」という声だ。文化を画一化する潮流は、世界中を覆った感染症の波によって大洪水となり、今、小さな居場所を流し去っているのである。
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